あるがまま
2011年8月30日
生を、あるがままに見つめることができる心―
そのような心は自由であり、葛藤や混乱を持ちません。
なぜなら、そこには自分に執着したり、押しつけたり、
自分勝手に判断したりするということがないからです。
無理強いしたり、自分を押しつけることで、
あるがままの現実を変えようとするのは、精神的な暴力です。
それはエゴを押しつけることであり、
自己中心的にしか物事を見ていないのです。
あるがままのものを、あるがままにしておくこと。
ただそれを見つめ、聴くこと。
そのような心は、私利私欲のエゴに彩られておらず、純粋な心です。
それは透き通った心、開かれた心であり、
執着したり強要するような心ではありません。
エゴのある心だけが、あるがままを壊そうとします。
自分の思い通りにしたいから、あるがままを壊すのです。
自分を押しつけ、自分の欲望のままに行動するところには、
暴力、怒り、いらだち、憎しみ―があります。
混乱と無秩序のない生を生きるには、
あるがままのものをあるがままのものとして見る、開かれた心が必要です。
それは私心のない心であり、ただ見つめ、聴くことができる心です。
ただ見つめ、聴くところには、どんな葛藤も混乱もいらだちありません。
それは無心に見つめ、無心に聴くことであり、
そのような心こそ、真に自由な、真に美しい心です。
あるがままの真理を見るのは、そのような純粋な心だけです。
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