「見える」という奇跡
2012年5月2日
目が見えるということは、大きな奇跡ではないでしょうか。
私たちのほとんどは「目が見える」ということに対して、
驚きの念を持ちません。
「目が見える」ということが当たり前になっているので、
この当たり前の奇跡が感じれなくなっているのです。
「目が見える」とは、驚くに値しないことでしょうか。
それとも、それは生の不可思議な神秘でしょうか。
想像を絶する奇跡というものは、現に今ここにあり、
私たちはそれに気づきさえすればその奇跡を感じることができます。
ごくごく当たり前にあるものの中にこそ「生の奇跡」があります。
「目が見える」というのもその奇跡の一つです。
私たちは「目が見える」ということを深く意識しているでしょうか。
「目が見える」というただそのことを―
私たちは自分の力で「見ている」のではありません。
なぜなら、人は自分で視力や目そのものを創ることはできないからです。
測り知れない宇宙的な力があってこそ「見える」のであり、
その力というものは人間の全てを支えているものでもあります。
未知なる力が絶えず働いています。
それは私たちと共にあります。
私たちと共にあるから私たちは存在できているのです。
生の奇跡は、どこか遠くにあるのではありません。
それはごくありふれた日常の生活の中にあります。
今ここに、今という一瞬一瞬に奇跡は働いています。
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