信じ込むという危険

2012年4月5日

「生」というものは、自分で発見し、創造していくからこそ意味があります。
しかし、多くの人々は他者の教えや本の言葉を容易に信じ込み、それに囚われがちです。

何が真実で何が真実でないか。
それを見出すのは私たち一人一人であって、
それは他人から教え込まれるものではありません。
いかにもそれらしく聞こえるものであっても、
他者が語ったことが本当に真実かどうかは誰にもわかりません。

何かを信じ込んでしまうと、その教えの境界内の外に出れなくなり、
生の無限の可能性が失われてしまいます。

世間には指導者やスピリチュアルマスターと呼ばれる人々が多く存在し、
彼らは私たちに様々なことを語っています。
しかし、彼らの言っていることが本当に正しいかどうかは、
自分で疑いの念を持って見極める必要があります。

むしろ「生」というものは自分の足で歩むものだという確固とした思いがあれば、
他の指導者の言葉や宗教などは必要ないのです。
自分で発見し、自分で見出していくことが人生だからです。
容易に信じ込まず、常に疑い、自分で本物の真理を発見すること。
これが最も重要なことであり、その独立性こそが真の宗教的態度です。

真に独立した精神を持って生きる人にとっては、
外部のいかなる働きかけも不必要です。


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