虚無からの逃走

2012年4月5日

私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れています。
なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。
永遠に続くのではないかと感じられるこの果てしない虚しさ、底なしの虚無は、
自分の人生からあらゆる輝きを奪い、幸福も、喜びも、未来も、
生きている意義も価値も、何もかも一切を失わせます。
文字通り何もない「無」、心の完全な空白です。

それは言わば、
生きたまま自分の死に(この世での自分の生の終わりに)直面しているような精神状態です。
この絶望の虚無、延々と続くと感じられる無限の虚しさを前にして、
私たちの精神は凍りつき、恐れおののき、
その重圧に耐えられずに壊れてしまいそうになります。

人間の精神とって虚無しかない状況というものは耐え難いものであり、
それと向き合うことは極めて恐ろしいことです。
ですから、普段私たちの精神は絶えずこの虚無から逃げようとしています。

意識するしないに関わらず、私たちは絶えずこの虚無に怯えながら生きており、
その虚無と対峙したくないがために我を忘れられる様々な活動に駆り立てられるのです。
なぜなら、こうした活動や我を忘れさせる体験というものは虚無を覆い隠してくれるからです。
世間で見られるひっきりなしの娯楽や騒がしい軽薄な享楽、快楽、騒ぎ、その活動欲というものは、まさに虚無からの逃走と言えるでしょう。

この騒がしい社会、物質や娯楽に溢れ、絶え間なく人が活動し続けるこの文明世界というものは、
絶対の虚無から逃げ続ける集団逃走の場と言えるかもしれません。
もしかしたら現代の文明社会のあり方、その中の人間の活動のほとんどに、
果てもない虚無の暗闇からの逃避が潜んでいるのではないでしょうか。

私たち全員がいずれこの虚無の問題に直面しなければならないでしょう。
この虚無の問題をどう乗り越え、解決するか。
これは私たち人類全体の問題であり、普遍的な課題なのです。


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