生の厳粛さ
2012年3月19日
人間とは、学び続けることのできる存在です。
私たちは「生」から、人間そのものから無限に多くのことを学び、発見することができます。
学び、発見するためには、人は真剣な心を、厳粛な心をもたなければなりません。
生に「学ぶ」ということは、快楽や自己満足ではありません。
それは真に厳粛なことです。なぜなら、私たちは「命」を生きており、
命を生きているということはとてつもなく神聖なことだからです。
ですから、己の喜びや満足、達成や欲のために学ぶということではありません。
ただ純粋に「学ぶ」ということ、学ばなければならないから学ぶということです。
「命」から学ぶということ、「生」から学ぶということ、
そして「人間」という生を通して学ぶということ。
それは真に厳粛なことであり真摯な心で向かい合わなければなりません。
生というものは本来とても神聖なものであるからこそ、
私たち自身も神聖な心を持って生きなければなりません。
「生」における学びに終わりはありません。
「生」こそが、私たちに無限に多くのことを学ばせてくれるのであり、
そういう意味では「生」そのものが私たちの師です。
「生」から教わり、「生」から学ぶということ。それが人生です。
ここで言う「学び」とは、何か専門的な知識や言葉を頭に詰め込んだり、
単に暗記するということではありません。
そのような知識はどこまでいっても表面的で浅いものです。
真の学びとは「人間」そのものから、「生」そのものから学ぶということです。
私たちは「生」の全てから無限に多くのことを学ぶことができます。
この世界の全てから、人間であることの全てからです。
「生」そのもの、「生」のあらゆるものが私たちに多くのことを教えてくれます。
「生」は、私たちが生きるこの一瞬一瞬の全てにあります。
今まさに「生」は一瞬一瞬起こりつつあり、
私たちはその「生」を直接に見、聴き、感じることができ、
その瞬間瞬間の全てから学ぶことができます。
生きることは、学ぶことです。そして発見することです。
この学びと発見から、人間の創造性が開花します。
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