目覚めて生きる
2012年3月6日
目覚めて生きるとはどういうことでしょうか。
それはあらゆることに「気づいている」ということです。
気づきがなければ目覚めているとは言えません。
目覚めている精神は、常に気づいています。
周囲の事物に対して、または自分の心の動きや行為に対して。
気づく能力こそ、宗教的な資質そのものです。
宗教的な生、宗教的な精神とは、
あらゆることに常に鋭敏に気づいていることにほかなりません。
気づきのないところに宗教心はありません。
気づくということは、知覚すること、そして感じることです。
ある事物に対して知覚がないならば、そこに気づきはありません。
花の美しさに気づくのは、花に対しての知覚があるからです。
その知覚、そして気づきが、花の美しさを感じさせるのです。
これは、見ること、聞くこと、人間の五感の全てに言えることです。
私たちは知覚と気づきを通して「生」をより深く感じるようになります。
そして「生」を刻々と感じられる人は、目覚めている人です。
気づきと知覚がなければ、目覚めているとは言えません。
「生」に対して感受性がないならば、それは眠っている精神です。
目覚めた精神は「生」を敏感に感じ取り、あらゆるものに神を見、
創造性に溢れた本物の宗教心を持つのです。
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