リアリティを感じる精神
2012年2月13日
リアリティを感じる心とはどういうものでしょうか。
リアリティとは、決して想像上のものではありません。
よって想像力やイメージの産物はリアリティを否定します。
精神が妄想のとりこになっているならば、そこにリアリティはありません。
精神は私たちの内部に心象(イメージ)を作り出します。
しかしイメージというのはどこまでいっても非現実なものです。
「現実」は、頭の中で想像されるものではありません。
精神が自らの幻想に気づき、
もはや一切の非現実的なイメージをもたなくなることが重要です。
非現実があるかぎり、そこにリアリティはありません。
リアリティを感じる精神とは、
自らの幻想や妄想—つまり虚偽—をきっぱりと否定し、
常に刻々と「現実」そのものと向かい合える精神のことです。
そのような精神のみが、リアリティを生きることができます。
生は刻々と動き続けています。
それは「今」起こりつつあるものです。
「今」起こっていることは頭の中のイメージではありません。
「今」という生の運動の中にこそリアリティはあります。
リアリティがないならば、その生は虚偽と幻想に溢れています。
これは実際とても恐ろしいことです。
なぜなら、リアリティがないとき、真実もないからです。
そこにあるのは夢を見て眠っている精神です。
「覚醒」と「リアリティ」は同じ一つのものです。
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