神を見る心

2012年2月9日

神を見ることができる心とは何でしょうか。
神とは、未知なる存在、無限なる存在です。
それは知ることも、記憶することもできません。
もしそれを知ることができ、記憶されるものならば、それは神ではないでしょう。

神の活動とは、一瞬一瞬新しいものです。
新しいからこそ、それは永遠に未知なるものです。
もし何かを知ってしまったならば、それはすでに古いものです。
知りえないからこそ新しいものなのです。

神を見る心とは、常に空っぽで新鮮である心です。
過去の知識や記憶に縛られていない心、
むしろ一切の過去の知識を無にしている心—
そういう新鮮さに溢れた心こそ、神の未知性に出会います。

未知であるとは、「知りえないもの」ということです。
神の神秘性を「知る」ことはできません。
知ることができるものは、ただの言葉や科学的な知識にすぎません。
言葉や科学では神に出会うことはできません。
なぜなら、言葉も科学も既知なるものだからです。

未知なるものに出会うには、既知は終わらなければなりません。
そして完全に空っぽで新鮮な心であるときに初めて、
未知なる神秘に出会う可能性が生まれるのです。


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