習慣化した精神

2012年2月8日

「生」とは本来、創造性に溢れたものです。
創造性がないならば、その生は停滞するだけでしょう。

生の創造性を失わせるものは、精神の習慣化です。
精神が同じ快楽や娯楽、慰めや享楽を繰り返し、
それがその人の生活そのものになっているならば、
そこには何の創造性もありません。

文化や伝統といったものは基本的に同じことの繰り返しであり、
そこに精神が埋没しているならば、
生の新たなる発見や創造は生まれないでしょう。

習慣とは、古いことの繰り返しでしかありません。
この繰り返しがあるとき、新たなるものは生まれません。
同じことを何千回続けても、新しいものは一つも生まれません。

「生」を発見するには、創造性が必要です。
新しい発見があるとき、古いものはそこにありません。
習慣化してしまった精神は、新たなるものを発見できません。
なぜなら、それは同じことしか繰り返さない精神だからです。

生が創造性に溢れ、常に新鮮で活き活きとするためには、
人は自らの習慣化した精神を打破し、終わらせ、
まったく異なった精神性を身につけなければなりません。
創造的な生こそ、真に宗教的な生なのです。


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