言葉に囚われないこと
2012年1月20日
「存在そのもの」を見るには、言葉を捨てて見なければなりません。
例えば、バラの花を見る時、
「バラ」という言葉(名称)を通して見るのと、
まったく言葉を通さずに見るのとでは、その様相はまったく違います。
言葉や名称を通さずに、まったくフィルターのない眼で物を見ることは、
ただ「存在そのもの」を見ることです。
「存在そのもの」には名前も言葉もありません。
生命は名を持ちません。
それは永遠に沈黙であり、無名の存在です。
言葉なく世界を眺めることは、世界の神秘を見つめることです。
神秘は言葉の中にではなく、「存在そのもの」の中にあるからです。
あなたは言葉なく、名を持たない世界を眺めることはできるでしょうか。
言葉や名称に囚われず、
目の前のものをまったく新しいものとして見つめることはできるでしょうか。
ただ純然と「存在しているもの」をしっかりと見ることができるならば、
あなたはきっと宇宙の途方もない神秘を感じることができるでしょう。
言葉や過去のイメージを通さずに、
目の前にあるものを常に「新たなる存在」として見ること。
名前がなければ、それらは無名の不可思議な存在であり、
私たちは絶え間なくその摩訶不思議な「存在」を目にすることができます。
その存在は聖なるものであり、生の神秘です。
私たちは、名もなき宇宙の神秘に囲まれて生きているのです。
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