知識の重荷、過去の重荷を超えて生きる
2015年6月12日
何が真実かを発見するためには、
心が知識の重荷から自由でなければなりません。
経験したり、本で読んだりしたことや、
自分の信念や見識といったものがどのようなものであれ、
それに捕われていては、新たに発見することはできません。
本当の探究、真実を発見するということは、
心が日毎に自分の知っていることを脱ぎ捨てて、
いつでも新鮮で、はつらつとしているということです。
そのとき、心は過去に染まっていません。
「生」、そして真理は生きたものです。
それは生きていて、静止していません。
そして、真理を発見するためには、真理そのものと同じように、
生きていなければなりません。
つまり、過去の知識、経験という重荷を背負っていないということです。
そのときにだけ、真理とは何かを刻々と発見できるはずです。
「生」を深く探究するためには、
まず初めから心が自由でなければなりません。
ある一つの固定した観念や経験、記憶、信条、見識から出発し、
それを基礎としてしまえば、心は自由ではありません。
また、そこから深く進んでいくこともできません。
真理を発見し、それを生きるためには、
古い経験や知識、あらゆる過去に対して自分を脱ぎ捨て、
常に新たでなければなりません。
そのときにのみ、日々活き活きとした発見や創造性があり、
本当の豊かさと瑞々しさの中で生きていくことができるはずです。
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