タオイズムの智恵 NO.10

2015年4月16日

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真の聖人とは、どういうものだろうか。
聖人は、たとえ逆境の時でもいたずらにそれに逆らうことはせず、
成功している時でもかくべつそれを誇ることもなく、
ただ万事をすべてあるがままにまかせ、
ああだこうだと思い煩うことはない。

こうして境地にいる聖人は、
たとえどんな過失があってもくよくよと後悔はせず、
物事がうまくいっても自惚れたりはしない。
聖人は、高い境地にたどり着いてもびくびくせず、水に入っても溺れず、
火の中に入っても焼かれることはない。
なぜそうなのか?
それは、聖人の認識は世俗的なレベルを超え、
万物と真理と調和しているからである。

聖人は、雑念にとらわれることがない。
だから眠っている時も夢を見ず、
目覚めている時もなんら不安や心配事をもたない。
物を食べても美味いものに惹かれることもなく、その呼吸は常に安らかである。
聖人は常に深々とカカトから呼吸をするが、凡人はのどから細々と呼吸をする。

聖人は、生にことさら執着することはなく、
死を憎むということもない。
生まれてきたことを嬉しがることもなく、
死んでいくからといって嫌がることもない。
ただ悠然として在り、
悠然として生き、
悠然として去って行くだけである。

どうして生まれてきたのかを知ろうともせず、
なぜ死んでいくかを知ろうともしない。
生命を受けたからにはそれを受け入れ、楽しみ、
死ぬときは万事を忘れて全てを返上する。

こういう境地を「自然の道理にまかせて生きる」というのである。
そしてこういう境地にいる者こそが、まさに真の聖人なのだ。
その人の心は万事すべてを忘れ、心はいつも清々しく、
その姿は静謐そのものである。
引き締まった凛としたその姿は晴朗な秋のようであり、
その温かさは春のようであり、
感情の動きは四季のようにごく自然で混乱することがない。

こうして万象の動きに適切に応じ、
迷うこともなければ悩むこともなく、
そうしてそのような生がいつまでも果てしなく続いていくのである。


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