執着と欲望を理解すること

2015年3月24日

日の出

どのようなレベルのものであっても、
「これがどうしても欲しい」
「私はあんなふうになりたい」
「もっと幸せになりたい」
「もっと獲得したい」
「私は完璧にこうあらなければだめだ」
「かつての私はこうだった」

このような欲望や自分への執着があるかぎり、
そこには必ず恐怖や悲しみ、葛藤が生じてきます。

自分が何かを欲し、執着するや否や、
「自分はこれを得られないのではないか」
「いつもの安定した自分に戻れないのではないか」
という恐怖や葛藤が生まれてきます。
そして、たとえ欲したものを獲得できたり、
いつもの心の安定を取り戻せたと思っても、
それを失うことへの恐怖はいつでもそこにあり、
同時に失ったときは必ず悲しみにとらわれてしまいます。

このように、欲望や野心、自己執着は、
いずれ恐怖や不安、悲しみに行き着いてしまいます。
この真理を見ることが重要だと思います。
このことが分かれば、
精神は「もっと得よう」とか、「もっと幸せになろう」とか、
「元の自分に戻りたい」とか、「もっと違う自分になりたい」とか、
こういった欲と執着に基づいた動きをしなくなるはずです。
そしてそのように精神そのものが静まって、
自我に囚われなくあることで自由が生まれます。

自我、欲望それ自体が、恐怖や悲しみと表裏一体であるという真実を見、
その真実を見ることが、精神それ自体に変化をもたらします。
恐怖や悲しみを超えて、自我に囚われずに生きることを学ぶ。
真の自由は、そのような真理を見ることから生まれるばずです。


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