J.クリシュナムルティのメッセージ NO.32

2015年2月17日

砂漠

敏感であるとはどういうことか、知っていますか。
確かにそれは、物事に対し優しい感情を持つということです。
動物が苦しんでいるのを見て何とかしたり、大勢の人が素足で歩くから道の石をどけたり、
誰かの車がパンクするかもしれないから道の釘を拾うのです。
敏感であるとは人々や鳥や花や樹を思いやることです。
それらが自分の物だからというのではなくて、
ただ物事のとてつもない美しさに目覚めているからです。

君が深く敏感であるとたんに、自然に花を摘みません。
ものを壊したり、ひとびとを傷つけたりしたくないという自然な願望があるし、
それが本当の尊敬、愛を持つということです。
愛することは人生で最も重要なことなのです。

しかし、愛とはどういうことでしょう。
その人物がお礼に愛してくれるから愛するとき、確かにそれは愛ではありません。
愛するとは、何の報いも求めず、とてつもない愛情を持っていることです。
君たちはとても賢いかもしれません。
試験に全部受かって、博士号を取って、高い地位に昇進するかもしれません。
しかし、この感受性、この単純な愛情を持っていなければ、
心は空しいでしょうし、君は一生惨めでしょう。

それで、心がこの愛の感覚に満たされていることはとても重要です。
というのは、そのとき君たちは破壊しないし、非情ではないし、もはや戦争はないからです。
そのとき君たちは幸せな人間でしょう。
そして幸せだから祈らないし、神を”求め”もしないでしょう。
というのは、幸せ自体が神であるです。


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