「過去」と「自分」を手放す生き方

2014年12月18日

Rainbow and meadow

私たちの多くは、過去と未来に囚われがちです。
過去の自分、未来の自分。
どちらも大事な自分であるからこそ、
その過去と未来を失うことへの恐怖が生まれてきます。

このような恐れをもつことなく生きることはできるでしょうか?
もう過去にも未来にも縛られずに生きることができるでしょうか。
そのような囚われのない心こそ本当に自由な心です。
それは「あるがままの現実」だけを生きる心です。

「あるがままの現実」とは、過去や未来ではなく、「今」という現実です。
それは嘘偽りなく、あるがままの現実です。
その現実から目をそらせば、それ自体が恐怖を生むことになります。
現実から逃避することが、恐怖を生んでいるからです。

では、あるがままの現実に留まることはできるでしょうか。
あるがままの現実そのものを生き、過去にも未来にも執着せずに、
心を何ものにも縛りつけずに自由に生きることはできるでしょうか。
それはもう「自分」というものに執着しないことを意味します。

もし本当に自分というものを手放してしまえるならば、
恐怖や不安のない真の自由というものが生まれるでしょう。
そのような自由は、途方もなく軽々として、しなやかで、
かつ自由であるがゆえに無限のエネルギーや豊かさを宿しているでしょう。
人生を本当に豊かにするのは、そのような恐怖を持たない自由な心です。
恐怖がないからこそ、何でも探究し、冒険し、
まるで子供のように活き活きと、はつらつとして生きるようになるでしょう。

過去と未来、その心の時間を超えて生きること。
それは「あるがまま」を生きることです。
過去への執着、未来への執着が、恐怖を生んでいるということを理解できれば、
人はそのような心を縛る過去と未来を手放してしまうでしょう。
手放さなければ、心は恐怖に囚われたままだからです。
本当に手放すことができれば、人は「あるがまま」の現実を刻々と生き、
そしてそれが真の自由となり、鳥のようにしなやかとなって羽ばたくでしょう。

鳥は、死ぬことも恐れません。
空を飛ぶ鳥は、過去も未来も持たないからです。
自分に執着せず、今を生きることに精一杯だからです。
自分を忘れて、生きているのです。
そのように、何もかも手放して、何も持たず、鳥のように生きれるでしょうか。

自分に執着しない─過去にも未来にも囚われない─それが自由な心であり、
そのような心は、まったく新しい人生の扉を開くのです。


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