無為自然な瞑想

2014年10月22日

バックグラウンド

瞑想は「何かになる」ために行うものではありません。
瞑想は目的達成の手段ではなく、
また何かを成就するために行う行為でもありません。

瞑想によって「何かになろう」「何かを得よう」と考えている人が多いです。
例えば、瞑想は霊的な成長のために必要であり、
自分の霊的な進化のためには不可欠なものである、と。

しかし、霊的な進歩を「目的」として瞑想をするならば、
それは自己満足と自己達成への欲望にすぎません。
「何かになる」こと、「何かにありたい」とすることは、
瞑想の行為ではなく「エゴ」における欲望の行為です。

瞑想においては達成されることは何もありません。
瞑想とは常に生きたもの、刻々と変わり続けるもので、
何かに「達する」ものでも、「成り立つ」ものでもありません。

達せられるものは人間が自分で決めた目標地点にすぎず、
そのような目標はどこまでいっても人為的なものです。
人為的なものは瞑想ではありません。

瞑想とは作為なしに起こるものであり、
人間の生まれる前から永遠にあり続けている「生」の活動そのものです。
生き、動き続けているものに「到達点」というものはなく、
瞑想とは行き着く地点も定かではない未知なる永遠の旅です。


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