タオイズムの言葉 NO.6
2014年10月14日
門弟は、もう一人の門弟に尋ねた。
「私は先生からこのような話を聞いた。
『聖人は俗人たちのするような仕事に身をゆだねず、利を求めず、害からも逃げな
い。
人から求められてもいたずらに喜んだりせず、
決まりきった習慣に従って生きることもしない。
無言のうちで真理を語り、もの言いながら何事も語らない。
生に煩わされず、死を恐れることもない。
こうして俗世の外に出て遊ぶのである』と。
こう語った当の先生は、
これはでたらめで適当なことを言ったにすぎぬと言われる。
しかしこれこそまさに聖人の道ではないかと思われるのだ」
もう一つの門弟は言った。
「それはまさしく意味深い言葉だ。
聖人は月日の流れるままに生き、宇宙を脇に抱えて持ち歩き、
自分と万物を完全に調和させ、一つとなって生きる。
あらゆるものを自然のままに、混沌のままにしておく。
世俗では無価値と言われるものに真の価値を置き、
価値の差別対立を超えるのである。
これに比べ、俗人たちは一生あくせくしながら心身をすり減らし、損なうが、
聖人は何ものにもとらわれず、全てを忘れて生きる。
万年とも呼べる万物の変転に身をゆだね、
なおかつ全きひとすじの純真な光の中で、道を守りながら生を歩む。
万物の一切をそのあるがままで良しとし、
穏やかな心でもって全てを受け入れるのである」
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