スピリチュアルな箴言 NO.17
2014年9月3日
霊性というものは人生に対する内的な姿勢の結果として、
自然に湧き出し、発露してくるものでなければならない。
霊性は特定の方法や行によって獲得するようなものではないのである。
チベットの賢人たちは、瞑想するために特別な姿勢をとったりは決してしない。
ひざまずくこともしなければ、特別な祈りの姿勢をとったりもしない。
チベットの賢人たちは決まったときにしか祈らないような人々ではない。
彼らにとっては、生活全体が祈りなのだ。
これに対し、近代的な瞑想の中には、
複雑な方法と祈りの体系を作り上げていることが多く、
複雑さはさらに増すばかりである。
チベットの賢人たちはこれとはまったく違う。
彼らは決して物事を複雑化しようとはしない。
真の賢者の一人はこう言う。
「真の瞑想とは強いることなき自然なものである。
物質的なことであれ霊的なことであれ、瞑想から何か見返りを得ようと、
決まった時間に決まった想いに心を集中させることによって、
対立するすべての想いを打ち消そうと悪戦苦闘するのが瞑想ではない」。
真の賢者たちは、
人間の不完全さという症状と戦うために外面的な手法に頼ったりはせず、
まっすぐ「原因」そのものと取り組むのである。
T.イリオン
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