生きることこそ「瞑想」

2014年8月8日

新緑の森

瞑想は、ある一定の時間だけで行われるものではありません。
瞑想は一生を通して起こり続けるものであり、
人として生きる中での全領域にわたるものです。

生活の全て、「生」の全てが瞑想です。
その日その日の生き方、行為、思考、感情―
見つめ、聞き、知覚し、感じ、体験する。
ときに恐れたり、笑ったり、泣いたり、喜んだり、
苦しんだり、悲しんだり、不安になったり―
こうしたものすべてが「生」であり「生きる」ことです。

この生活の中の一つ一つの出来事、
これらに気づき、自分自身で生を見つめること。
自分で理解し、学び、発見していくこと。
それはすでに「瞑想」です。

瞑想とは「生」を通して学び続ける活動であり、
その学びがあるから人生というものは豊かに変化していきます。
瞑想は人間に絶えざる変容をもたらす運動であり、
決して静止することなく動き続けるものです。
私たちは「生きる」ということを通して学びます。
そして絶えず学ぶことは、瞑想です。

まさに「生きること」「生きていること」そのものが瞑想です。
祈ったり、座禅を組んだりすることだけが瞑想なのではなく、
その日その日の生活全体を見つめ、理解し、学び、
「生きている」ということそのものから学ぶことが瞑想の活動なのです。

もし瞑想が意図されたり作為的に行われるものであれば、
それは人間の欲や動機から行われているものであって、
それでは純粋な瞑想の行為とは言えません。
真の瞑想は動機や欲望によって呼び起こすものではありません。
それは川の流れのように、「生の流れ」と共にごく自然にあるものです。
私たちはその流れの中にあり、そこから気づき、学びます。

瞑想は、人間が勝手に作り上げるものではなく、
生きること全体の流れの中にあるものです。
刻一刻とあり続けている「生」の流れそのものが瞑想であり、
あなたに起こること、あなたの周りで起こっていること、
世界全体の動き、それら「生」の運動全体が瞑想そのものなのです。


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