J.クリシュナムルティのメッセージ NO.25
2014年7月9日
人が外部に何かを求めようとするのは、
心の空しさを満たそうとするためである。
または、その心の空しさそのものから逃避するためである。
内側が貧しいからといって、外に何かを求めることは結局は逃避にほかならない。
外に何も見つからないときは、今度は「内面性」という名のもとに、
自分のなかに何かを探し求めようとするが、
しかしこの動きも外に求めるエネルギーと同じものである。
この内と外への二つの動きは、いずれも葛藤を生み出す力であり、
どちらも終止符を打たなければならない。
外に求める心も、内へと求める心も、全て放棄することである。
空しさがそこにあるからといって、いたずらに逃避しても混乱が増すばかりだ。
まさにそのように逃避することが精神の働きであり、その本性なのである。
精神を空しいままにしておくことだ。
そこから逃げようとしてはいけない。
精神が空虚そのものであるならば、精神はそれによって自らを浄化する。
精神は自らの欲や羨望を綺麗に洗い落とすのである。
そのように精神そのものが内へも外へもどんな動きも持たず、逃げず、
過去も未来も超えるとき、そこにはもはや空しさは存在しない。
あるのは信じがたいほどの沈黙の広がり、「今」における生命の無限である。
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