恐怖から自由な心

2014年7月3日

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私たちは恐怖という感情を理解し、それを乗り越える必要があります。
心の中に「安心したい」という要求があるかぎり、恐怖はあるでしょう。
人間関係における安心、仕事や地位や財産における安心、
自分の考えや信念における安心、自分の満足や経験における安心、
民族的意識や世界との関係における安心―

どのような形、どのようなレベルのものであれ、
心が安心や満足を求めるところに、必ず恐怖があります。
そこで、重要なのは、この恐怖の過程と原因に気づいて、
それを理解することです。

では、どうすれば恐怖を理解できるでしょうか。
それは、恐れているという「ありのままの自分」と向き合うことです。
恐怖という、そのありのままの事実に向き合うことが大切です。
ありのままから逃げずに、ありのままに留まり、それを理解すること。
ありのままとは、自分が恐れているという事実です。

私たちは様々なレベルで恐れを抱いています。
周囲の人々が何を言うだろうか、どう思っているだろうかと恐れ、
自分の楽しみや満足、理想が失われるのではないかと恐れ、
社会を恐れ、病気や死を恐れています。
明日どうなるだろうかと恐れ、自分自身を失うことを恐れています。

そこで、その「ありのまま」の自分と向き合い、見つめ、
ありのままに留まり、それを本当に理解するなら、
そのとき、その明快な理解によって恐怖はやみます。
「こうあるべきだ」という理想によって逃避するのではなく、
「ありのまま」―自分が恐れているという事実―と向き合うことで、
私たちは恐怖という感情を理解できます。
もし、「こうあるべき」という理想に逃げ込んでしまえば、
それは問題をただ延期するだけで、まったく解決には向かいません。

ありのままを見るということが本当に大事なことです。
自分自身の欲、野心、願望、気晴らしへの逃避、寂しさ、不安、恐怖―
そのありのままの自分を見つめ、理解し始めるならば、
心は徐々に静まり、忙しく動き回ることをやめるでしょう。
そして「こうなろう」「ああなるべきだ」という心理的な時間が終わり、
心はとてつもなく単純で、無垢で、明快になることに気づくでしょう。
この静けさと、無垢と、単純明快な心の中で、
恐怖という感情は理解されます。

恐怖から自由な心は、
そのような単純で無垢な心、静けさに溢れた心です。

 

 


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