スピリチュアルにおける神

2014年5月15日

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スピリチュアル、精神世界の領域においては、
神というのは一つの大きな存在感を持ちます。
しかし、悪いことに「神」という言葉に執着してしまう人々もいます。
神は自分自身にとってなくてはならないもので、神なしには自分はありえない、
そのような気持ちで神に依存してしまうのは危険です。
なぜなら、そのような依存や欲望は、神を我が物にしようという力だからです。

神に執着することは、神を我が物として所有しようとすることです。
神を欲し、神と共にあろうとすることは、人間の欲望の一つです。
そしてそのような欲望は、たとえ神という崇高な対象を相手にしたものであっても、
世俗的な欲望や快楽となんら変わらない次元にあります。
結局、自分の満足のために神を求めるならば、それは世俗レベルの欲と一緒です。
神とは、決して快楽や自己満足の対象ではありません。

神がそこまで私たちにとって必要なものになってしまったら、
私たちは神を失うことを恐れ続けながら生きることになるでしょう。
ある人々ににとって神や神秘というものがあまりに重要になり過ぎているので、
精神はそれに執着してしまい、むしろ逆にそれに縛られてしまっているのです。
神と共に生きていると言いながら、その神を失うことを恐れて生きているのです。

どんな心の所有物であれ、何かに執着するならば、それは恐怖の元となります。
人は神や神秘を求めるかもしれませんが、
しかしそのような求める心自体が欲望であり、エゴから発せられたものです。
神は求めたり得られたりするようなものではありません。

神、神秘、高次元なもの─
こうしたものにさえも依存しない、執着しない、自由な精神が必要です。
精神は何ものにも縛られずに自由であって初めて、本当の真理を理解するのです。
恐怖に縛られた精神がはたして真理を見ることができるでしょうか?
依存や執着は恐怖を生みます。恐怖があるところには真理もありません。
何ものにも依存せず、まっさらな自由な精神こそ大切なものです。
その自由な精神性からこそ、本物のスピリチュアルが生まれるのです。


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