賢者からの助言 No.26

2014年4月17日

ギンナン

子供のように「何も知らない無垢」だけが、
生の創造性を開花させ、終わることなき新しさを生む。

無垢のみが、退屈さを知らず、虚しさを知らず、
活き活きとした不滅の精神を生み出す。

詰まりに詰まった知識、言葉、過去の経験といったものに縛られ、
心を固定化させているならば、この「無垢」は決して生まれない。
無垢とは、昨日も明日も持たない「空っぽの精神」である。
この空っぽの中に、無限の飛翔がある。

子供は神に出会う。
子供の心は、知識に汚されておらず純真な無垢であるから。

「何も知らない」ということこそ、最高の豊かさである。
それは、未知なる不滅性そのものである。

未知なるものに終わりはない。
未知なるものに始まりもない。
知りえないものは、永遠であり、到着地点がない。

知識には終わりがある。
知識とは到着地点であり、滞ることであり、過去である。
知識でもって説明されるとき、無垢は失われてしまう。
子供にはどんな説明もいらない。
子供は子供のままの感性で、宇宙の神秘を感じている。
しかし大人のように理詰めで物事を考え、知ろうとするとき、
子供のような瑞々しい無垢は失われ、神も見失ってしまう。

詰まりに詰まった知識が、精神をありきたりなものにしてしまっている。
知識は、生を豊かにはしない。
科学は、生の神秘を覆い隠す。
科学的知識が人間の精神の豊かさを真に開花させることはない。

生命とは、測り知れないからこそ生命なのだ。
説明不可能だからこそ生命なのだ。
現代には「科学で説明されることで真相が解明されている」という思い込みが存在する。
言葉で巧みに説明され、それがあたかも解答であるかのように納得させる。
しかしそれこそ神秘を失わせてしまうものだ。

子供は純真で無垢であるがゆえに、開かれた無限の感受性をもつ。
生の神秘を感じるのは、このような無垢である。
その感受性は、知識、言葉、説明といったものの遥か彼方にある。

「知っていること」から自由であること。
情報、科学、言葉、説明、解釈といったものを超えること。
完全に未知であること。
その終わりなき未知と無限の中に、真の生がある。


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