「生きることへの執着」を捨てること

2014年4月4日

泡

ただひたすら生きることだけに執着するのは、醜いことです。
もちろん私たちは生きていかなければなりませんが、
その生に対してあまりに執心が強すぎるのは心の卑小さです。

問題なのは、ただ単にエゴによって生に執着することです。
そのような生への執着の背後には、死への恐れがあります。
生を失うこと、自分を失うことへの恐れです。
その恐怖が、生への執着を生みます。

生へひたすら執着する心は、常に絶え間なく怯えています。
それは恐怖、不安の塊であり、そのような生活は苦しみでしかないでしょう。
そこには何ら自由はなく、心の闘いしかありません。
そのような生は不幸であり、人間として決して幸せに生とは言えません。
不安や恐怖にとらわれた人生がはたして「幸せ」と言えるでしょうか?
幸せがあるためには、「自由な心」がなければなりません。

一輪の花は、生に執着していません。死をも恐れていません。
時が来たら、それで終わり。死を受け入れた姿がそこにあります。
生まれ、花開き、自然と枯れていく。それが花の姿です。
花のような無執着の姿こそ、命の美しさです。
そこには「自分の生を失うことへの恐怖」はありません。
生きることへの執着がまったくないのです。
まさにそれこそ、真に自由な生き方です。

これとは反対には、人間はひたすらに生に執着しようとします。
だから不幸や混乱が終わることがありません。
生への執着を捨てるというのは、生きることを諦めるということではありません。
人は生きなければなりません。しかし、執着は必要ありません。
生きながらも、生きることに執着しないこと。
かの花のように、自然に生き、自然に花開き、かつ生きることに執着しない。
やがて時が来て死が訪れるときは、それを静かに受け入れる心を持つこと。
それが本当の美しさです。

この美しさがあるならば、人は真に幸福に生きることができるでしょう。
そこにあるのは、もうどんな不安も恐怖もない、花のような美しい生です。


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