精神の成長と教育について NO.5

2014年3月27日

ブルーベリー

 

教育の真の目的は、
若い人々が「生」というものを自分で見出し、発見できるように、
すべての伝統や偏ったモラルから自由にすることです。
そうでなければ、心は既成の知識に縛られ、機械的になってしまいます。
心は絶えず知識の蓄積から自由でなければ、
神的なもの、至高のもの、永遠のものを発見することはできません。
霊的な発見というのは、知識を超えたものだかにです。

もちろん、日々の生活の中では知識は必要です。
また、文化や社会に適応するための一定の伝統も必要です。
しかし、それらは一定のレベルにおいて役立つだけであり、
霊的な分野ではむしろ知識は有害になります。
霊性とは、過去の知識を超えて「新しい心」にこそあります。

現在の教育は、知識に比重が置かれています。
大学では、様々な科学的な知識や専門知識を教え込まれます。
もし、生というものが知識だけに基づいていたら、
新しいものを発見することはできません。
まったく新しいものを発見するには、知識や伝統からの自由が必要です。

本当に霊性に溢れるとは、創造的であることです。
創造的であるとは、心が自由に究明し、発見し、「生」を見出すことです。
この自由な探究、発見は、「自発性」があることであり、
自発性があるということは、過去のいかなる知識にもとらわれないということです。
そうしてのみ、生を自由に探究し、新しい次元を発見することができます。

教育は、若い人々の中にこのような創造性と自発性を養わせることです。
さもなければ、若い人々はただ社会の型枠にはまってしまうだけでしょう。
物質主義的なこの文明社会や、偏った伝統に埋没してしまうだけです。
そうなってしまうことは不幸であり、本当の「生」とは言えません。
そのため子供たちが若いときから、知識に縛られないことの重要性を知り、
新しい「生」を発見するために、また「生」を創造していけるために、
精神は自由でなければならないということを自分で悟る必要があるのです。


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