精神の成長と教育について NO.4
2014年3月20日
多くの若い人々は、社会の適合しなければ生活の糧を得られないだろうと恐れています。
もし父親が法律家なら、自分も法律家にならなければならないと考えたり、
女性であれば、嫁(とつ)がなければならないと考えたりします。
こうした固定観念や世間の常識に縛られていれば、一体何が起こるでしょうか?
若い人々は最初は活力と情熱に溢れて人生を歩み出しますが、
しかしいずれは両親や教師や社会などの圧力によって失われてしまうのです。
知識をいっぱい身につけて卒業し、世の中に入っていきますが、
すでにそのころには「生」を探究し、創造する能力は薄れ、
既存の社会や伝統に抗する活力は失われ、ありきたりな人間になってしまうでしょう。
こうして型にはまった人生を歩み、本来あるべき精神性の開花も消えてしまいます。
若者は学校で博士号や修士号の試験に受かっても、
そのあとは当たり前のように社会に従属して生きていくことになるかもしれません。
そのような若者は月並みで凡庸な人間になってしまうでしょう。
なぜなら、若者は社会の外に出ることを恐れ、それ以上のことはしないからです。
型にはまり、社会的な地位と安定を手に入れれば、
あとはもうそこから打って出ることを恐れるようになるです。
そしてその傾向は、世代から世代へと模倣されていきます。
そこには、真の自発性も、自由も、幸福も、精神の開花もありません。
多くの両親は、子供にそのような人生を望んでいます。
社会に適合すること、社会の枠内から外れないことを望みます。
まさに「型にはまった人間」を作り出し、そこに安住させることが、
これまで多くの親や国家がやってきたことです。
特定の国、階級、文化、伝統、常識、ありきたりな生活に属することで、
親も、社会も、そして自分自身も安心を得ていると思い込みます。
しかし、そのような人生、そのような生活に真の光はあるでしょうか。
そこで若者が真に自由であること、自分の足で自立することが大切になります。
外面的だけでなく、深く内面的にも自由であることです。
若者の精神を支配し、型にはめようとする様々な影響の存在に気づき、
その落とし穴にはまらないようにすること。
社会のあり方を簡単に受け入れるのではなく、常に問いただし、
自分で探究し、自由な創造性を開花させていくこと。
これこそ教育において最も重要な事柄であり、
若者の精神の中に育んでいかなければならないものです。
こうした精神の自由、創造性が開花すれば、
そこからまったく異なった次元や世界を見出すことでしょう。
物質を超えた霊的なもの、スピリチュアルな豊かさを見出すのも、
そのような自由な精神があってこそです。
型にはまらない、既存の社会にはまらない自由な精神をもった若者こそ、
生における真理と真の光を発見することでしょう。
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