開かれた心
2011年9月15日
あるがままの現実を、そのあるがままに見るためには、
私心のない開かれた心が必要です。
開かれた心とは、自分を押し付けたり、自分勝手に判断したりせず、
物事をただそのあるがままに見ることができる心です。
私たちは、他人を勝手に判断したり、言葉で言い争ったりしますが、
開かれた心は、他者をそのあるがままに認めます。
それは自己を主張したり、相手を非難したりせず、
純粋に相手の言動を見つめ、聴くという心持ちです。
ただ見つめ、ただ聴くところに、エゴはありません。
自己の価値観を押し付けたり、相手を非難するのではなく、
相手をそのあるがままに認め、受け入れます。
相手に文句を言ったり、非難したり、自分の価値観を押し付けるということは、
同時に自分自身に固執し、執着していることです。
自分自身に固執しているから、相手を認めようとしないのです。
そこにあるのは卑小で未熟な自己執着、つまりエゴです。
開かれた心とは、まったく自己執着のない心です。
それは完全なる自己放棄から生まれる心であり、
そこには自分に固執したり、自分を押し通そうとしたりする心はありません。
開かれた心は、自由に見つめ、自由に聴く心であり、
目の前の一切の物事をそのあるがままに受け入れる心です。
自己判断や、自分勝手な評価を加えるのではなく、
物事をそのあるがままに刻々と見つめることです。
そのような心は完全に自由であり、
そのエゴのない開かれた心は、やがて人間の真の美しさへと開花します。
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