死を受け入れる心
2011年9月5日
死を受け入れる心は、死を恐れない心です。
死を受け入れた人は、死に対する恐怖を超えて生きます。
そこにあるのは静かなる精神、完全に平安に満ちた精神です。
私たちは様々なものを追い求め、それを達成しようと望みますが、
たとえそれがどんなものであっても、死によって全ては失われます。
私たちは自分が得たものは、死後にまで持っていくことはできません。
あなたは何かを所有しているかもしれません。
物質の豊かさであれ、精神的な所有物であれ。
しかしどんな所有であれ、それが永続するということはありえません。
死が、その全てを消し去るからです。
ではなぜ私たちは、より多くのものを望むのでしょうか。
物質の豊かさ、名声や地位、他方には宗教的な達成への欲望。
神を欲し、神を所有したいという欲望―
どんな心の所有物も、観念も、全ては一時的で消滅的なものにすぎません。
私たちは心の所有物、心の支えを失うことを恐れ、絶えず不安を抱いています。
その不安の根源は、全てを失うことへの恐れ、死への恐れです。
何かを所有するたびに、何かを得るたびに、それを失うことを恐れる。
全てはその繰り返しであり、それは死を受け入れようとしない心の動きです。
死という、何もない無を受け入れられないからこそ、心は絶えず逃げ回ります。
しかし死は、そこにあります。
それは現実であり、誰もその運命から逃げられません。
ではこの現実、死という現実から目を背けずに生きることができるでしょうか。
死という現実を受け入れ、それと共に生きることはできるでしょうか。
死を受け入れた精神だけが、本当の自由を持ちます。
なぜなら、そのような精神は生に執着することがないからです。
それは全てを捨てて生きる精神であり、それゆえに一切の恐怖から自由なのです。
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