謙虚な心、宗教的な精神
2013年8月23日
宗教的な精神において、謙虚さとはとても重要なものです。
謙虚さとは、自分の欲を捨てて無私の心を持つことですが、
その心が欠けていると、人は誤った道を歩んでしまいます。
霊的な進歩というのは、何かを成就したり達成したりすることではありません。
また、盲目的に神を追い求めたり、神秘的な体験を追い求めることでもありません。
霊的な進歩というのは、心の成熟を意味します。
そして心の成熟とは、心そのものが厳粛さや神聖さを持つということです。
厳粛さや聖なる性質が人間に宿るためには、謙虚な精神が必要になります。
謙虚さがないとき、人は高慢や傲慢さに溢れています。
また、果てしない欲望や野心にもとらわれます。
そのような精神では、霊的な成長はありえません。
だからこそ謙虚さが必要です。
謙虚さ、それは無私の心です。エゴなき精神です。
謙虚さなくして、真の霊性もありません。
心の謙虚さこそ、本当の宗教的資質なのです。
謙虚さとは、無私であり、美しさであり、静かさであり、豊さです。
そこから厳粛さ、聖なるものが人間のうちに宿ります。
厳粛さ、聖なるものがあるとき、人生は神的な性質を帯びます。
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