瞑想のあり方 NO.23
2013年7月26日
ただ独りの時間があってこそ真の瞑想があります。
集団や世俗の中だけに埋没しているならば、深い瞑想は起こりません。
孤独な空間を作り、静けさの中で起こる瞑想こそ、本物の瞑想です。
何ものにも邪魔されず、静かに独りで過ごせる時間を持つことは大切です。
それは怠けたり、快楽に身をゆだねるということではありません。
それは「生」というものに対して機敏で注意深くあるということです。
静けさの中にあって初めて、心は深く気づき、鋭敏になるからです。
騒がしいおしゃべりの場や、せわしない雑踏の中では、
心を静かに澄まして注意力を働かせることはできません。
そのような中では気づきの能力も高まりません。
「生」に深く気づくには、孤独の時間と空間が必要です。
独りであってこそ「生」に対して注意深くあることができます。
独りでいることで、私たちは自然と深い瞑想に入ります。
心は静まり、不安や心配事は消え、感受性と気づきが高まります。
気づきが高まることで、「生」に対する感受性が研ぎ澄まされるのです。
この深い静かな瞑想の中で、生の大いなる次元が開示します。
完全な孤独ほどに瞑想の豊かさを広げるものはありません。
孤独というのは外面的だけでなく、内面的に完全に静まるということです。
その静寂の中に瞑想の限りない可能性があります。
それは精神の無限の飛翔といえるものです。
瞑想の限りない広がりは、孤独な精神と共にあります。
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