神秘の扉 マイスター・エックハルト NO.2

2013年4月16日

人が神について語ることのできる最も素晴らしいことは、

精神の内なる豊かさの智恵に従い、ただ沈黙することができるということである。

それゆえに、深く沈黙し、神について言葉を並べ立ててはならない。

 

あなたが神について言葉を並べ立てれば、

それはあきらかな嘘となり、罪を犯すことになるからである。

罪を犯さずに完全であろうするならば、

言葉では決して語ることのできない神について言葉を並べ立ててはならない。

 

また、神については何も認識しようとしてはならない。

神は人間の一切の認識をはるかに超えているからである。

ある師は、

「もし自分の神が認識できるようなものであるならば、

私はそれを本当の神とはみなさないであろう」と言っている。

 

もしあなたが神について何かを認識したとすれば、

そこで認識されたものは決して神ではない。

あなたが神について何かを「知る」ということは、

それによってあなたが無知に陥ることとなり、

その無知によって動物に成り果てることを意味する。

 

あなたが動物になりたくないと思うならば、

つまり真に精神的な生き方をしたいと思うならば、

言葉では言い表すことのできない神について何も知ることがあってはならない。

「ああ、それならば私は一体どうすればいいのか」と問う人もいるかもしれない。

 

それに答えて私は言う。

あなたは、あなたの「自己」から完全に離れ去り、神の「自己」に溶け入り、

あなたの「自己」が神の「自己」の内で完全に一つの「自己」となり、

その「一なる全体」となって生きなければならない。

 

そうすれば、あなたは、

神の生まれざる有のあり方と、神の名づけえざる無のあり方とを、

神と共に永遠に認識するのである。


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