恐怖と執着を理解する

2013年4月5日

 

恐怖に囚われ続ける限り、そこに自由はありません。

恐怖があるところ、決して自由はありません。

自由な心の土台とは、もはやいかなる恐怖もない精神状態です。

では恐怖とはどのように起こるのでしょうか?

 

私たちの心は、常に何かしらの対象にしがみついています。

心は、自分の満足、快楽、幸福に執着し、それを手放そうとしません。

心がそれらを所有している限り、人はその安心感を持つでしょう。

しかしそれは同時に、その心の所有物を失うことへの恐怖が生まれます。

 

心は、自分が執着している所有物を失うことを恐れます。

心の所有とは、肉体的な満足だけでなく、精神的な満足についてもです。

心はその所有によって満たされているならば安心しますが、

それが失われそうになると怯え始めます。それが恐怖です。

心の所有、自分の所有を失うこと、つまり自分自身を失うことへの衝動─

それは恐怖の根であり、まさに自己自身が恐怖そのものなのです。

 

「安心したい」という欲求は、

心が何かしらにしがみつけるものを欲しているのであり、

快楽であれ満足感であれ、自己を高めるものであれ、

その対象と所有が心に安心感を与えるのです。

安心感を得るということは、裏を返せばその安心感を失うことに対する恐怖があり、

それによって結局は心の自由が失われてしまいます。

安心したいという衝動があるところ、そこには必ず心の執着があります。

 

自由であるとは、もはや何ものも所有しないことであり、

自分自身がしがみついているものに執着しないということです。

それは同時に「自分」というものに執着しないことです。

ほかならぬ自分への執着が恐怖を生んでいるからです。

 

何も求めず、何も持たず、ただ心が空っぽであること。

どんな精神的所有物への執着を手放し、自分自身を手放すこと。

そうして初めて、心は真に平安に満ち溢れます。

自己防衛として心を闘わせることをやめることが、自由への第一歩です。


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