「評判」への関心
2013年2月8日
私たちの多くは”自分の評判”というものを気にしているのではないでしょうか。
社会の目、周囲の目というものをどうしても気になり、
絶えず、周囲と自分を、他者と自分を比べてしまいます。
世間の評判、自分への評価、他人の目、社会の目―
こうしたものに囚われ続けるということは一体どういうことでしょうか?
それは絶えず比較によって不安や恐怖を抱えながら生きることになるということです。
そのような生き方がはたして「自由」と言えるでしょうか。
なぜ私たちは自分の評判や他人の目というものを気にするのでしょうか。
中には自分の評判を上げることに躍起になって活動している人々もいます。
それは一体どういうことなのでしょうか。
結局評判を気にするということは、
「自分」がいかに見られるかということに心を奪われているということです。
つまり自己への執着、そのエゴです。
しかし自己執着があるところに美はあるでしょうか?
自己の評判を追い求め、またそれを守ろうとする闘いがはたして美でしょうか?
自分の評判が損なわれることを恐れる生き方がはたして本当の自由でしょうか?
自己執着は人間の心の醜さ、愚かさ、未熟さです。
自己執着があるところには、善も、美も、、英知もないのです。
なぜなら自己への執着は、恐怖に基づいた運動であり、
そのような活動性は破壊的で混乱したものだからです。
よって評判や自己の評価というものへの執着を断ち切るということは、
自己そのものへの執着を断ち切るということです。
この自己放棄があってこそ、善と美は花開き、英知も育まれるのです。
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