瞑想の真のあり方

2012年10月12日

 

瞑想をするということにおいては、本来何の制約もありません。

瞑想を深めるために、修道院や寺に通う必要もありません。

瞑想とは、普段の日常生活から離れたものではなく、

むしろ日常の生活そのものが瞑想です。

 

瞑想とは、何かを成し遂げることでも、追い求めることでもありません。

瞑想とは学びであり、理解であり、真理を見出すことです。

達成や自己満足はただの欲望の結果にすぎず、

それは真の瞑想ではありません。

 

何かを求めたり、望んだりするところに瞑想はありません。

瞑想とは、自分自身の心の動きに気づくことであり、

同時に自分のその心を理解することです。

 

人間の心は多くの問題を抱えています。

恐怖、不安、悲しみ、葛藤―その他多くの心の無秩序と混乱があり、

それを理解しなければ人生は決して自由ではないでしょう。

この理解が起こるためには、瞑想が必要になります。

 

瞑想は、自分自身の心を観察し、それに気づき、

そこから学び、理解することです。

学ぶこと、理解すること、見出すことがなければ、

瞑想は何の意味もありません。

 

瞑想は、何か喜ばしい体験を追求することでも、

至高の何かを成就することでもありません。

そのような追求は、人間の欲望、野心、達成欲にすぎません。

むしろそのような体験の追求、欲望を終わらせることが瞑想の働きです。

 

瞑想とは欲心から離脱し、

絶えず心の動きに気づき、絶えず学びつつある境地にあることです。

不断の気づき、不断の学びが、生を新たに創造するのであり、

その創造性こそ、瞑想の本質です。


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