精神的な所有物を手放す
2012年9月19日
私たちの精神は、様々なものを所有しています。
そしてその所有にしがみつき、それを手放そうとしません。
精神がそれを所有している限りは、
何ら問題のない平穏な生活を送れていると思い込むことでしょう。
しかしその背後には、その所有を失うことへの恐怖が必ずあります。
そしていざそれを失ったとき、人は絶望し、嘆き悲しみます。
目に見えるもの、目に見えないもの、
たとえそれが何であれ、
心がそれに執着し所有しているものは、
必ず不安や恐怖の温床となります。
しかしどんな所有であれ、それらはやがては必ず失われるものです。
精神的な満足を与えてくれる経験、知識、名声、人間関係。
または今ある仕事、財産、地位、友人、家族。
自分の健康や満足、幸せ、喜び。
それらはあなたに満足を与えてくれるものかもしれません。
あなたはそれらを保持し、しがみつくかもしれませんが、
どんなものであれ永続する所有というものはないのです。
でかから、それらに執着するのは無意味です。
人は自分が執着していた所有が失われると、
今度は別の心の支えを求め、それを所有しようとします。
しかしその所有もまた、必ず失われるものです。
こうして堂々巡りすれば、心は自らを疲れさせ、
問題でがんじがらめにしてしまうだけになります。
いくらこのことを繰り返しても、そこに心の自由はありません。
むしろそのような繰り返しは、心の苦しみの牢獄と言ってもいいでしょう。
そこには常に恐怖と不安、悲嘆と絶望があるからです。
では、もはや何も求めず、何も欲することなく、
一切の精神的な所有を捨て去って生きることはできるでしょうか?
「自分」と言える一切、「自分のもの」と感じられるその一切を、
徹底的に捨て去って、心を空っぽにして生きられるでしょうか?
そのような心こそ、真に自由であり、
明日もなければ昨日もなく、
ただ「今」という時を生きるだけのものとなります。
「今」だけを生きるとは、無所有の生き方であり、
全てを捨て、かつ生の全てを受け入れる生き方です。
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