観察と瞑想
2012年9月7日
注意を払って観察するというのはとても重要なことです。
なぜなら、注意して観察しなければ、
人は「生」というものを真に感じることはできないからです。
生というものは、この瞬間瞬間に常に動き続けています。
生とは「動いているもの」「生きているもの」です。
記憶や知識ではなく、現に生きているもの、それが生です。
この生をしっかりと知覚するには、
注意を払って観察する必要があります。
機敏な観察力、感受性がなければ、
今起こりつつある「生」を感じることはできません。
本当の意味での宗教的精神というのは、
この真剣さに溢れた注意力を持った精神のことを言います。
そしてその注意力から行われる行為こそ瞑想であり、
瞑想とはあらゆる物事に機敏に気づいている行為にほかなりません。
気づいていなければ、人は眠っているのです。
注意深い観察のあるところ、機敏に生に気づいているところ、
そこには目覚めがあり、開かれた心があります。
生をより深く、繊細に感じられるようになれれば、
人は今までわからなかった生の本質と真髄を見出し、
刻々と新しい生の側面を発見していくことでしょう。
この「生」の新たなる発見こそ、創造性であり宗教です。
深い注意力から生まれる観察は人間そのものを変革させ、
新しい人生を開花させ、まったく異なった生の次元へと飛躍させるのです。
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