自己という牢獄

2012年4月3日

「私がある」「自分が生きている」「自分が存在している」
これこそ人間の人生の根底をなすもので、
この「私」「自分」という意識、感覚に私たちはいつも依存し、執着しています。

「私」「自分」というものを保持し、守り、強化すること、
それが私たちの多くの人生ではないでしょうか。
私たちは常に自分に執着し、自分にこだわり、自分を守り、
自分を失うまいとして心の闘いを繰り広げています。
私たちは「自分」というものを失いたくないのです。

その「自分を失いたくない」という心の動きがまさに「恐怖」です。
人は絶えず「自分」というものを握りしめ、手放そうとせず、
いつかそれが失われるのではないか、傷ついてしまうのではないか、
消えてしまうのではないかと戦々恐々と怯えながら生きています。

自己を手放さないなら手放さないだけ恐怖は延々と続きます。
こうして生きることは戦いになり、恐れなければならないものとなってしまいます。

これが「自己」という鎖、恐怖の鎖です。
恐怖とは「自己を失うこと」に対する心の反応、衝動、怯え、不安です。
「自己」こそが恐怖の根であり、心の苦しみの根源なのです。

自己への執着と依存があるかぎり恐怖というものは人間の中からなくなることはないでしょう。
自己と恐怖は表裏一体の同じコインであり、
「自己に執着する心」とは裏を返せば「恐怖に縛られている心」です。

この自己という恐怖の「牢獄」によって、
私たちの人生は苦痛と混乱の絶えない不幸なものとなってしまっているのです。


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