恐怖の根

2012年3月22日

私たち人間は恐怖を持ちます。
恐怖があるとき、人間の心は決して自由ではありません。
恐怖から自由でないならば、人生そのものが不安と苦痛に満ちているでしょう。

では、私たち人間がもつ「恐怖」というものの根は何なのでしょうか。
一体、私たちは何を恐れているのでしょうか。
一つ一つの枝葉の恐怖ではなく、恐怖というものの根は何なのかということです。

恐怖にも様々な種類があり、人によって抱く恐怖というものは違います。
しかし、違いがあるにせよ、人間の恐怖の「根」というものを考えたとき、
ある一つの大きな原因にたどり着くように思われます。
それは「自己を失うことへの恐怖」です。

私たちは常に、自己を失うことに怯えているのではないでしょうか。
自己、自分、自我、私—呼び名は様々ですが、この「私」という意識、
「私」という感覚を失うことを恐れているのではないでしょうか。

私たちは心理的に自分を守り、かつそれに執着して生きています。
「自分である」ということが、私たちの人生の基盤だからです。
よって、何かしら挫折や不幸、偶然の出来事などによって、
「自分」というものが失われると、人は絶望し、悲しみ、苦しみます。
人は絶えず「自分」を保持しようとしており、
それを失うのではないか戦々恐々としながら生きています。

これこそ「自己」という鎖、恐怖の鎖です。
まさに「自己」こそが恐怖の根であり、一切の心の苦しみの根源なのです。
人生において問題となるのは、この「自己」への執着です。
自己への執着を断ち切り、自己そのものから解放された時にのみ、
私たちは本当の心の自由というものを理解するでしょう。


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