タオイズムの智恵 NO.11

2015年4月17日

試験管

死があり、生があるのは、運命である。
夜があり、朝があるのは、自然である。
人間の力ではどうしようもない力が常に働いている。
これがすべての万物の真相である。

人は自分の父でさえ強く敬うのだから、
ましてや人間をはるかに超えた万物を愛するのは当然ではないだろうか。
人は自分の君主や国に対してさえ命を注ぐのだから、
ましてや宇宙そのものを支配する「真実なもの」に従うのは当然ではないだろうか。
絶対の道とは、人智を超えたものにすべてを任せることである。

大自然は、大地を創った。
そして大地の上に乗せる人間を創った。
人間の肉体を創り、それによって人間は労働ができるようになった。
さらにそれだけでなく、私たちを安楽にさせるために老年をもたらし、
私たちに真の休息を与えるために死をもたらす。
この大いなる万物は、盛と衰、生と死を司るものなのだ。

このように盛も衰、生も死も、すべてはひと続きなものである。
だから、若きを善し認めることは、老いも善しと認めることであり、
生を善しと認めることは、死も善しと認めることである。
このように盛衰も生死もすべて同じものであると考え、
それらの分別にとらわれずに生きることこそ、まさに真理(=道)である。

心は何ものにもとらわれず、万物の働きをあるがままに受けとめる。
若さも老いも肯定し、生まれたことも死ぬことも肯定する。
聖人はこのような境地で生きるのであり、すべての人の模範となる。
真理の道は、万物の根源とつながった生き方なのである。


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