タオイズムの言葉 NO.4
2014年10月9日
道(真理)には、名づける言葉はない。
道を語る言葉で最たるものは、ただ無言である。
道をあからさまに論じ立てれば、逆に道としての本質を失ってしまう。
これは人間の行動についても同じである。
善良な行いでも、それが度が過ぎると偽善になる。
知識も過剰になりすぎれば、無知となる。
勇気も人を害するほどになれば、悪となる。
いずれも過剰すぎる行いによって、道の本性が失われてしまうのである。
では本物の智恵とも何であろうか。
それは「これ以上、知ることはできない」という限界を悟り、
その限界に留まることで最高の智恵となるのである。
さらに「自分は何ものでもない」という謙遜の徳を知ることで、
真の徳が生まれるのである。
何も知らないという境地、限界を悟る境地を「天府(てんぷ)」と呼ぶ。
天府は、まさに自然の宝庫である。
そこでは、いくら注ぎ入れても決して溢れることはなく、
いくら汲み出しても決してなくなることはない。
しかも、それがどこから湧き出で、満ち溢れるかは知るよしもない。
この境地を別の名で「保光(ほうこう)」とも呼ぶ。
永遠に保たれ、包まれる光という意味である。
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