タオイズムの言葉 NO.2
2014年10月3日
人間として生まれ、その形を受けた以上は、
それをありのままに受け入れ、変えることなく、
自然のまま命が尽き果てるのを待とう。
もしこれに逆らい、争って生きるならば、
人は日毎の自分を苦しめ、心を乱すことになろう。
そうなれば人生は駆け足であっという間に過ぎ去っていくことになり、
もはや留めることもできない。
なんと哀れなことではないか。
その一生をあくせくしながら苦しみの中で過ごし、
かといって成功を得るわけでもなければ何かしらの効果も表れず、
体も心もしぼんで、ただただぐったり疲労して茫然と成り果てるは、
まったく愚かで悲しいことではないか。
こんな生き方をしていながら、
「あなたはまだ死んではいないよ」と言ってみたところで、
一体何の役に立つだろうか。
もはや死んでいるのと同じである。
世間の人々は大抵は皆このような人生なのだ。
その肉体を疲れさせていくと同時に、
心まで一緒に衰えさせ、しぼんでしまったのだから。
これが悲劇でなくて何であろうか。
人の生というものは、こんなにも愚かなものなのだろうか。
それとも私だけが愚かで、ほかの人にはそうでない人もいるのだろうか。
もちろん優れた生き方をしている者も確かにいる。
そのような生き方を可能とするのは、
外界のものに動かされず、自分の内なる自然のままの心に従い、
この心を自分の師とすることによってであろう。
この師というものは、自然に誰にも備わっているもので、
たとえ愚か者であっても、もともとその心を持っているのだ。
自然のままに宿る心を自らの師とすることで、
人は成心と智恵を育んで生きていくことができる。
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