J.クリシュナムルティのメッセージ NO.27
2014年8月5日
世俗性を超えるということは、
宗教的な衣服を身にまとったり、断食をしたり、
または意味のない経文を唱えたり、祈りを繰り返したりすることではない。
世俗的な生活や外観を放棄しても、
心の中に羨望や貪欲、自己達成への追求や不安、恐怖があるかぎり、
やはりまだそこには厳として世俗性がある。
名声や理想、神の追求など、
自分の成功と成就を求めることは世俗性に他ならない。
宗教であれ文化であれ信仰であれ、
何かしらの形をとったものは全て伝統であり、世俗的なものである。
聖人のように人里離れた山中に隠棲しても、
貪欲や習慣、自己への執着、心の混乱と苦痛を抱えているかぎり、
そこには世俗性がある。
人は精神的にただひとりであらねばならない。
しかしただひとりあることは孤立することではない。
それはあらゆる伝統や文化的背景を超え、
心の痛苦や欲望、不安や恐怖や葛藤から自由であることである。
ただひとりあるということは、何ものにも属さないことを意味する。
宗教、国家、伝統、信念、教義─などの一切に属さず、
完全にアウトサイダーたることである。
このような単独性こそ、真の宗教性なのである。
世俗のただ中に生きながらも、決してそれに流されることなく、
真に自由に生き、精神の独立性を確固として持つこと。
それこそアウトサイダーたる人間であり、
本物の宗教的精神を持った生き方と言えるのだ。
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