利己心を放棄すること

2014年6月27日

stairs in sky

 

人間の「内的な美しさ」は、エゴの放棄から生まれます。
内的な美しさが本当に備わるためには、完全な放棄がなくてはなりません。

では、放棄とはなんでしょうか。
それは、心が囚われていない、抑制がない、自己防衛がない、
我慢していない、依存していない、恐れていない―といった感覚です。

深い、内的な厳しさを伴ったエゴの放棄がなければなりません。
それは、利己的な心がないということです。
心がもう、得たり、欲したり、獲得したり、
「もっと多く」とか「失いたくない」という考えがないために、
その内的な厳しさを伴った放棄が、美をもたらします。

厳しさといっても、自己否定したり、努力したりということではなく、
それととてつもなく単純で素朴な厳しさです。
この単純素朴な厳しさは、愛があるときにのみ可能でしょう。
愛がなければ、利己的ではない単純な厳しさを持つことはできません。

自分、エゴを放棄するということは、
自分のことを完全に忘れ去り、同時に愛することです。
ただ愛があるとき、自分のことを考えることはないでしょう。
内的な美、創造的な美の状態をもたらすのは、
そのような愛に溢れている人だけです。

この愛とは、個人的な自己愛などではなく、
人類や地球のすべてのものに対して、本当に愛に溢れているということです。
それは自分を完全に手放して、放棄し、
恐怖や自己防衛なく、抑制なく、我慢なく、ただ純粋に愛していることです。

このような愛、そして放棄があるときにのみ、
内的な美と、創造的な状態があります。
それはもう、自分中心で考えることをやめて、
得られない、失いたくない―といった恐怖がまったくないということです。

そのときには、大いなる厳しさと単純さがあり、
それに伴って「生」全体への愛があります。
その全体への愛が、美と、創造性の状態を生むのです。


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