霊的な傲慢さ

2014年4月30日

空

スピリチュアルな生活の中で、
人はときどき「霊的な傲慢さ」というものに陥りがちです。
たとえば、自分は他の人よりも霊的に進歩している、
自分のほうが優秀である、といった思い上がり。
または、自分は神について何でも知っている、自分は悟っているという思い。
そういう霊的な傲慢さは、むしろ災いをもたらすものです。

本当のスピリチュアルの中には、霊的な傲慢さはありません。
真の霊性というものは、むしろ傲慢さとは反対の「謙虚さ」の中にあります。
そして、言葉をたくさん話すよりも、沈黙の状態に重きをおきます。
沈黙こそ、スピリチュアルの土台であり、
体と、精神と、魂との完全な調和をもたらすものなのです。

スピリチュアルは、沈黙の精神の中にこそあります。
精神が騒がしく動いたり、言葉を巧みに並べ立てたり、
または自分は霊的に進歩しているという傲慢さの中には、
決して本当のスピリチュアルの姿勢はありません。
波風一つ立たない湖面のように、つねに静かに、静謐な状態であること、
どんな生存の嵐にぶち当たっても、揺さぶられることのない状態であること、
そういう堅固な状態こそ、理想的な態度と言えます。

霊的な傲慢さがあれば、このような姿勢を持つことはできません。
謙虚であって初めて、精神は静謐を保つことができます。
このように自己を保ち、混乱することのない精神こそ、
本物のスピリチュアルの態度であり、高貴な生き方なのです。


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