「生きている」ということの尊さ

2014年3月19日

富士山

哲学者アユトン・クレナックは、こんなことを語っています。

「私たちは子供にこう教えるのです。
“地上にやってくる時には物音を立てずに鳥のように静かに降り立ち、
やがて何も跡を残さず空に旅立っていくのだ”と。
“人は何かを成すために存在する”という西洋哲学は、銅像を作り、人の偉業を記録に残そうとしてきた。
だけど、”人は何もしないために存在していてもいいじゃないか”と思うのです。
生命を受け、生きていること自体が素晴らしいことなのですから。」

生きているということ、生きていくということ。
それ自体が、とても尊いことです。
しかし、そこから離れて欲望のままにひた走ると誤ってしまいます。

私たちの多くは、いろんなものを追い求め、成功しようと躍起になりますが、そういう活動性を止めて、
ただ純粋に「生きている」ということの素晴らしさに気づきましょう。
そのごく単純な尊さに気づけば、生きることへの取り組み方もまったく違ったものになり、
また、そこから人生観や思考方法も180度変わってくるでしょう。

この世に生を受けたこと自体が、祝福であるということ。
私たちの多くは、この「生きている」ということそのものへの素晴らしさと、
それに対する感謝の気持ちを忘れがちではないでしょうか。
「生きているということ」─その素晴らしさと尊さに気がつけば、
もう躍起になって何かを成し遂げようとあくせくし続ける必要はありません。
なぜなら、生きているということそのものが、幸せであるということにあなたは気づくからです。

何も求めない、何も持たない、何も失わない─そんな自由な人生。
一輪の花のように、美しく、笑って、清らかに、その日その日をただ生きる。
「生きることを生きる」という、とても単純な姿勢。
そうすれば、もうどんな迷いもなく、しっかりと人生に根を張って生きることができるでしょう。
そういう生き方の中で、人間の本当の豊かさは開花するのです。


Trackback URL

http://spiritual-public-foundation.org/message/19666/trackback


世界を変える