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	<title>（財）国際スピリチュアル財団 ／ 英語名：Spiritual Public Foundation（略称：SPF）</title>
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	<description>理念：癒し及びスピリチュアル分野による、国際的な社会全般の利益となる慈善活動・人道活動を行う、正義の拠点となる世界唯一の財団法人　【厚生労働省認可（財）日本薬事法務学会　認定・公認】　ISO9001（品質）‐ISO14001（環境）・国際標準規格マネジメントシステム取得　「短縮URL ＞ http://spf.ac/　」</description>
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		<title>瞑想の形</title>
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		<description><![CDATA[瞑想は、自分の力で制御するものでも、招きよせるものでもありません。 それは自然と意図なく起こるものであって、人間の意志で起こすものではありません。 瞑想は精神的なゲームでもなければ気晴らしでもなく、 また単に知的な遊びで [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/33-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/33-1.jpg" alt="" title="Peaceful scene" width="512" height="349" class="alignnone size-full wp-image-2677" /></a></p>
<p>瞑想は、自分の力で制御するものでも、招きよせるものでもありません。<br />
それは自然と意図なく起こるものであって、人間の意志で起こすものではありません。</p>
<p>瞑想は精神的なゲームでもなければ気晴らしでもなく、<br />
また単に知的な遊びでもなければ慰めでもありません。<br />
瞑想は欲望の対象とはなりえず、かつ快楽や享楽でもありません。</p>
<p>瞑想しようと意志すること自体、瞑想そのものを破壊しています。<br />
瞑想とは、今起こっていることに気づくこと、知覚することであり、<br />
そこから生まれる厳粛な洞察と学びが重要なのです。</p>
<p>型にはめるだけの瞑想、座禅や祈り、詠唱の中には偽善や幻想が多く、<br />
そのような中には純粋な瞑想の形はありません。<br />
むしろ瞑想とは形なきものであり、形がないから常に新しいもの、無限なものであり、<br />
それゆえ決して固定されたものでも型枠にはまるものでもないのです。</p>
<p>ただ見つめ、聴き、感じ、気づき、知覚すること。<br />
その中にはどんな意志も欲望もありません。<br />
ただ見ること、聴くことは欲望ではありません。<br />
気づくこと、知覚することは快楽とはなりません。</p>
<p>瞑想の厳粛さは、その純然たる行為と気づきの中にあります。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>満てる「有」というもの</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2672</link>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 08:54:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[宇宙は存在しています。 宇宙の存在の根源に立ち戻るとき、そこには名前も言葉もありません。 宇宙は無名の中で存在する「有(う)」であり、この「有」とは命そのものです。 草には本来、名がありません。 鳥にも、石にも、星にも、 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/34-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/34-1.jpg" alt="" title="teatime" width="512" height="344" class="alignnone size-full wp-image-2673" /></a></p>
<p>宇宙は存在しています。<br />
宇宙の存在の根源に立ち戻るとき、そこには名前も言葉もありません。<br />
宇宙は無名の中で存在する「有(う)」であり、この「有」とは命そのものです。</p>
<p>草には本来、名がありません。<br />
鳥にも、石にも、星にも、空にも、本来名はありません。<br />
それらは端的に「有」です。名もなき「有」です。</p>
<p>私たちはたいてい名前を通してこの「有」を見ますが、<br />
名や言葉を通さずに「有」を見つめるとき、私たちは一体「何を」見ているのでしょうか。<br />
それは言葉でも名称でもありません。<br />
私たちが今、目の前で、沈黙の中で見つめる「それ」は一体何でしょうか。<br />
その名もなき「有」、ただ存在するもの、そこにあるもの、それは何でしょうか。</p>
<p>あなたは「この不思議」に気づいたことはないでしょうか。<br />
それは「不思議なこと」ではないでしょうか。<br />
なぜ私たちは不思議がらないのでしょうか?</p>
<p>「有」があるということ─<br />
私たちの周りには「有」があります。むしろ「有」しかありません。<br />
あなたはその「有」に気づいているでしょうか。<br />
それはそこにあって、永遠にあり続けるものです。</p>
<p>世界は「有」に満ちています。「有」が世界です。<br />
「有」が生まれ、あり続け、消滅し、そしてまた生まれる。<br />
名もなき「有」の存在、その活動。</p>
<p>この世に聖なる神秘があるとすれば、それはまさに「有」でしょう。<br />
神秘はどこか遠くにあるわけでもなく、来世にあるわけでもありません。<br />
目を見開いて、目の前の「世界」を見つめ、聴き入るならば、<br />
あなたは「有」に満ちた驚くべき生命の神秘の世界を目の当たりにするでしょう。</p>
<p>「それ」はそこに、目の前に、今ここにあります。</p>


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		<title>苦しみが人間を変える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2669</link>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 02:50:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[苦しみほど、人間を成長させるものはありません。 そしてまた、苦しみほど人間を生の─生きることの─真実へと運んでくれるものもありません。 人間の苦しむ意味は、苦しみによって人間が「変わる」ことにあります。 苦しみは人間を変 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/36-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/36-1.jpg" alt="" title="ãã«ã¼ããªã¼" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2670" /></a></p>
<p>苦しみほど、人間を成長させるものはありません。<br />
そしてまた、苦しみほど人間を生の─生きることの─真実へと運んでくれるものもありません。</p>
<p>人間の苦しむ意味は、苦しみによって人間が「変わる」ことにあります。<br />
苦しみは人間を変えます。むしろ苦しみというものは、人間を変えるためにあります。</p>
<p>もちろん心の苦しみというものは、人によってそれぞれ大きさや経験に違いがあります。<br />
人によっては恐ろしいほどの苦悩や心の痛みを背負ってしまうこともあれば、<br />
その苦しみによって心が押しつぶされて立ち上がれなくなるような場合もあります。<br />
しかし、その人が苦しむということ、苦しみを抱えるということは、<br />
それだけその人に成長と変化の可能性があるということです。</p>
<p>苦しみが大きければ大きいほど、それだけ人間精神は耕され、新しい理解と知恵が得られ、<br />
そのことによって人間としての変容の度合いも大きくなります。<br />
極度に重い苦しみ、精神的苦悩というものは、その大きな打撃ゆえに、<br />
人間の人生と生き方そのものを─その生の価値観を─根底から変えます。</p>
<p>「苦しみ」が人間に新しい生とその生の道を指し示し、与えるのであり、<br />
言わば「苦しみ」によって人は新しい生の次元へと運ばれるのです。<br />
その人に与えられる苦しみは、その人自身が経験しなければならないものであり、<br />
それはその人が歩まなければならない道、超えなければならない地平です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>運命が人間を運ぶ</title>
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		<pubDate>Mon, 14 May 2012 01:06:02 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[一人一人の人間に与えられた苦悩の運命というものには、必ず意味があります。 意味があるからこそ、その苦しみ、その不幸は人間に訪れます。 意味のない苦しみ、意味のない不幸の現実というものはありません。 それはその人自身が経験 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/37-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/37-1.jpg" alt="" title="??" width="512" height="384" class="alignnone size-full wp-image-2667" /></a></p>
<p>一人一人の人間に与えられた苦悩の運命というものには、必ず意味があります。<br />
意味があるからこそ、その苦しみ、その不幸は人間に訪れます。<br />
意味のない苦しみ、意味のない不幸の現実というものはありません。<br />
それはその人自身が経験し、生き、学び、自分自身が変わるためにあります。</p>
<p>人が不幸と苦悩の運命を背負うのは、<br />
その人がその運命から何か重要なことを学ばなければならないことがあるからです。<br />
人はその運命に強いられるままに、運ばれるままに、導かれるままに歩まなければならないでしょう。<br />
苦しみと不幸の運命は、その人に何かを教えるべく、悟らせるべく働きかけているのであり、<br />
それは人間を変革しようとする宇宙の働きかけ、偉大な創造的なエネルギーと言えます。</p>
<p>その人だけが背負った運命は、その人が歩むべき道を自ずから指し示すでしょう。<br />
それは一種の啓示であり、人がその啓示の光に気づけるかどうかが重要です。<br />
人は、自分に与えられた運命とその意味を悟り、その運命を愛し、<br />
それと共に生きることで「生」はまったく新しいものとなり、<br />
人間と意識のあり方そのものも大きな変容を迎えることになるでしょう。</p>
<p>運命というものは、宇宙が人間にもたらす変容のきっかけであり、その力です。<br />
その運命が、人間を変え、成長させ、生まれ変わらせます。<br />
人間を新生させること─それが運命の働き、その意義であり、<br />
人は自分が望みもしないのに新しい生の大地へ運ばれるのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>神の身体</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2663</link>
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		<pubDate>Mon, 14 May 2012 01:05:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[神の身体とは、宇宙そのもののことです。 人は神を頭の中で思い描いたり、キリストのような人格を思い浮かべるかもしれません。 しかし、今現在、この宇宙は存在し、維持されています。 この宇宙を、全生命を維持し、支えているのは人 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/37-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/37-2.jpg" alt="" title="Comet" width="512" height="369" class="alignnone size-full wp-image-2664" /></a></p>
<p>神の身体とは、宇宙そのもののことです。<br />
人は神を頭の中で思い描いたり、キリストのような人格を思い浮かべるかもしれません。<br />
しかし、今現在、この宇宙は存在し、維持されています。<br />
この宇宙を、全生命を維持し、支えているのは人間の力によるものではありません。<br />
全ての存在には、その起源があり、かつそれを支える力があります。</p>
<p>人間もまた「存在」です。<br />
人間以外の生物も「存在」です。<br />
草、花、石、雲、星といった自然物も「存在」です。</p>
<p>生命とは存在であり、存在とは生命です。<br />
この世に「存在するもの」はすべて生命であり、<br />
それが「神の有」と言えるものです。</p>
<p>ただ純然と「存在するもの」は善以外にありません。<br />
その存在は神の愛であり、その愛は宇宙そのものです。<br />
宇宙とは神の愛であり、神が神自身を愛する愛です。<br />
なぜなら、宇宙と神は一つだからです。</p>
<p>「存在」は善です。それは神の愛そのものです。<br />
「存在」は極めて高貴なるもの、聖なるものであり、<br />
この「存在の奇跡」というものは私たちの周りのいたるところにあります。<br />
むしろそれしかないのです。<br />
宇宙とは生命であり、存在であり、聖なるものです。</p>
<p>神の愛、神の聖性があるからこそすべては存在し、<br />
その「存在」という奇跡は、永遠に果てしなく続いていくものです。<br />
宇宙という「存在」は神聖なものであり、それは神の身体であり、その息吹です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>運命の航路</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2656</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2656#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 May 2012 10:48:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間に降りかかってくる不幸な運命というものは、 苦難の荒波の中で私たちを運んでいく船のようなものです。 この航海では、もはや人は舵を取ることはできません。 舵を取っているのは、その「運命」─宇宙そのもの─だからです。 激 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/39-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/39-1.jpg" alt="" title="æ£®ã®ä¸­ã®æ± " width="512" height="384" class="alignnone size-full wp-image-2657" /></a></p>
<p>人間に降りかかってくる不幸な運命というものは、<br />
苦難の荒波の中で私たちを運んでいく船のようなものです。<br />
この航海では、もはや人は舵を取ることはできません。<br />
舵を取っているのは、その「運命」─宇宙そのもの─だからです。<br />
激しい荒波の上では、自分で船を自由に操縦することはできません。<br />
人は荒波にもまれながら、どこへ行き着くとも知れないまま運ばれるだけです。</p>
<p>この運命の航路に、選択の余地はありません。<br />
人はもう抗することのできない宇宙の絶大な働きかけによって荒波の海へと投げ出されたのです。<br />
自分で望んで航海を始めたのではなく、強制的に始めさせられたのです。運命の力によって。<br />
自分の意志で荒波を静めることも、船を元の地へ戻すこともできません。<br />
ただ荒波に運ばれるままに、その手を運命にゆだねて運ばれるしかありません。<br />
この先どうなるのか、どこへ行き着くのかもわかりません。<br />
自分が望んでいなくとも、強制的にこの苦難の航海に出なければならないのであり、<br />
それがその人に与えられた運命、進まなければならない生です。</p>
<p>荒波は船を運び、新しい大地へと向かわせるでしょう。<br />
その道程には、もう「自分の意志」「自分の選択」「自分の希望」というものはなく、<br />
また「自分が生きたい生」というものもありません。<br />
荒波に投げ出され、舵が効かない船には、もうどんな自由な力もありません。</p>
<p>そこにあるのは「自分が望む生」ではなく、宇宙が望む生です。<br />
自分が望む大地にたどり着くことではなく、宇宙が運ぶ大地にたどり着くということ、<br />
自分が望む人間になることではなく、宇宙が望む人間になるということです。<br />
運命が、人間の意志や希望とは関わりなくその人を強いて運んでいき、<br />
思いもよらない地へと、まったく新しい生へと進ませるのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「強さ」の追求</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2653</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2653#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 May 2012 10:47:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[どんなものであれ、「強さ」を追い求めることは野蛮でしょう。 強さを追い求めるところには、必ずエゴがあります。 権力、地位、金、記録を求めることも強さを追求することと同じです。 現代社会の人間の活動の底にあるのは、 どんな [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/39-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/39-2.jpg" alt="" title="puzzles of nature" width="362" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2654" /></a></p>
<p>どんなものであれ、「強さ」を追い求めることは野蛮でしょう。<br />
強さを追い求めるところには、必ずエゴがあります。<br />
権力、地位、金、記録を求めることも強さを追求することと同じです。<br />
現代社会の人間の活動の底にあるのは、<br />
どんな種類のものであれ「強さの追求」ではないでしょうか。</p>
<p>強さというものは、自我(エゴ)を高めます。<br />
エゴが大きくなればなるほど私たちは暴力的になります。<br />
暴力というものは、物理的なものだけでなく精神的なものもあります。<br />
精神的な暴力で相手を傷つけることは人間関係の中ではよくあります。</p>
<p>強さがあるから力を振るうのです。<br />
強さを持っている人間は他者に暴力を与えます。<br />
力の暴力、心の暴力―全ては自分以外のものを攻撃するためです。<br />
ビジネスや経済的な戦争の中にもあきらかに暴力はあるでしょう。<br />
私たちの世界がまさにそうなのです。</p>
<p>強さを求めることは、暴力を求めることです。<br />
そしてそれは自我を強化することであり、悪しきもの以外にありません。</p>
<p>強さは善ではありません。善は暴力ではありません。<br />
善とは、完全なる無力、完全なる無私です。<br />
それは野に咲く花がそうあるように「ただ存在するもの」です。</p>
<p>「ただ存在する」ということに暴力や強さはありません。<br />
「ただ存在する」ことにどんな欲望も追求もありません。<br />
「ただ存在する」ことから離れ、<br />
強さの追求やエゴの欲望に流れてしまうとき、悪が生まれ全てが汚れるのです。</p>
<p>強さというものは善とは正反対のものです。<br />
善は、強さというものがまったくない「無」であるところにあります。<br />
それは一輪の花のように無力であり、<br />
それゆえそこには「ただ存在する」ことの美しさと聖性があります。<br />
それは生命そのものが持つ聖性、宇宙の測り知れない聖性です。</p>
<p>強さと暴力は、この生命の美しさ、宇宙の聖性を破壊するのです。</p>


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		<item>
		<title>「心」という存在</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2650</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2650#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 May 2012 13:33:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間は心を持ちます。 心があるから様々な感情が湧き、同時に苦しみや悲しみを持ちます。 このような「心の動き」というものは、それ自体に意義があります。 意義がなければ「心」というものは存在しないでしょう。 それは意義がある [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/41-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/41-2.jpg" alt="" title="stairs in sky" width="422" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2651" /></a></p>
<p>人間は心を持ちます。<br />
心があるから様々な感情が湧き、同時に苦しみや悲しみを持ちます。<br />
このような「心の動き」というものは、それ自体に意義があります。<br />
意義がなければ「心」というものは存在しないでしょう。<br />
それは意義があるから存在し、動いているのです。</p>
<p>「心が存在する」ということは生の大いなる奇跡です。<br />
私たちは自分で心を創り、動かしているわけではありません。<br />
目に見える全てのものが宇宙の叡智によって支えられているように、<br />
目に見えぬ心も宇宙の叡智によって支えられています。<br />
心もまた宇宙の神秘を内包しています。</p>
<p>人生とは、心のあり様です。<br />
心が私たちを動かし、人生を形作っています。<br />
喜び、悲しみ、苦しさ、楽しさ―その全てが心であり、<br />
そしてまた、人間の生活、行為、言動を決めているのも心です。</p>
<p>心が人間の人生を左右しています。<br />
その心の動きに「気づく」ことはとても重要なことです。<br />
心の動きに気づかなければ、人は心というものの意義深さを逃してしまうでしょう。</p>
<p>人間の行為、今自分が行っていることは、心を元にして起こっていることです。　<br />
心の動きが、人間の行為、その生活の全てだからです。<br />
心の動きに気づくとは、自分自身の生に気づくことです。<br />
自分自身の生に気づかないならば、無知のまま生きることになります。</p>
<p>人間を、そして自分自身を深めていくには、<br />
「心」というものの活動性に気づかなければなりません。<br />
心の動きに気づくことで、自分自身を理解し、自分自身を変え、<br />
そして生というものを新たにすることができるのです。</p>


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		<title>あるがままの生を愛すること</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2647</link>
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		<pubDate>Thu, 10 May 2012 13:33:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[自分がこうむった運命を、あるがままの現実を、ただまっすぐ受け入れ、認めること。 それが宇宙のあるがままの現実、嘘偽りのない現実だからこそ、それを心から受け入れること。 あるがままの現実をそのまま認め、受け入れること。 そ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/42-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/42-2.jpg" alt="" title="??" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2648" /></a></p>
<p>自分がこうむった運命を、あるがままの現実を、ただまっすぐ受け入れ、認めること。<br />
それが宇宙のあるがままの現実、嘘偽りのない現実だからこそ、それを心から受け入れること。<br />
あるがままの現実をそのまま認め、受け入れること。<br />
それは同時に宇宙そのものを愛すること、あるがままの生そのものを愛することです。<br />
あるがままの宇宙、あるがままの生は、真実そのもの以外にありません。</p>
<p>自分が背負った運命を、宇宙が「背負わせた運命」を愛すること。<br />
なぜ愛するかと言えば、それは正真正銘の真の「現実」だからであり、<br />
自分だけが生き抜かなければならない確固とした意義を持った「生」だからです。</p>
<p>運命を受け入れることは、現実を、そして「生」を愛することです。<br />
なぜなら、その嘘偽りのない現実は、生の真実─宇宙の摂理─以外にないからです。<br />
人間は、&#8221;あるがままの現実&#8221;をそのあるがままに受け入れることによって苦しみから解放されます。<br />
あるがままの生の現実を、自分の運命をそのまま受け入れ、何の反抗も否定もせず、<br />
その運命と現実を宇宙の摂理として、命のあり方として愛するのです。</p>
<p>こうして人は、自分の運命と融和し、宇宙そのものと融和し、<br />
その運命が「自分の生きるべき道」、「自分が生きなければならない生」であると悟り、<br />
もはやどんな迷いも悩みもなく、自分に与えられた運命と生を従順に全うしようとするでしょう。<br />
運命への反抗が終わり、全てを受け入れたとき、人は自由になります。<br />
それは宇宙という大きな全てに身を任せ、自分を投げ出してしまうことから生まれる自由です。</p>
<p>人は、あるがままの現実をそのあるがままに受け入れることによってのみ、<br />
自らの精神を解放し、自由にし、人としての真の生き方を見出すのです。<br />
真理は、あるがままにあるものと共にあります。</p>


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		<title>苦しみから生まれる悟り</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2639</link>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 09:23:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[苦しみの経験がなければ知恵や洞察は生まれません。 言葉や知識ではなく、自分の全身全霊で苦しみを味わうことで人は真に学び、理解します。 ただ辛く、痛く、苦々しい重い苦しみ、 その苦しみが人の導き手となって私たちを運んでいき [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/44-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/44-1.jpg" alt="" title="ã¨ã³ã­ã¸ã¼" width="410" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2640" /></a></p>
<p>苦しみの経験がなければ知恵や洞察は生まれません。<br />
言葉や知識ではなく、自分の全身全霊で苦しみを味わうことで人は真に学び、理解します。<br />
ただ辛く、痛く、苦々しい重い苦しみ、<br />
その苦しみが人の導き手となって私たちを運んでいきます。</p>
<p>苦しみを超え、その苦しみが持つ真理を見るには、自分自身で「苦しむこと」が必要であり、<br />
その体験の過程で苦しみそのものが私たちの知恵の種となるのです。<br />
なぜ苦しむのか、苦しみの原因は何か、苦しみが終わるとはどういうことか─<br />
その理解と学び、光明を与えるのが、苦しみの体験そのものから生まれる「知恵」であり、<br />
この知恵が人を成熟させ、真理を学ばせ、やがて苦しみから完全に解放します。</p>
<p>「私」への執着、そのエゴが一切の苦しみの根であるということを、<br />
自らの苦しみの体験から学び、気づき、教えられれば、<br />
人は自然と自己執着の心を手放していくようになるでしょう。<br />
というのも、自己執着─エゴ─があるかぎり苦しみは絶対に終わらないからです。</p>
<p>心は自ら痛い思いをすればするほど、その先の痛みのない次元を悟ります。<br />
全ては「苦しみ」という苦々しい現実が教えてくれます。</p>
<p>人間に真の自由を教えるのは、ほかならぬ苦しみです。<br />
心の苦しみ、痛みが、人間自身のエゴと執着を明らかにするのです。<br />
いわば苦しみと心の痛みは、人間の執着を断ち切るためにあり、<br />
その執着を断ち切らなければ苦しみは決して終わらないということを悟らせるのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>無執着という自由</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2636</link>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 09:22:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[完全な自由とは、自己自身への無執着、自分の生への無執着です。 それは完全な自己放棄の生です。 自分という存在、自分の人生に執着しないこと、「私」に執着しないこと。 「生に執着しない」とは、生きながら自分というものを捨て、 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/44-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/44-2.jpg" alt="" title="èã®è±ã¨éç©ºã¨æ¥å·®ã" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2637" /></a></p>
<p>完全な自由とは、自己自身への無執着、自分の生への無執着です。<br />
それは完全な自己放棄の生です。<br />
自分という存在、自分の人生に執着しないこと、「私」に執着しないこと。</p>
<p>「生に執着しない」とは、生きながら自分というものを捨て、<br />
何もない「無」を刻々と受け入れて生きることです。</p>
<p>生に執着せず、もはや自分を守ろうとすることもせず、<br />
完全に自己を捨てきって開け放つことで、精神の真の自由が開花します。<br />
そこにはもう何も背負うものも、守り抜くべきものも、失うものもありません。<br />
はなから空っぽで、自己もなく、完全に「無」を受け入れて生きるのですから、<br />
何かを喪失して絶望したり悲しんだりということもありません。<br />
なぜなら、喪失すべき何ものも所有していないからです。</p>
<p>自己を捨て、死を受け入れている心ほど晴れやかで自由なものはなく、<br />
もはやそのような状態には心の混乱も迷いも苦しみも一切ありません。<br />
これとは反対に、自己と自分の生への執着があるところには絶え間ない恐怖と悲しみ、<br />
不安、その心の闘いの牢獄があります。</p>
<p>自分の生、自分の人生が失われてしまうことに対する心の衝動が死への恐怖であり、<br />
この自己執着があるかぎり決して心の苦しみはなくならないでしょう。</p>
<p>完全な無執着こそ真の自由への道です。<br />
この無執着が「自己-自我」という縛りを解き放つのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>死という現実からの逃避</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2632</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2632#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 May 2012 04:17:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[死という、何もない無、その絶対の真空状態を受け入れられないからこそ、 心は絶えず「何もない無」ことから逃げ回ります。 この無が耐えられないため、人の心は常に何かに執着し、心の所有に依存しようとします。 物質の豊かさ、名声 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/46-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/46-1.jpg" alt="" title="æ°ç·ã®æ£®" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2633" /></a></p>
<p>死という、何もない無、その絶対の真空状態を受け入れられないからこそ、<br />
心は絶えず「何もない無」ことから逃げ回ります。<br />
この無が耐えられないため、人の心は常に何かに執着し、心の所有に依存しようとします。</p>
<p>物質の豊かさ、名声や地位、お金、世俗的な成功、人間関係や仕事、活動や経験、<br />
自分の将来、理想、ステータス、満足、喜び。<br />
その他「自分」というものを支えているもの、自分に安心を与えてくれるもの、<br />
「これが自分だ」と感じられる一切のもの。こうした全てによって、<br />
人は何もない「無」を覆い隠し、紛らわし、そこから逃げ続けています。</p>
<p>しかし、人はこの「無」から、「真空」から逃れることは絶対にできません。<br />
なぜなら、人はやがて必ず死を迎えるからです。<br />
死という現実は、確実に私たち人間の全てを(意識の全てを)無に帰するのです。</p>
<p>どんな心の所有も、記憶も、観念も、<br />
そしてそれらの意識の中身によって作られている「自分-私」も、<br />
全ては消えゆくものであり、決して永続することはないのです。<br />
にも関わらず、私たちは徹底して自己に執着し、自分を失うまいと心を闘わせ、<br />
その自己の所有と損失とのあいだで揺れ動き、もがきながら生きています。</p>
<p>これはなんという生の浪費、無意味な心の闘争でしょうか。<br />
私たちはやがて必ず失われるもの、手放さなければならないものに執拗に執着し、<br />
まさにそのこと―自己への執着―によって苦悩と不幸に陥っているのです。</p>
<p>死を受け入れ、自己への執着を断ち切ることによってのみ、<br />
私たちは死への恐れを克服することができます。<br />
自己への執着を無にすることこそ、死への恐怖の終わりです。<br />
死への恐怖とは、自己を失うことへの恐怖にほかならないからです。</p>
<p>重要なことは、自由であるがために自己を放棄することです。<br />
この自己放棄こそ、人間にまったき自由をもたらすのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「見える」という奇跡</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2629</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2629#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 May 2012 01:40:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[目が見えるということは、大きな奇跡ではないでしょうか。 私たちのほとんどは「目が見える」ということに対して、 驚きの念を持ちません。 「目が見える」ということが当たり前になっているので、 この当たり前の奇跡が感じれなくな [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/10-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/10-2.jpg" alt="" title="??????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2630" /></a></p>
<p>目が見えるということは、大きな奇跡ではないでしょうか。<br />
私たちのほとんどは「目が見える」ということに対して、<br />
驚きの念を持ちません。<br />
「目が見える」ということが当たり前になっているので、<br />
この当たり前の奇跡が感じれなくなっているのです。</p>
<p>「目が見える」とは、驚くに値しないことでしょうか。<br />
それとも、それは生の不可思議な神秘でしょうか。<br />
想像を絶する奇跡というものは、現に今ここにあり、<br />
私たちはそれに気づきさえすればその奇跡を感じることができます。</p>
<p>ごくごく当たり前にあるものの中にこそ「生の奇跡」があります。<br />
「目が見える」というのもその奇跡の一つです。</p>
<p>私たちは「目が見える」ということを深く意識しているでしょうか。<br />
「目が見える」というただそのことを―</p>
<p>私たちは自分の力で「見ている」のではありません。<br />
なぜなら、人は自分で視力や目そのものを創ることはできないからです。<br />
測り知れない宇宙的な力があってこそ「見える」のであり、<br />
その力というものは人間の全てを支えているものでもあります。</p>
<p>未知なる力が絶えず働いています。<br />
それは私たちと共にあります。<br />
私たちと共にあるから私たちは存在できているのです。</p>
<p>生の奇跡は、どこか遠くにあるのではありません。<br />
それはごくありふれた日常の生活の中にあります。<br />
今ここに、今という一瞬一瞬に奇跡は働いています。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>生きているという奇跡</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2626</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2626#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 May 2012 08:04:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[ほとんどの人々は普段、何げなく生きています。 生きていることが当たり前であるかのように日々の生活を営んでいます。 「生きている」ということは当たり前のことでしょうか。 それは驚くべきことでも奇跡でもなんでもなく、 いたっ [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/09-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/05/09-2.jpg" alt="" title="Boy Drawing line in the sand" width="512" height="401" class="alignnone size-full wp-image-2627" /></a></p>
<p>ほとんどの人々は普段、何げなく生きています。<br />
生きていることが当たり前であるかのように日々の生活を営んでいます。</p>
<p>「生きている」ということは当たり前のことでしょうか。<br />
それは驚くべきことでも奇跡でもなんでもなく、<br />
いたって普通のこと、当然のことなのでしょうか。</p>
<p>私たちのほとんどは「生」に対して奇跡を感じていません。<br />
「生」というものは、本来途方もない奇跡、神聖なものですが、<br />
私たちはその「生」を奇跡として、聖なるものとして見ていないのです。</p>
<p>「生きている」ということが当たり前になったとき、<br />
人間の精神は退屈で惰性的になってしまうように思われます。<br />
「生」というものの厳粛さ、神聖さ、新しさ、瑞々しさは失われ、<br />
ただただ習慣的に生活するだけのものになってしまいます。</p>
<p>今、世の中で溢れているのは軽薄な活動ばかりです。<br />
娯楽、享楽、金儲け、流行、仕事漬け、腐敗した政治—<br />
教育や学校の場においても、この「生」そのものに対する厳粛さや神聖さが、<br />
あまりに欠けているように思われます。<br />
子供たちはただ進学するため、就職するためだけに学校に行っているかのようです。<br />
こうして子供たちもまた、今の社会に溢れる同じような大人になるだけです。<br />
これでは「生」というものの豊かさ、美しさが消えてしまいます。</p>
<p>「生」というものは当たり前のものではありません。<br />
「生きている」ということは恐ろしいほど神聖な何かです。<br />
生というものは奇跡であるからこそ、人もまた厳粛に生きなければなりません。<br />
そしてその生の「奇跡」を感じれないならば、<br />
一体、人生とはどれほど軽薄で凡庸なものになってしまうでしょうか。<br />
生きることが「当たり前」になってしまうのなら、<br />
生はどれほど無意味なものになってしまうでしょうか。</p>
<p>「生」が本来持つ奇跡、その神聖さに気づかず、<br />
そしてまたそれに目覚めないならば、<br />
人は真に「生きている」とは言えないでしょう。</p>
<p>「生」の聖なる奇跡に目覚めてこそ、本物の人生があります。</p>


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	</item>
		<item>
		<title>言葉を超える神秘</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2620</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2620#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Apr 2012 09:52:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2620</guid>
		<description><![CDATA[本来、この宇宙には「言葉」というものはありません。 言葉が生まれる前から宇宙は存在し、あらゆるものは沈黙のうちで生きていました。 全ては無名で言葉のない世界だったのです。 宇宙の本然は「沈黙」です。 沈黙こそ宇宙の本来の [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/08-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/08-21.jpg" alt="" title="?????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2621" /></a></p>
<p>本来、この宇宙には「言葉」というものはありません。<br />
言葉が生まれる前から宇宙は存在し、あらゆるものは沈黙のうちで生きていました。<br />
全ては無名で言葉のない世界だったのです。</p>
<p>宇宙の本然は「沈黙」です。<br />
沈黙こそ宇宙の本来の姿であり、生命の存在です。<br />
あらゆるものが沈黙のうちにあり、それは無言の創造です。</p>
<p>私たちが「太陽」と呼んでいるものは「太陽」ではありません。<br />
「太陽」という「言葉」はあとから貼り付けられたもので、<br />
私たちが普段「太陽」と呼ぶものは本来名もなき存在なのです。<br />
それはただ「存在しているもの」としか言えません。<br />
むしろ「存在」という言葉さえも超えています。</p>
<p>本物の宇宙、真の宇宙は言葉なきものであり、<br />
言葉なき宇宙こそが本当の宇宙の姿です。<br />
真の実在、生命とは、言葉を持たぬもの、言葉を超えているものです。<br />
それは始源の存在、言葉が誕生する前から存在し続ける命そのものです。<br />
宇宙の無言の声こそ生命の声です。</p>
<p>真のリアリティは、聖なる宇宙の沈黙の内にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>エゴという元凶</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2617</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2617#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Apr 2012 13:35:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2617</guid>
		<description><![CDATA[自己、自分、私、我─ このエゴこそ人間にとっての苦しみの牢獄であり、最大の障害です。 むしろ人間にとっての心の障害はエゴしかないと言ってもよく、 そのエゴ─自己執着─に囚われているかぎり、苦しみが終わることはありません。 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/08-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/08-2.jpg" alt="" title="?????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2618" /></a></p>
<p>自己、自分、私、我─<br />
このエゴこそ人間にとっての苦しみの牢獄であり、最大の障害です。</p>
<p>むしろ人間にとっての心の障害はエゴしかないと言ってもよく、<br />
そのエゴ─自己執着─に囚われているかぎり、苦しみが終わることはありません。<br />
「私」こそ苦しみであり、苦しみの根であり、その全てなのです。</p>
<p>「私─エゴ」と「苦しみ」は一つであるということ。<br />
「私」なくして苦しみはなく、<br />
苦しみがあるところに必ず「私」へ執着するエゴがあるということ。<br />
この事実、真理を見ること、悟ることが重要です。<br />
なぜなら、ここに苦しみからの解放の理解と洞察があるからです。</p>
<p>私たちは、自分の苦しみを通して、この真実を学びます。<br />
苦しみそのものが、私たちに教えるのです。<br />
自分自身が生み出した苦しみを体験し、その心の痛みを味わうことで、<br />
そこから苦しみへの洞察と理解が起こります。<br />
人は自分のエゴ、自分の執着、自分の弱さや未熟さを理解し、<br />
「自分」こそ苦しみの元であるということを見出していきます。</p>
<p>自分の苦しみの元凶は、自分自身─つまりエゴ─にほかならないという悟り、<br />
この悟りが私たちに心の真の自由をもたらします。<br />
この悟りがあるには、私たちは苦しみの経験のプロセスを通らなければなりません。<br />
人は自らの苦しみを通して、自分の元凶に気づくのです。</p>


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		<title>死の本質を理解する</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2614</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 11:34:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「死」とは、人間の意識の終わりです。 私たち人間は一人一人意識を持って生きています。 人生とは意識の内容そのものであり、その意識の内容が私たち一人一人の人間です。 人間の意識の中身には、その人のあらゆる心の所有と欲望があ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/04-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/04-21.jpg" alt="" title="background of blue luminous rays" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2615" /></a></p>
<p>「死」とは、人間の意識の終わりです。<br />
私たち人間は一人一人意識を持って生きています。<br />
人生とは意識の内容そのものであり、その意識の内容が私たち一人一人の人間です。</p>
<p>人間の意識の中身には、その人のあらゆる心の所有と欲望があります。<br />
世俗的な成功や野心、地位や名誉、仕事や財産。<br />
または精神的な支え、家族、友人、恋人とのつながり、<br />
思い出、自分の夢、理想、自己実現、快楽、喜び、幸せ。<br />
その他「自分」というものを支え、成り立たせているもの、<br />
自分の才能、ステータス、生きがい、成功、達成。<br />
さらには何かしらの信念、信仰、霊的(スピリチュアル)なものの追求と実現。</p>
<p>これら一切が「意識」です。<br />
そしてその意識の中身が一人一人の人間の人生を構成しています。<br />
人は意識によって生き、その意識の中身に依存しながら生きています。<br />
その意識の中身がその人の心のよりどころ、心の支えであり、その人そのものです。</p>
<p>一人一人の人間の精神の安定はこの意識の中身がどうあるかにかかっており、<br />
もし自分の心の支えである諸々の意識の中身を失うと、人は悲しみや絶望に陥ります。<br />
私たちのほとんどは、意識の中身を、その心の所有を失うことを恐れ、<br />
不安を抱えながら生きているのではないでしょうか。</p>
<p>その人を、そしてその人の人生を根底から支えているのは他ならぬその「意識」です。<br />
意識の中身がその人の全てであり、その人を成り立たせ、生きる意義と生きがいを作り、<br />
自己自身の生存理由となっているのです。<br />
ですから、意識の中身を失うことは「自分」「自分の人生」が終わること、無に帰すことであり、<br />
それこそ私たち人間が恐れていることではないでしょうか。<br />
つまりそれは何もない完全な無への恐れ、消滅の恐れ、死への恐れです。</p>
<p>私たちは「この現実」を見なければなりません。<br />
なぜなら、その現実はいずれ私たちのものに必ずやってくるからです。<br />
ですから、生きているあいだにこの死の本質を見つめ、<br />
そこから目を背けないことが極めて重要なのです。<br />
そうしてのみ、人は死への恐れを持つことなく生きることができるようになるでしょう。</p>
<p>死を恐れないことは、意識の中身を失うことを恐れないこと、<br />
つまり意識の中身に執着しないということです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「死」は終わりではない</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2608</link>
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		<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 11:02:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[死によって全てが終わると考えている人がいます。 しかし、このような考えは間違っています。 なぜなら、「死」というものは生の終わりではなく、 限りない「生」の運動の一部(その流れ)であるからです。 死もまた生なのです。 全 [...]


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<p>死によって全てが終わると考えている人がいます。<br />
しかし、このような考えは間違っています。<br />
なぜなら、「死」というものは生の終わりではなく、<br />
限りない「生」の運動の一部(その流れ)であるからです。</p>
<p>死もまた生なのです。<br />
全ての生物、存在はやがて消滅します。<br />
消滅を免れる存在というものはありません。<br />
生起し、そして消滅する—それが生の摂理です。</p>
<p>「生きる」ことも、「死にゆく」ことも、全ては宇宙の摂理、生命の摂理です。<br />
生も死も司るものが宇宙の摂理そのものであり、そしてまた生命の活動です。<br />
この摂理、生命の活動は永遠に続いていくものです。</p>
<p>死もまた厳粛たる「命の活動」です。<br />
それは「終わり」ではなく、「動き続けているもの」です。<br />
それは生き、動いているから「死にゆく」のです。<br />
生き、動いているからこそ、朽ちていくのです。<br />
生も死も全ては命の活動であり、宇宙における終わることなき運動なのです。</p>
<p>「死」とは、完全なる生の活動そのものと言ってもいいでしょう。<br />
それはどんな混じり気もない純然たる「生命の運動」です。<br />
生命の運動は、誕生と存続と消滅の全てを司ります。<br />
生まれ、生き、死んでいくこと—その全てが「生命の活動」です。<br />
そしてその活動には終わりはないのです。<br />
終わりがないからこそ宇宙も今も存続し、現に存在しているのです。</p>
<p>生命、宇宙、万物—その終わりなき存在と運動の中に、<br />
「生きる」ことも「死ぬこと」もあり、そしてそのどちらも「命の運動」なのです。<br />
つまり、この世には「生きた命」しかないのです。</p>
<p>絶え間なく命が生きているからこそ、生も死も起こり続けます。<br />
死もまた生であり、命の動きであり、宇宙そのものです。<br />
死は「生きたもの」です。生きているから「死」という活動があるのです。<br />
死は「活動」です。活動でなければ死という「運動」はないでしょう。<br />
それは動きつつあるもの、現に生きているものだからこそ「死にゆく」のです。<br />
そしてそれは「生きているもの」なのです。</p>
<p>この「活動」、絶えざる命の活動は、永遠です。<br />
永遠の命とは、宇宙です。<br />
この無限なる宇宙の終わることなき運動こそ、命であり、永遠そのものです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>新しい人間の創造</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2605</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Apr 2012 06:46:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>人間は自分で新しい「生」を創造することができます。<br />
自分で自分の生を発見し、その独自の生を生きることができます。<br />
これは私たち一人一人に創造性が宿っているからこそ可能なことです。</p>
<p>人間における創造性は無限です。<br />
つまり、その人間が見出せる「生」というものは無限にあるということです。</p>
<p>「生を見出す」ということは、自分で生の新しい側面を発見するということです。<br />
そしてその発見は意識と生き方そのものを変容させ、<br />
人間という存在を内面から新たに創造します。<br />
創造によって私たちは常に生まれ変わると言ってもよく、<br />
その奇跡は不断に生起し続けているものです。</p>
<p>文化や伝統、社会の固定観念に縛られ、<br />
他者と全く同じように生きるだけならばそこに創造性はありません。<br />
創造がなければ、人間の新生もありません。<br />
人間が新たにならないとき、生は古びた中古品になってしまいます。</p>
<p>現代社会に生きるほとんどの人が順応的な生き方をしており、<br />
そこには瑞々しい「生」の創造性がありません。<br />
今の社会には模倣と順応ばかりがあり、自主独立の創造的精神がないのです。<br />
そのような生は無味乾燥で無意味です。</p>
<p>常に新しい人間であること。<br />
新しい「生」を見出し、その自分だけの生を生きること。<br />
このような単独性と独立性こそ創造の源であり、<br />
真に人間に内的な革命を起こすのはこの創造性の爆発です。</p>
<p>創造性があってこそ、人は「生きている」と言えます。<br />
創造性がなく、自分が変わるということがなく、<br />
そして生において何も新しいことが起こらないのならば、<br />
そのような精神は死んでいるのです。</p>


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		<title>未知の創造性</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2601</link>
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		<pubDate>Thu, 19 Apr 2012 08:55:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>生の創造性は、常に未知なる次元にあります。<br />
創造性というものは「新たなる発見」であり、<br />
しかもそれは自分自身で見出していくものです。</p>
<p>他人の知識や教えを受け入れることは創造性ではありません。<br />
創造性があるためには、まず自分の足で立たなければなりません。<br />
そして自分で「生」の発見の旅に出ることです。</p>
<p>旅と言っても実際にどこかに行くということではなく、<br />
今、現にあるところから精神的な発見の旅に出るということです。<br />
未知なる生の大地に自分で足を踏み入れること。<br />
それが可能となるのはこれまで蓄積してきた一切の知識や経験を捨てたときです。</p>
<p>知識や経験はどこまでいっても古いもの、過去のものであり、<br />
それらが未知の扉を開くことはありません。<br />
なぜなら、知識も経験も既知なるものだからです。それは知られざる領域ではありません。<br />
知られざる未知の次元でないならば新しいものは何もなく、<br />
新しいものがないならば創造性もありません。</p>
<p>知識も経験も過去のものであり、どこまでいっても古いものです。<br />
それをどんな大切に持っていても、やはりそれは古いものです。<br />
新しい生を発見するには、古いものは全て捨てなければなりません。</p>
<p>新たなるものを発見して初めて創造性があります。<br />
発見と創造は同じ一つのものであり、これが人間の生を変革させます。</p>
<p>未知の次元で生きることこそ、真の精神性の開花であり、<br />
その中での絶えざる発見と創造に溢れた生こそ、<br />
私たちにとっての本当に「生」なのです。</p>


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		<title>厳粛なる人生</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2598</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2598#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 18 Apr 2012 03:02:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>「生きる」ということは、本来途方もなく厳粛なことです。<br />
それは恐ろしいほど真剣なことであり、<br />
決して遊びや気晴らしではありません。</p>
<p>人生というものは、単に快楽や享楽に費やすものであると考えている人がいます。<br />
人生は遊びであり、ゲームであり、楽しむだけのものだというのです。<br />
このような考えはあまりにも軽薄でしょう。</p>
<p>人生はゲームでしょうか。遊びでしょうか。<br />
それとも「人生」とは、厳粛な意義をもった何かでしょうか。<br />
快楽や享楽だけに生を費やす人々は、<br />
人間という存在が持っている本来の深い意義を理解していません。<br />
彼らはただ人生を遊ぶことに費やし、自分を欺き、<br />
浅く薄い表面的な生を送るだけです。そのような人は「生きていない」のです。</p>
<p>人生というものが真に意義深いものであると感じている人々は、<br />
人生というものを深く洞察し、生の真理を見出そうとします。<br />
そのように真剣に生きている人こそ、まさに「真の人間」と言えるのであって、<br />
そこにこそ人間本来が持つ成熟と創造性、絶えざる生の変革があります。<br />
このような創造性と変革こそ、まさに人間が持つ無限の可能性です。</p>
<p>真剣に生を探究し、学び、創造している人だけが「真に生きている」のであり、<br />
このような人々こそ本物の「人間」なのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>死への恐れを超える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2594</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2594#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 03:15:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[死への恐れを持つことなく生きることはできるでしょうか。 もし私たちが死を恐れることのない人生を歩めるならば、 その人生はまったく異なった意識と次元を伴ったものになるでしょう。 そしてそこには、完全な自由があります。 その [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/45-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/45-2.jpg" alt="" title="ç æ¼ " width="512" height="288" class="alignnone size-full wp-image-2595" /></a></p>
<p>死への恐れを持つことなく生きることはできるでしょうか。<br />
もし私たちが死を恐れることのない人生を歩めるならば、<br />
その人生はまったく異なった意識と次元を伴ったものになるでしょう。<br />
そしてそこには、完全な自由があります。<br />
その自由は空を飛ぶ鳥のように開放的なものであり、<br />
そのような自由のある生は常に喜びと安らぎに満ちたものになるでしょう。</p>
<p>この真に自由な生を実現するには、一体私たちはどうすればいいでしょうか。<br />
死から目を背け、逃げ続けても、死への恐れはなくなりません。<br />
死は紛れもない現実であり、この運命からは誰も逃れられません。</p>
<p>よって死への恐れなく、<br />
真に自由な生を実現するために私たちにできることはたった一つしかありません。<br />
それは死という現実から目を背けないこと、死という「現実」を受け入れ、<br />
それと真正面から向き合うことです。</p>
<p>「死」というものをしっかり見つめ、直視し、<br />
その現実から「死とは何なのか」「死を恐れるとは何か」ということを自分で学ぶことです。<br />
死を見つめることによって、死というものの真実、<br />
その本質を理解し、それを自分の中に取り込むことです。</p>
<p>「死」という現実を理解しないかぎり、死への恐れはなくなりません。<br />
死というものが持つ真実と意義深さを理解するためには、<br />
現実の死そのものを見つめなければなりません。</p>
<p>死というものを見つめ、それをそのまま受け入れることによってのみ、<br />
私たちは死というものへの恐怖を手放していきます。<br />
なぜなら、死からは誰も逃れられないという現実を直視することで、<br />
精神はもはや死に対して無駄な抵抗をすることはなくなるからです。</p>
<p>死を受け入れた心のみが真に自由であり、<br />
そのような心は死の恐怖を超えて生きます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>「人間」という存在</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2591</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2591#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 03:14:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/45-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/45-1.jpg" alt="" title="ç æ¼ " width="512" height="288" class="alignnone size-full wp-image-2592" /></a></p>
<p>「人間が生きている」ということは不思議なことではないでしょうか。<br />
私たちはこのことになんの驚きも感じずに生きていますが、<br />
「人間が存在する」「人間として生きている」ということは、<br />
恐ろしいほどの奇跡ではないでしょうか。</p>
<p>人間という「生命」が存在することは、当たり前のことなのでしょうか。<br />
それとも、それは測り知れない意味をもったもの、生の奇跡、聖なる何かでしょうか。</p>
<p>なぜ私たちは驚かないのでしょうか。<br />
なぜ不思議がらないのでしょうか。<br />
「人間が存在する」ということは、驚くに値しないことなのでしょうか。</p>
<p>もしこの世に奇跡があるとすれば、<br />
「世界が存在する」という以外に奇跡はあるでしょうか。<br />
そしてその世界の中に「人間」という生命が存在すること—<br />
それもまた途方もなく大きな奇跡なのではないでしょうか。</p>
<p>にも関わらず、大抵私たちは何の驚きも持たず、<br />
あたかも「生きている」ということが当たり前であるかのように過ごしています。<br />
本当にこの世に「当たり前なこと」などあるのでしょうか。<br />
それとも「奇跡」しかないのでしょうか。</p>
<p>人間が存在すること、人間として生きているということ。<br />
「世界」が奇跡であるならば、「人間」という存在もまた奇跡です。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>「人間」という存在</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2588</link>
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		<pubDate>Fri, 13 Apr 2012 08:56:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>「人間が生きている」ということは不思議なことではないでしょうか。<br />
私たちはこのことになんの驚きも感じずに生きていますが、<br />
「人間が存在する」「人間として生きている」ということは、<br />
恐ろしいほどの奇跡ではないでしょうか。</p>
<p>人間という「生命」が存在することは、当たり前のことなのでしょうか。<br />
それとも、それは測り知れない意味をもったもの、生の奇跡、聖なる何かでしょうか。</p>
<p>なぜ私たちは驚かないのでしょうか。<br />
なぜ不思議がらないのでしょうか。<br />
「人間が存在する」ということは、驚くに値しないことなのでしょうか。</p>
<p>もしこの世に奇跡があるとすれば、<br />
「世界が存在する」という以外に奇跡はあるでしょうか。<br />
そしてその世界の中に「人間」という生命が存在すること—<br />
それもまた途方もなく大きな奇跡なのではないでしょうか。</p>
<p>にも関わらず、大抵私たちは何の驚きも持たず、<br />
あたかも「生きている」ということが当たり前であるかのように過ごしています。<br />
本当にこの世に「当たり前なこと」などあるのでしょうか。<br />
それとも「奇跡」しかないのでしょうか。</p>
<p>人間が存在すること、人間として生きているということ。<br />
「世界」が奇跡であるならば、「人間」という存在もまた奇跡です。</p>


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		<title>宇宙に溶け込む</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2584</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2584#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 08:04:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは自分という「個」を超えて、 全体としての宇宙そのものと一つになることができます。 というのも、もともと「生」というものは宇宙そのものであり、 そこには本来、どんな分離もないからです。 全ての生命は宇宙の中に存在し [...]


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<p>私たちは自分という「個」を超えて、<br />
全体としての宇宙そのものと一つになることができます。<br />
というのも、もともと「生」というものは宇宙そのものであり、<br />
そこには本来、どんな分離もないからです。</p>
<p>全ての生命は宇宙の中に存在し、<br />
そして宇宙の叡智によって支えられています。<br />
宇宙の叡智なしにはあらゆるものが存在できなくなるでしょう。</p>
<p>宇宙全体に溶け込むということは、<br />
宇宙の未知なる叡智に溶け込むということです。<br />
この果てしない宇宙の全てに遍満する無限の叡智こそ、生命の本源にほかなりません。<br />
この叡智は、生命に、そして宇宙の全ての存在に浸透しているのであり、<br />
人間の知性では決して知ることも触れることもできないものです。</p>
<p>よって人間の意識と心はその測り知れない叡智を前に、<br />
もはや空っぽになることしかできないでしょう、<br />
しかしまさにその完全な「空っぽ」の心によってのみ、<br />
宇宙の無限の叡智を感じることができるのです。<br />
なぜなら、この叡智は完全に未知なるものだからです。</p>
<p>人間の一切を超えた先にあるのは、全宇宙、万物の全てに浸透する神秘の叡智であり、<br />
この叡智と共に、それと一つになって生きることこそ、真理ある生です。<br />
それは「個」を超え、「自己」を超え、<br />
「全体」としての宇宙の溶け込むということです。</p>
<p>そのとき人は、人間ではなく「宇宙そのもの」として「在る」のです。</p>


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		<title>苦しみから学ぶ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2580</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2580#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 08:03:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[精神的な苦悩というものは、私たちに多くの学びを与えてくれます。 苦悩を通してこそ人は真に学び、真に成長します。 苦しみから逃げようとばかりする人は、何の成長も得られないでしょう。 いかに苦しみから逃げるか、避けるかではな [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/42-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/42-1.jpg" alt="" title="æ¨æ¼ãæ¥" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2581" /></a></p>
<p>精神的な苦悩というものは、私たちに多くの学びを与えてくれます。<br />
苦悩を通してこそ人は真に学び、真に成長します。<br />
苦しみから逃げようとばかりする人は、何の成長も得られないでしょう。</p>
<p>いかに苦しみから逃げるか、避けるかではなく、<br />
苦しみを苦しみとして受け入れ、その苦しみを生きること。<br />
苦しみの意味は「苦しむこと」にあるのであって、<br />
その苦しみから逃げることにあるのではありません。</p>
<p>精神的苦悩はそれが苦しく辛いものであるからこそ意味があるのです。<br />
なぜなら、その途方もなく重く辛い苦しみの連続は、人間精神を根底から鍛え上げ、<br />
新たなる理解と洞察をもたらし、生における真に重要な知恵と真理を学ばせるからです。</p>
<p>たとえそれが恐ろしいほどの苦悩であろうとも、それに留まること。<br />
人間として最低の次元にまで落ち込み、希望も未来も心の支えも全て失い、<br />
その極限の苦しみに陥ったとしても、そこから逃げないこと。<br />
もはやその「現実」を受け入れるしかないという心の苦しみの果てに、<br />
人は真の自由と生の光を見出すのです。</p>
<p>苦しむことで人間は新しい生を見出します。<br />
苦しみが私たちに新たな扉を開けさせるのです。<br />
苦しみの持つ価値は無限であり、これが人間の偉大さでもあります。<br />
なぜなら、苦しむことによって成長するのは人間という存在だけだからです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>心の虚しさの克服</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2576</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2576#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 10 Apr 2012 08:28:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[心の虚しさから一時的に逃避しても、やがてはまたその虚しさが必ず顔を出してきます。 どのような逃避も全ては一時的なものにすぎず、問題の根本的な解決にはなりません。 一時的に逃避するということは、単に問題を先延ばしにしている [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/40-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/40-2.jpg" alt="" title="??" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2577" /></a></p>
<p>心の虚しさから一時的に逃避しても、やがてはまたその虚しさが必ず顔を出してきます。<br />
どのような逃避も全ては一時的なものにすぎず、問題の根本的な解決にはなりません。<br />
一時的に逃避するということは、単に問題を先延ばしにしているだけであり、<br />
それでは虚しさを克服することはできません。<br />
虚しさから逃げ続けても、虚しさを克服することは絶対にできないのです。</p>
<p>虚しさから逃げたくても逃げることができない状況に陥ってしまうこともあり、<br />
その場合心はどこにも逃げることができずに、<br />
嫌でも果てしない底なしの虚しさに直面しなければなりません。</p>
<p>望んでもいないのに虚無を強いられるという状態は極めて辛いことで、<br />
その状態に対する耐性や心構えがなければ私たちは苦痛を感じてしまうでしょう。</p>
<p>延々と続くと感じられるこの虚しさが「自分」を飲み込み、失わせ、<br />
人生そのものを空っぽの無にしてしまう感情を抱かせます。<br />
そこから生じるのは果てしない絶望、あらゆる精神的な苦悩と混乱です。</p>
<p>では一体、私たち人間はどうすればいいのでしょうか。<br />
どうすればこの虚しさを克服することができるのでしょうか。</p>
<p>それは、もはやどんな逃避もしないことです。<br />
一時的な逃避ら身をゆだねても虚しさを克服することはできないという真理を悟り、<br />
もうどこにも逃げずに虚しさそのものに留まることです。<br />
虚しさから逃げずに虚しさに留まるとき、私たちは徐々にその虚しさに慣れます。<br />
そして完全にその虚しさが気にならなくなるほどに慣れてしまったとき、<br />
そこにはもはや虚しさはありません。</p>
<p>私たちは、虚しさそのものに留まることによってのみ、それを超えていくことができます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>自己を捨てることを学ぶ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2573</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2573#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 09 Apr 2012 08:16:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちにとっての心の執着物、依存の対象は、 私たち自身の「自己」を大いに満足させるものです。 それは自分の生きる意味、意義、価値を与えてくれるもので、 「これが私だ」「自分の人生だ」という活力を与えてくれます。 同時にそ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/39-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/39-2.jpg" alt="" title="puzzles of nature" width="362" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2574" /></a></p>
<p>私たちにとっての心の執着物、依存の対象は、<br />
私たち自身の「自己」を大いに満足させるものです。<br />
それは自分の生きる意味、意義、価値を与えてくれるもので、<br />
「これが私だ」「自分の人生だ」という活力を与えてくれます。<br />
同時にそれは、心を満たし、慰めと安らぎを与えてくれるものです。</p>
<p>しかし、その「自分」を根底から支えてくれていた心の対象が失われると、<br />
人は喪失感と絶望に陥り、その悲嘆と苦しみの中に沈み込んでしまいます。<br />
これは、自己を喪失したことによって生じた心の広大な空白に対する苦悩です。</p>
<p>「自己」を失ってしまうことによって生じるのは「何もない」という絶望感、虚無感、<br />
自分に対する無価値感、人生に対する無意味感であり、<br />
こうして人は底なしの虚無に飲み込まれ、その暗闇から這い上がれなくなります。<br />
何か心の支えとなるものが一つでもあればまだ心の逃げ道はあるでしょう。<br />
しかしもはや心の対象をことごとく失い、<br />
自分を支えるものが一切失われてしまったならばそこには虚無しかありません。</p>
<p>常に保持していた自己が失われたからこそ、<br />
そこに途方もなく大きな喪失感が生まれるのであり、<br />
それと同時に心の中にポッカリと虚無の暗闇が現れてしまうのです。</p>
<p>こういう状態にならないためにも、<br />
私たちは自己に執着しない生き方を学ばなければなりません。<br />
自己を捨てて生きること、そうして初めて心は自由になります。<br />
初めから自己に執着せず、自己を捨てて生きるならば、<br />
私たちは恐怖や不安に囚われることなく生活していけるでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>死という現実</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2570</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2570#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 09 Apr 2012 08:15:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間は死を恐れます。 「死」という現実は、私たちにとってとても大きな出来事です。 それはあまりに大きく、そしてあまりに生々しくリアリティに溢れているので、 普段は逆にその現実感をなかなか感じることができません。 しかし、 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/39-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/39-1.jpg" alt="" title="æ£®ã®ä¸­ã®æ± " width="512" height="384" class="alignnone size-full wp-image-2571" /></a></p>
<p>人間は死を恐れます。<br />
「死」という現実は、私たちにとってとても大きな出来事です。<br />
それはあまりに大きく、そしてあまりに生々しくリアリティに溢れているので、<br />
普段は逆にその現実感をなかなか感じることができません。</p>
<p>しかし、死は現実です。それは間違いのない厳然たる現実です。<br />
その現実はやがて必ず私たちのもとにやってきます。<br />
「死」という現実は生命の厳粛な摂理であり、誰もその宿命から逃れることはできません。<br />
人として生きている以上、私たちはこの「死」という現実と向かい合わなければなりません。</p>
<p>私たちの多くは死というものを恐れています。<br />
意識的であれ無意識的であれ私たちは死を恐れています。<br />
この死という現実と向かい合おうとせず、むしろ死から目を背け、死を見まいとします。<br />
死は恐ろしいもの、忌むべきものであり、<br />
その現実に直面したくないがために心は絶えず逃げ続けています。<br />
しかしながら、死は全き現実であり、誰もそこから逃れられません。</p>
<p>死から目を背けることは、現実から目を背けることです。<br />
死から逃げようとすることは、現実から逃げようとすることです。<br />
現実から目を背けるところに、真実はありません。<br />
死から目を背けているかぎり、死への恐れはそこにあるでしょう。</p>
<p>死を恐れ続けて生きるならば、そこには心の自由は決してありません。<br />
心は常に死の恐怖に縛られたままなので、<br />
人はいつも不安を抱えながら人生を歩むことになるでしょう。<br />
そのような生は苦痛であり、重荷であり、なんら自由のないものです。</p>
<p>死という現実と向き合う必要があります。<br />
その現実と向き合い、それを受け入れることによってのみ、<br />
私たちは徐々に死というものと融和するのです。<br />
逃れられない運命をそのまま受け入れるということ。<br />
この態度こそ英知ある態度であり、この諦念こそ心を自由にさせます。</p>
<p>死に怯えるのではなく、死というものと共に生を歩めるならば、<br />
人は死への恐怖を持つことなく生きることができるでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>自分を失いたくないという衝動</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2565</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2565#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 06 Apr 2012 09:08:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2565</guid>
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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/37-11.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/37-11.jpg" alt="" title="??" width="512" height="384" class="alignnone size-full wp-image-2567" /></a></p>
<p>私たちが執着し、依存している快楽や享楽、<br />
満足感を与えてくれる体験や我を忘れさせる活動といったものは、<br />
「自分」を満たしてくれるもの、「自分」を支えてくれるものです。</p>
<p>ほかにも「自分」というものの存在意義や生きる意味を与えてくれるものや、<br />
「自分」を成り立たせてくれるものは、私たちの心の支え、生きる支えとなります。<br />
そうした心の対象、精神的な所有、支えが、<br />
「自分」「私」というものを作り上げ、強固にしてています。</p>
<p>この「自分」を支え、成り立たせている心の対象、所有、生きる意義や価値が失われると、<br />
「自分」というものが失われたように感じられ、心は空っぽの虚しさに陥ります。</p>
<p>満足を与えてくれる体験や活動、「自分」の生そのものを支えてくれている精神的な所有、<br />
生きがいや生きる意味を与えてくれるもの、心の安定を維持してくれるのも—<br />
それが何であれ、その対象への執着が大きければ大きいほど、<br />
それを失ったあとに生じる虚無感というものもそれだけ大きくなります。<br />
「自分」というものへの執着や依存が大きいほど、喪失感も大きくなるのです。</p>
<p>すべては自分を失いたくないという衝動から生まれる混乱であり、<br />
自分に執着すればするほど恐怖や不安は増大していきます。</p>
<p>自由であるとは、自分を手離して生きるということです。<br />
最初から「自分」というものを持たずに、それに固執することく生きるならば、<br />
人はもはや「自分を失うこと」を恐れることはありません。</p>
<p>この自己放棄の生こそ、真の自由な精神のあり方であり、<br />
この自由があってこそ私たちは安らぎに満ちた生を歩むことができます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>信じ込むという危険</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Apr 2012 12:10:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「生」というものは、自分で発見し、創造していくからこそ意味があります。 しかし、多くの人々は他者の教えや本の言葉を容易に信じ込み、それに囚われがちです。 何が真実で何が真実でないか。 それを見出すのは私たち一人一人であっ [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/36-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/36-1.jpg" alt="" title="ãã«ã¼ããªã¼" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2563" /></a></p>
<p>「生」というものは、自分で発見し、創造していくからこそ意味があります。<br />
しかし、多くの人々は他者の教えや本の言葉を容易に信じ込み、それに囚われがちです。</p>
<p>何が真実で何が真実でないか。<br />
それを見出すのは私たち一人一人であって、<br />
それは他人から教え込まれるものではありません。<br />
いかにもそれらしく聞こえるものであっても、<br />
他者が語ったことが本当に真実かどうかは誰にもわかりません。</p>
<p>何かを信じ込んでしまうと、その教えの境界内の外に出れなくなり、<br />
生の無限の可能性が失われてしまいます。</p>
<p>世間には指導者やスピリチュアルマスターと呼ばれる人々が多く存在し、<br />
彼らは私たちに様々なことを語っています。<br />
しかし、彼らの言っていることが本当に正しいかどうかは、<br />
自分で疑いの念を持って見極める必要があります。</p>
<p>むしろ「生」というものは自分の足で歩むものだという確固とした思いがあれば、<br />
他の指導者の言葉や宗教などは必要ないのです。<br />
自分で発見し、自分で見出していくことが人生だからです。<br />
容易に信じ込まず、常に疑い、自分で本物の真理を発見すること。<br />
これが最も重要なことであり、その独立性こそが真の宗教的態度です。</p>
<p>真に独立した精神を持って生きる人にとっては、<br />
外部のいかなる働きかけも不必要です。</p>


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		<title>虚無からの逃走</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2559</link>
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		<pubDate>Thu, 05 Apr 2012 12:09:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れています。 なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。 永遠に続くのではないかと感じられるこの果てしない虚しさ、底なしの虚無は、 自分の人生 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/35-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/35-21.jpg" alt="" title="herb" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2560" /></a></p>
<p>私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れています。<br />
なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。<br />
永遠に続くのではないかと感じられるこの果てしない虚しさ、底なしの虚無は、<br />
自分の人生からあらゆる輝きを奪い、幸福も、喜びも、未来も、<br />
生きている意義も価値も、何もかも一切を失わせます。<br />
文字通り何もない「無」、心の完全な空白です。</p>
<p>それは言わば、<br />
生きたまま自分の死に(この世での自分の生の終わりに)直面しているような精神状態です。<br />
この絶望の虚無、延々と続くと感じられる無限の虚しさを前にして、<br />
私たちの精神は凍りつき、恐れおののき、<br />
その重圧に耐えられずに壊れてしまいそうになります。</p>
<p>人間の精神とって虚無しかない状況というものは耐え難いものであり、<br />
それと向き合うことは極めて恐ろしいことです。<br />
ですから、普段私たちの精神は絶えずこの虚無から逃げようとしています。</p>
<p>意識するしないに関わらず、私たちは絶えずこの虚無に怯えながら生きており、<br />
その虚無と対峙したくないがために我を忘れられる様々な活動に駆り立てられるのです。<br />
なぜなら、こうした活動や我を忘れさせる体験というものは虚無を覆い隠してくれるからです。<br />
世間で見られるひっきりなしの娯楽や騒がしい軽薄な享楽、快楽、騒ぎ、その活動欲というものは、まさに虚無からの逃走と言えるでしょう。</p>
<p>この騒がしい社会、物質や娯楽に溢れ、絶え間なく人が活動し続けるこの文明世界というものは、<br />
絶対の虚無から逃げ続ける集団逃走の場と言えるかもしれません。<br />
もしかしたら現代の文明社会のあり方、その中の人間の活動のほとんどに、<br />
果てもない虚無の暗闇からの逃避が潜んでいるのではないでしょうか。</p>
<p>私たち全員がいずれこの虚無の問題に直面しなければならないでしょう。<br />
この虚無の問題をどう乗り越え、解決するか。<br />
これは私たち人類全体の問題であり、普遍的な課題なのです。</p>


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		<title>エゴを捨て去る</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2556</link>
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		<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 10:52:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の心の問題、恐怖の問題、苦しみと不幸の問題は、 常に「自己」というものと共にあります。つまりエゴです。 エゴこそ心の問題の中心、すべてと言ってもよく、 心の問題とはエゴの問題にほかならないということです。 私たち一人 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/35-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/35-2.jpg" alt="" title="herb" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2557" /></a></p>
<p>人間の心の問題、恐怖の問題、苦しみと不幸の問題は、<br />
常に「自己」というものと共にあります。つまりエゴです。<br />
エゴこそ心の問題の中心、すべてと言ってもよく、<br />
心の問題とはエゴの問題にほかならないということです。</p>
<p>私たち一人一人の人生において最も大きな障害となるのがこの「エゴ」です。<br />
よって、恐怖なく、心の問題を抱えることなく生きるには、<br />
エゴというものの本質を見極め、明確に理解しなければなりません。</p>
<p>恐怖という感情を理解することは、エゴそのものを理解することです。<br />
&#8220;恐怖なしに&#8221;生きることは、自己執着なしに生きることです。<br />
もっと言えば「自己なしに生きること」です。</p>
<p>自己を守り続けようとすること自体が恐怖なのであり、<br />
自己にしがみ続けるかぎり恐怖はなくなりません。<br />
恐怖がなくならないならば、心の自由は決してありません。<br />
自由のない人生は、混乱、葛藤、苦痛、悲しみ、不幸に満ちています。</p>
<p>この人間の心の問題を解決するために、<br />
私たちはある一つの明確な真実を知る必要があるでしょう。<br />
それは、私たち自身が「自己」という縛りから解き放たれること、<br />
「自己」を完全に捨て切って生きることなしに真の心の自由は絶対にないということです。</p>
<p>自己執着—つまりエゴ—こそが心の自由を失わせています。<br />
エゴの殻を破ること、それそのものを捨て去ること。<br />
自己への執着がなくなり、自己なしに生きることをできるようになったとき、<br />
人は心の問題を抱くことなく人生を生きることができるようになるでしょう。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>エゴを捨て去る</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2553</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/news/2553#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 10:51:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の心の問題、恐怖の問題、苦しみと不幸の問題は、 常に「自己」というものと共にあります。つまりエゴです。 エゴこそ心の問題の中心、すべてと言ってもよく、 心の問題とはエゴの問題にほかならないということです。 私たち一人 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/34-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/34-1.jpg" alt="" title="teatime" width="512" height="344" class="alignnone size-full wp-image-2554" /></a></p>
<p>人間の心の問題、恐怖の問題、苦しみと不幸の問題は、<br />
常に「自己」というものと共にあります。つまりエゴです。<br />
エゴこそ心の問題の中心、すべてと言ってもよく、<br />
心の問題とはエゴの問題にほかならないということです。</p>
<p>私たち一人一人の人生において最も大きな障害となるのがこの「エゴ」です。<br />
よって、恐怖なく、心の問題を抱えることなく生きるには、<br />
エゴというものの本質を見極め、明確に理解しなければなりません。</p>
<p>恐怖という感情を理解することは、エゴそのものを理解することです。<br />
&#8220;恐怖なしに&#8221;生きることは、自己執着なしに生きることです。<br />
もっと言えば「自己なしに生きること」です。</p>
<p>自己を守り続けようとすること自体が恐怖なのであり、<br />
自己にしがみ続けるかぎり恐怖はなくなりません。<br />
恐怖がなくならないならば、心の自由は決してありません。<br />
自由のない人生は、混乱、葛藤、苦痛、悲しみ、不幸に満ちています。</p>
<p>この人間の心の問題を解決するために、<br />
私たちはある一つの明確な真実を知る必要があるでしょう。<br />
それは、私たち自身が「自己」という縛りから解き放たれること、<br />
「自己」を完全に捨て切って生きることなしに真の心の自由は絶対にないということです。</p>
<p>自己執着—つまりエゴ—こそが心の自由を失わせています。<br />
エゴの殻を破ること、それそのものを捨て去ること。<br />
自己への執着がなくなり、自己なしに生きることをできるようになったとき、<br />
人は心の問題を抱くことなく人生を生きることができるようになるでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>自己という牢獄</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2550</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2550#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 03 Apr 2012 05:10:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「私がある」「自分が生きている」「自分が存在している」 これこそ人間の人生の根底をなすもので、 この「私」「自分」という意識、感覚に私たちはいつも依存し、執着しています。 「私」「自分」というものを保持し、守り、強化する [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/32-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/32-2.jpg" alt="" title="åçæã¨æ¸æµã¨åèãVirgin forest and shaft beam of li" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2551" /></a></p>
<p>「私がある」「自分が生きている」「自分が存在している」<br />
これこそ人間の人生の根底をなすもので、<br />
この「私」「自分」という意識、感覚に私たちはいつも依存し、執着しています。</p>
<p>「私」「自分」というものを保持し、守り、強化すること、<br />
それが私たちの多くの人生ではないでしょうか。<br />
私たちは常に自分に執着し、自分にこだわり、自分を守り、<br />
自分を失うまいとして心の闘いを繰り広げています。<br />
私たちは「自分」というものを失いたくないのです。</p>
<p>その「自分を失いたくない」という心の動きがまさに「恐怖」です。<br />
人は絶えず「自分」というものを握りしめ、手放そうとせず、<br />
いつかそれが失われるのではないか、傷ついてしまうのではないか、<br />
消えてしまうのではないかと戦々恐々と怯えながら生きています。</p>
<p>自己を手放さないなら手放さないだけ恐怖は延々と続きます。<br />
こうして生きることは戦いになり、恐れなければならないものとなってしまいます。</p>
<p>これが「自己」という鎖、恐怖の鎖です。<br />
恐怖とは「自己を失うこと」に対する心の反応、衝動、怯え、不安です。<br />
「自己」こそが恐怖の根であり、心の苦しみの根源なのです。</p>
<p>自己への執着と依存があるかぎり恐怖というものは人間の中からなくなることはないでしょう。<br />
自己と恐怖は表裏一体の同じコインであり、<br />
「自己に執着する心」とは裏を返せば「恐怖に縛られている心」です。</p>
<p>この自己という恐怖の「牢獄」によって、<br />
私たちの人生は苦痛と混乱の絶えない不幸なものとなってしまっているのです。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://spiritual-public-foundation.org/message/2550/feed</wfw:commentRss>
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	</item>
		<item>
		<title>アロマオイル　33本セット</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2546</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/news/2546#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 03 Apr 2012 03:57:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2546</guid>
		<description><![CDATA[&#160; イランイラン 5ml、オレンジ 5ml、カモミールロマン 5ml、クラリセージ 5ml、グレープフルーツ 5ml、クローブ 5ml、サイプレス 5ml、シナモンリーフ 5ml、ジャスミンアブソリュート 2m [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://divinesoul.jp/wp-content/uploads/2012/04/aroma1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org//HLIC/c8bf26ad3fdd2646d716c0ad82941046.jpg" alt="" title="aroma" width="425" height="425" class="aligncenter size-medium wp-image-13948" /></a></p>
<p>イランイラン 5ml、オレンジ 5ml、カモミールロマン 5ml、クラリセージ 5ml、グレープフルーツ 5ml、クローブ 5ml、サイプレス 5ml、シナモンリーフ 5ml、ジャスミンアブソリュート 2ml 、ジュニパーベリー 5ml、ゼラニウム 5ml、タイムホワイト 5ml、ティーツリー 5ml、パイン 5ml、パチョリ 5ml、オリバナム 5ml、ペパーミント 5ml、マージョラム 5ml、ミルラ 5ml、ラベンダー 5ml、レモン 5ml、ライム 5ml、プチグレン 5ml、ローズアブソリュート 2ml、ローズマリー 5ml、ベルガモット 5ml、ジャーマンカモミール 5ml、ユーカリ 5ml、ローズウッド 2ml、サンダルウッド 5ml、ベチバー 5ml、パルマローザ 5ml、レモングラス 5ml</p>
<h5><span style="color: #993300;"><br />
</span></h5>
<table width="440" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="4"><strong>【価格】</strong></td>
</tr>
<tr>
<td colspan="4"><img src="http://spiritual-public-foundation.org//HLIC/221d8352905f2c38b3cb2bd191d630b0.gif" alt="" width="1" height="10" /></td>
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<tr bgcolor="#cccccc">
<td colspan="4"><img src="http://spiritual-public-foundation.org//HLIC/221d8352905f2c38b3cb2bd191d630b0.gif" alt="" width="1" height="1" /></td>
</tr>
<tr>
<td colspan="4"><img src="http://spiritual-public-foundation.org//HLIC/221d8352905f2c38b3cb2bd191d630b0.gif" alt="" width="1" height="10" /></td>
</tr>
<tr>
<td><strong>150,000円<span>　（税込）</span></strong></td>
<td colspan="2"></td>
</tr>
<tr>
<td colspan="4"><img src="http://spiritual-public-foundation.org//HLIC/221d8352905f2c38b3cb2bd191d630b0.gif" alt="" width="1" height="10" /></td>
</tr>
<tr bgcolor="#cccccc">
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		<title>「自分」を失うことへの恐れ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2543</link>
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		<pubDate>Mon, 02 Apr 2012 13:41:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは、自分というものに執着して生きています。 「自分」というものが私たち人間の生の基盤とも言えます。 自分の出世、自分の未来、自分の所有、自分の人間関係、 自分の仕事、自分の財産、自分の名誉、自分の人気、 自分の知識 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/32-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/32-1.jpg" alt="" title="Blue sky over solar panels" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2544" /></a></p>
<p>私たちは、自分というものに執着して生きています。<br />
「自分」というものが私たち人間の生の基盤とも言えます。</p>
<p>自分の出世、自分の未来、自分の所有、自分の人間関係、<br />
自分の仕事、自分の財産、自分の名誉、自分の人気、<br />
自分の知識、自分の幸せ、自分の地位、自分の存在理由etc</p>
<p>これら全てとさらにもっと多いのが「自分」であり、<br />
そしてそのような自分に執着しているのが私たち自身です。<br />
自分というものを保持し、守り、強化すること―<br />
それが多くの人々の人生ではないでしょうか。</p>
<p>しかしながら、この自己執着があるかぎり、<br />
私たちは恐怖のとりこになってしまうでしょう。<br />
なぜなら、恐怖とは「自己を失うこと」に対する怯え、不安だからです。</p>
<p>恐怖の根は「自分」というもの失うことにあります。<br />
人は「自分」を失うことを恐れ、それを手放そうとしません。<br />
しかし、手放さないなら手放さないだけ恐怖は延々と続きます。<br />
「自分を失いたくない」という心の動きがまさに「恐怖」そのものだからです。<br />
自己への執着があるかぎり、私たちは恐怖の鎖に縛られたままです。</p>
<p>恐怖に縛られているならば、決して自由はありません。<br />
自由のない人生は混乱や葛藤、苦しみや悲惨に満ちています。<br />
完全に自由であるには、「自己を捨てる」ことが必要になります。<br />
自分に執着せず、自分という中心を手放せるかどうかです。</p>
<p>「自分」こそが恐怖の根です。<br />
この恐怖の根を取り除くとは、自己(エゴ)そのものを捨て去るということです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「在る」ということ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2540</link>
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		<pubDate>Mon, 02 Apr 2012 13:40:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「在る」ということは、途方もなく神秘に溢れたことです。 世界は存在し、その中に様々な生命が存在します。 それらは「在る」のです。 野に咲く花は、ただ黙ってそこに存在しています。 大地に立つ樹も、ただじっとそこに存在してい [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/30-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/04/30-2.jpg" alt="" title="???" width="377" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2541" /></a></p>
<p>「在る」ということは、途方もなく神秘に溢れたことです。<br />
世界は存在し、その中に様々な生命が存在します。<br />
それらは「在る」のです。</p>
<p>野に咲く花は、ただ黙ってそこに存在しています。<br />
大地に立つ樹も、ただじっとそこに存在しています。<br />
石も岩も星、ただそこに存在しています。</p>
<p>「在る」ということが生命の本質です。<br />
そこにはどんな意図も意志もなく、ただ「存在すること」だけがあります。</p>
<p>あなたは「在る」ということのの奇跡を感じたことはないでしょうか。<br />
それとも「在る」ということは、当たり前のことなのでしょうか。</p>
<p>「在る」ということは神聖なことなのです。<br />
それは命、宇宙、神であって、驚くべき事象です。<br />
あなたは、ただ「在る」ことの美しさ、その神秘を感じたことがあるでしょうか?<br />
どんな意図も目的もない、それ自体に無限の意義を含む、<br />
ただ「在る」ということの大いなる神秘を―</p>
<p>ただ「在る」ということは、聖なる宇宙そのものの姿です。<br />
しかもそれは、不断に創造されつつあるものなのです。<br />
静かに立ってる木は、常に生長し、枯れ、そしてまた芽吹きます。<br />
天体はただ在りながら、かつ動き続けています。</p>
<p>「在る」ことは、宇宙の創造であり、<br />
創造とは「存在し続けよう」とする宇宙の意志です。</p>


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		<title>花が持つ自由</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2537</link>
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		<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 02:26:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[野に咲く花は、恐怖や不安を持ちません。 どんな葛藤も、苦悩もなく、ただ咲いています。 そこにあるのは「無私」の姿です。 完全に「我」を持たないエゴなき姿です。 人間は欲を持ち、そしてエゴを持ちます。 その欲、自分への執着 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/29-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/29-2.jpg" alt="" title="ç" width="439" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2538" /></a></p>
<p>野に咲く花は、恐怖や不安を持ちません。<br />
どんな葛藤も、苦悩もなく、ただ咲いています。<br />
そこにあるのは「無私」の姿です。<br />
完全に「我」を持たないエゴなき姿です。</p>
<p>人間は欲を持ち、そしてエゴを持ちます。<br />
その欲、自分への執着が恐怖や葛藤を作り出しています。</p>
<p>人間の心の自由を失われているのは他ならぬエゴであり、<br />
その自己執着そのものが私たちの心を縛っています。<br />
真に自由な心というものは、欲のない心、無私の心です。<br />
つまり完全なる自己放棄から生まれる心です。<br />
この放棄が本当の心の自由を作ります。</p>
<p>大抵の人は自分というものに執着し、そのエゴを手放そうとしません。<br />
しかし、エゴを手放さないかぎり心の自由はありません。<br />
エゴに縛られているかぎり苦悩や葛藤、恐怖に終わりはないということ、<br />
真の心の自由はないということをしっかりと理解する必要があります。</p>
<p>人間の内面の美、そして心の自由を養うのは、「我」が捨てた無私の心です。<br />
それは花と同じような沈黙の美しさ、無の美しさであり、<br />
自我というものを持たない透明な心です。<br />
この美しさ、この無私のあり方こそ私たちに必要なものです。<br />
なぜなら、この心がないかぎり、人は苦しみから解放されないからです。</p>
<p>私たちは花の姿から、真の自由を学ぶことができます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>人間の創造性</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2534</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2534#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 02:25:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2534</guid>
		<description><![CDATA[絶えず学び、絶えず発見している精神は常に活き活きしており、 新鮮さを失わず、退屈や停滞をもつことはありません。 このような学びがあるとき、または新しい学びが始まるとき、 そこにはすでに「生の創造性」が働いています。 学ぶ [...]


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</ol>]]></description>
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<p>絶えず学び、絶えず発見している精神は常に活き活きしており、<br />
新鮮さを失わず、退屈や停滞をもつことはありません。<br />
このような学びがあるとき、または新しい学びが始まるとき、<br />
そこにはすでに「生の創造性」が働いています。</p>
<p>学ぶこと、理解すること、発見することは、<br />
それ自体その人の「生」を変容させ、新しい人間を創るのです。<br />
それが創造性、人間の創造性です。<br />
「創造的な人間」とは、絶えず学び、理解し、発見している人間であることです。</p>
<p>人間の学びというものは一生涯続くものです。<br />
「生きる」とは何か、「人間」とは何か、人として生きるというどういうことか。<br />
私たちはそのことを今日この日から真剣に考えることができます。</p>
<p>学びが一生続くということは、人間の創造の可能性も一生続くということです。<br />
そしてその創造性は無限の広がりをもっています。<br />
人間の数だけ、多くの創造性があると言ってもいいでしょう。</p>
<p>全ては、私たち一人一人が真剣に人生に取り組めるかどうかにかかっています。<br />
生というものが厳粛なものであるとして、生の探究と学びを真剣に始めるならば、<br />
人は生というもの無限の可能性とその深さに気づくはずです。<br />
その気づきと真剣な学びから、人生そのものに変革が起こり、<br />
生の新たなる創造性が開花するのです。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>生命の流れ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2530</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2530#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 13:04:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[生というものは常に流れ続けています。 生とは、全宇宙の運動であり、留まらずに流れ続ける川と同じです。 川の流れは、留まることを知りません。 過去も未来もなく刻々と流れ続けます。 この一瞬一瞬の生もまた、それと同じです。  [...]


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<p>生というものは常に流れ続けています。<br />
生とは、全宇宙の運動であり、留まらずに流れ続ける川と同じです。</p>
<p>川の流れは、留まることを知りません。<br />
過去も未来もなく刻々と流れ続けます。<br />
この一瞬一瞬の生もまた、それと同じです。<br />
生命の活動には過去も未来もなく、ただ一瞬一瞬の流れがあるだけです。</p>
<p>この瞬間、生は動きつつあります。<br />
今ここにあったものは、もはやどこにも存在しません。<br />
それはすでに流れ去って、永遠に戻ってこないものです。</p>
<p>今この瞬間にあったものは、もう二度と戻ることはないでしょう。<br />
それは永遠に最初で最後の「今」であり、<br />
その「今」という瞬間こそが生命の爆発です。<br />
その「今」は宇宙の奇跡であり、測り知れない神秘です。</p>
<p>私たちは止まることのない生の流れの中にいます。<br />
私たち自身がその流れの一部です。<br />
人も、鳥も、雲も、風も、宇宙の存在の全てが生の流れの一部です。</p>
<p>今という瞬間に、全てが動いています。<br />
「動いている」ということ自体、大いなる神秘です。<br />
生とは、静止することなく動き続ける奇跡です。</p>


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		<title>心の真の自由</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2526</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2526#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 13:03:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2526</guid>
		<description><![CDATA[私たちの多くは、自己達成や成功を望みます。 金銭、仕事、恋、人間関係、様々な理想と成就― 人は多くのことを希望し、渇望し、その達成のために動きます。 社会や世間での生活で挫折したりすると、 今度はスピリチュアルや宗教とい [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/27-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/27-1.jpg" alt="" title="æ¥ã®åº" width="512" height="384" class="alignnone size-full wp-image-2527" /></a></p>
<p>私たちの多くは、自己達成や成功を望みます。<br />
金銭、仕事、恋、人間関係、様々な理想と成就―<br />
人は多くのことを希望し、渇望し、その達成のために動きます。</p>
<p>社会や世間での生活で挫折したりすると、<br />
今度はスピリチュアルや宗教といったものにはまり、<br />
霊的な自己実現や成就を追い求めたりします。</p>
<p>いずれにしても、私たちは多くのものを望み、求め、<br />
自己を満たすために心は欲に囚われます。<br />
しかし、そうして自分が得たもの、達成したものがいざ失われると、<br />
人は絶望という苦しみの状態に陥ります。</p>
<p>はたして、心の所有や満足、達成というものは永続するものでしょうか。<br />
それとも、それらは全て一時的なものにすぎず、<br />
やがて必ず消えてしまうものでしょうか。<br />
もし人が「死」という現実を直視するなら、<br />
永続するものは何もないということを悟るでしょう。</p>
<p>心が何を所有していたとしても、それはやがて消えてしまうものです。<br />
あなたはその心の所有によって自分を支え、満足を得ているかもしれませんが、<br />
その支えも満足も決して永続しないものです。<br />
にも関わらず、私たちは自分の心の所有に執着し、<br />
それが失われてしまうのではないかと絶えず怯えているのです。<br />
そこに、心の自由はありません。</p>
<p>心の真の自由とは、もはや何も求めず、持たず、失わないということです。<br />
こうして心が空っぽであることで自身の心は浄化され、<br />
かつそこから人間の本当の自由が生まれます。<br />
「何もない」ということ―それが心の真の安らぎを開花させます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>恐怖と向かい合う</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2523</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2523#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 03:10:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たち人間は「恐怖」という感情を持ちます。 恐怖という感情は私たちにとって大きな重荷です。 恐怖がそこにあるとき、心の自由は決してありません。 恐怖が人生を覆ってしまうとき、生きることは苦しみになります。 人生に対する不 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/23-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/23-2.jpg" alt="" title="å¯å£«å±±" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2524" /></a></p>
<p>私たち人間は「恐怖」という感情を持ちます。<br />
恐怖という感情は私たちにとって大きな重荷です。<br />
恐怖がそこにあるとき、心の自由は決してありません。<br />
恐怖が人生を覆ってしまうとき、生きることは苦しみになります。<br />
人生に対する不安、焦り、苦痛—こうしたものも恐怖に縛られた心から起こるものです。</p>
<p>なぜ私たちは恐れるのでしょうか。<br />
「恐れる」ということは一体どういうことなのでしょうか。</p>
<p>私たちの多くは、この「恐怖」という感情を理解していません。<br />
自分自身の恐怖と真剣に向き合って、その恐怖の原因と根源を突き止めようとしないのです。<br />
恐怖を理解していないからこそ、恐怖という感情に何度も囚われます。</p>
<p>私たちは、自分自身の恐怖と真に向かい合い、それを学ぶことで、<br />
恐怖という感情の真実を悟ることができます。<br />
そして、恐怖という感情を一切持たない生き方を学ぶこともできます。</p>
<p>すべては、私たち一人一人が自分自身の恐怖から顔を背けず、そこに留まり、<br />
その恐怖そのものから「恐怖」というものの真相を自分で掴めるかどうかです。</p>
<p>自分の恐怖を終わらせるのは、自分自身にほかなりません。<br />
恐怖というものと正面から向かい合って、<br />
「恐怖とは何なのか」「自分は何を恐れているのか」ということを、<br />
自分ではっきりと理解したとき、そのとき恐怖というものに終止符が打たれます。</p>
<p>恐怖から逃げ続けても何の解決にもなりません。<br />
恐怖から逃げようとする心もまた恐怖に囚われています。<br />
恐怖と向き合い、そこに留まり、恐怖の真相を見抜くこと。</p>
<p>自分自身で恐怖を終わらせることに意義があるのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>心の普遍性</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2520</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2520#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Mar 2012 11:43:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[心の問題というものは、人類共通の問題、普遍的で宇宙的な問題です。 どのような場所に住んでいようと、人種や文化の違いがあろうと、 私たちは等しく「人間」であり、同じ心の問題を抱えています。 恐怖、不安、悲しみ、葛藤、絶望、 [...]


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<p>心の問題というものは、人類共通の問題、普遍的で宇宙的な問題です。<br />
どのような場所に住んでいようと、人種や文化の違いがあろうと、<br />
私たちは等しく「人間」であり、同じ心の問題を抱えています。<br />
恐怖、不安、悲しみ、葛藤、絶望、寂しさ―こうした心の在りようは人類共通です。</p>
<p>どの時代、どの社会、どの文明であろうとも、<br />
同じ人間である以上「心」は等しく共通のものも、普遍的なもの、宇宙的なものです。<br />
この人類共通の心の問題は、私たちが真剣に取り組まなければならないものです。<br />
なぜなら、それが「生」だからです。<br />
「生」を生きる、「生」と向かい合うということはそういうことです。</p>
<p>もし、私たちが自身の心の問題と向き合って理解しないならば、<br />
人間の苦しみ、不幸、悲惨は終わることなく続いていくでしょう。</p>
<p>人類共通の「心」の問題に向き合うということは、「人類」の問題に向き合うということ、<br />
「宇宙」の問題に向き合うということです。<br />
時を超え、時代や文化を超え、人種や民族を超え、<br />
ただ純然と「人間」という聖なる存在(生命)として生き、<br />
それが抱える問題に真剣に取り組むこと。</p>
<p>そのとき、あなたは「個人」ではなく「全体」であり、<br />
「一人」ではなく「人類」なのです。<br />
あなたの精神が人類と宇宙の普遍性に目覚めるとき、<br />
あなた自身が宇宙そのものとなるでしょう。<br />
なぜなら、人間という存在、その生命は、宇宙そのものだからです。</p>


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	</item>
		<item>
		<title>学び続けること</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2517</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2517#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 12:05:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「生」とは学びです。 「生」における学びに終わりはありません。 生において学ぶことは無限にあります。 学ぶということは、 何か専門的な知識や言葉を頭に詰め込むということではありません。 真の学びとは「人間」そのものから、 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/18-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/18-21.jpg" alt="" title="???" width="512" height="343" class="alignnone size-full wp-image-2518" /></a></p>
<p>「生」とは学びです。<br />
「生」における学びに終わりはありません。<br />
生において学ぶことは無限にあります。</p>
<p>学ぶということは、<br />
何か専門的な知識や言葉を頭に詰め込むということではありません。<br />
真の学びとは「人間」そのものから、「人生」そのものから学ぶことです。<br />
自分の心の動き、感情、精神を理解すること。<br />
人生の意義、真理とは何なのかという探究―<br />
人間、人生における全てが学びであり、学ぶことこそ「生」です。</p>
<p>もし何も学ばないならば、一体その生はどうなるでしょうか。<br />
そのような人生は堕落し、腐敗し、凡庸で卑小なものとなってしまうでしょう。<br />
学ぶべきことは無限にあり、その学ぶ機会は「今ここに」あります。</p>
<p>人は、この瞬間瞬間の全てから学ぶことができます。<br />
「生」とは一瞬一瞬起こり続けているものであり、<br />
その一瞬一瞬の生に気づき、知覚し、注意を払うことで、<br />
「生」そのものが私たちに学びと理解を与えてくれるでしょう。</p>
<p>「生」は無限なるものです。<br />
「生」が無限ならば、学ぶことも無限です。<br />
もし学ぶことが何もないというのであれば、<br />
そのような人生は停滞しており、人間としての創造性は皆無でしょう。<br />
創造がないとき、人間の精神は死んでしまいます。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>恐怖の根</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2514</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2514#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Mar 2012 10:00:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たち人間は恐怖を持ちます。 恐怖があるとき、人間の心は決して自由ではありません。 恐怖から自由でないならば、人生そのものが不安と苦痛に満ちているでしょう。 では、私たち人間がもつ「恐怖」というものの根は何なのでしょうか [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/18-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/18-2.jpg" alt="" title="???" width="512" height="343" class="alignnone size-full wp-image-2515" /></a></p>
<p>私たち人間は恐怖を持ちます。<br />
恐怖があるとき、人間の心は決して自由ではありません。<br />
恐怖から自由でないならば、人生そのものが不安と苦痛に満ちているでしょう。</p>
<p>では、私たち人間がもつ「恐怖」というものの根は何なのでしょうか。<br />
一体、私たちは何を恐れているのでしょうか。<br />
一つ一つの枝葉の恐怖ではなく、恐怖というものの根は何なのかということです。</p>
<p>恐怖にも様々な種類があり、人によって抱く恐怖というものは違います。<br />
しかし、違いがあるにせよ、人間の恐怖の「根」というものを考えたとき、<br />
ある一つの大きな原因にたどり着くように思われます。<br />
それは「自己を失うことへの恐怖」です。</p>
<p>私たちは常に、自己を失うことに怯えているのではないでしょうか。<br />
自己、自分、自我、私—呼び名は様々ですが、この「私」という意識、<br />
「私」という感覚を失うことを恐れているのではないでしょうか。</p>
<p>私たちは心理的に自分を守り、かつそれに執着して生きています。<br />
「自分である」ということが、私たちの人生の基盤だからです。<br />
よって、何かしら挫折や不幸、偶然の出来事などによって、<br />
「自分」というものが失われると、人は絶望し、悲しみ、苦しみます。<br />
人は絶えず「自分」を保持しようとしており、<br />
それを失うのではないか戦々恐々としながら生きています。</p>
<p>これこそ「自己」という鎖、恐怖の鎖です。<br />
まさに「自己」こそが恐怖の根であり、一切の心の苦しみの根源なのです。<br />
人生において問題となるのは、この「自己」への執着です。<br />
自己への執着を断ち切り、自己そのものから解放された時にのみ、<br />
私たちは本当の心の自由というものを理解するでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>自然からの声</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2510</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2510#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 21 Mar 2012 12:46:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[自然は私たちにいつも何かを語りかけてきています。 私たちはその自然の声を聴いているでしょうか。 それとも無関心にただやり過ごしているだけでしょうか。 自然の声とは、生命の声、宇宙の声です。 その声は、私たちに大いなる美を [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/16-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/16-2.jpg" alt="" title="?" width="341" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2511" /></a></p>
<p>自然は私たちにいつも何かを語りかけてきています。<br />
私たちはその自然の声を聴いているでしょうか。<br />
それとも無関心にただやり過ごしているだけでしょうか。</p>
<p>自然の声とは、生命の声、宇宙の声です。<br />
その声は、私たちに大いなる美を、神秘を語りかけています。<br />
しかし、自然がいくら私たちに語りかけても、<br />
私たち自身がそれを聴かなければ何も意味はありません。</p>
<p>目の前で生きている草や花は私たちに語りかけています。<br />
道端に何気なく転がっている石も何かを語りかけています。<br />
果てしない空、そこに浮かぶ雲も星も私たちに何かを語っています。<br />
その全ては宇宙の神秘、生命の奇跡です。</p>
<p>私たち人間は、これほどまでに無限で豊かな神秘に囲まれていながら、<br />
その神秘と奇跡に対しての深い感受性を持ちません。<br />
そのような乏しい感受性では、神秘は神秘でなくなり、<br />
奇跡は奇跡でなくなり、世界は灰色の色あせたものになってしまうでしょう。</p>
<p>なぜ私たち人間は自然の生命の声を聴かなくなってしまったのでしょうか。<br />
娯楽や人工的なものばかりに心を奪われているからでしょうか。<br />
仕事やお金、世間的な成功や野心ばかりに囚われているからでしょうか。<br />
なぜこれほどまでに「自然」に対する関心が浅くなってしまったのでしょうか。</p>
<p>宇宙の大いなる美、生命の奇跡の声が聴こえないならば、<br />
その人生はあまりにも心貧しいものでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>生の厳粛さ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2507</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2507#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Mar 2012 08:46:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間とは、学び続けることのできる存在です。 私たちは「生」から、人間そのものから無限に多くのことを学び、発見することができます。 学び、発見するためには、人は真剣な心を、厳粛な心をもたなければなりません。 生に「学ぶ」と [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/17-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/17-1.jpg" alt="" title="?????" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2508" /></a></p>
<p>人間とは、学び続けることのできる存在です。<br />
私たちは「生」から、人間そのものから無限に多くのことを学び、発見することができます。<br />
学び、発見するためには、人は真剣な心を、厳粛な心をもたなければなりません。</p>
<p>生に「学ぶ」ということは、快楽や自己満足ではありません。<br />
それは真に厳粛なことです。なぜなら、私たちは「命」を生きており、<br />
命を生きているということはとてつもなく神聖なことだからです。<br />
ですから、己の喜びや満足、達成や欲のために学ぶということではありません。<br />
ただ純粋に「学ぶ」ということ、学ばなければならないから学ぶということです。</p>
<p>「命」から学ぶということ、「生」から学ぶということ、<br />
そして「人間」という生を通して学ぶということ。<br />
それは真に厳粛なことであり真摯な心で向かい合わなければなりません。<br />
生というものは本来とても神聖なものであるからこそ、<br />
私たち自身も神聖な心を持って生きなければなりません。</p>
<p>「生」における学びに終わりはありません。<br />
「生」こそが、私たちに無限に多くのことを学ばせてくれるのであり、<br />
そういう意味では「生」そのものが私たちの師です。<br />
「生」から教わり、「生」から学ぶということ。それが人生です。</p>
<p>ここで言う「学び」とは、何か専門的な知識や言葉を頭に詰め込んだり、<br />
単に暗記するということではありません。<br />
そのような知識はどこまでいっても表面的で浅いものです。<br />
真の学びとは「人間」そのものから、「生」そのものから学ぶということです。<br />
私たちは「生」の全てから無限に多くのことを学ぶことができます。<br />
この世界の全てから、人間であることの全てからです。</p>
<p>「生」そのもの、「生」のあらゆるものが私たちに多くのことを教えてくれます。<br />
「生」は、私たちが生きるこの一瞬一瞬の全てにあります。<br />
今まさに「生」は一瞬一瞬起こりつつあり、<br />
私たちはその「生」を直接に見、聴き、感じることができ、<br />
その瞬間瞬間の全てから学ぶことができます。</p>
<p>生きることは、学ぶことです。そして発見することです。<br />
この学びと発見から、人間の創造性が開花します。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>生きていることの意義</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2503</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2503#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Mar 2012 11:45:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[花や植物は太陽の光を浴びて生長していきます。 やがて枯れるときは、地に種を残して自らの使命をまっとうします。 その種からまた新しい生命が息吹きます。 野生の鳥たちは、生きるためにエサを探し、 時期が来るとヒナを育て、命を [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/15-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/15-2.jpg" alt="" title="Close-up of a bowl of flowers" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2504" /></a></p>
<p>花や植物は太陽の光を浴びて生長していきます。<br />
やがて枯れるときは、地に種を残して自らの使命をまっとうします。<br />
その種からまた新しい生命が息吹きます。</p>
<p>野生の鳥たちは、生きるためにエサを探し、<br />
時期が来るとヒナを育て、命を未来へと繋げていきます。<br />
昆虫、魚、あらゆる生物が命そのものを生きています。<br />
彼らには何の疑問もありません。彼らは自らのまっとうすべき生をわかっているからです。<br />
だからこそ何の無秩序も混乱もなく、ただその使命と意義のままに生きています。<br />
大いなる沈黙の中で、彼らは無言で生命を燃やし尽くすだけでしょう。</p>
<p>これら全ての生物、存在を支える大自然もまた宇宙の摂理のままに生き、動いています。<br />
何もせずとも風は吹き、川を流れ、雨は降り、星は瞬き、太陽は昇り、そして沈みます。<br />
森羅万象、宇宙全体が生命の摂理に従って生きています。<br />
そこには「なぜ生きるのか」「なぜ存在するのか」という問いはありません。<br />
生きるがゆえに生き、存在するがゆえに存在する。</p>
<p>生きること、生きようとすること、存在すること、存在し続けようとすること。<br />
それが命であり、命の意義だからです。</p>
<p>「なぜ生きるのか」ではなく、「生きている」ということ。<br />
「なぜ存在するのか」ではなく、「存在している」ということ。</p>
<p>「生きている」ということそのものに生の意味があり、<br />
「存在している」ということそのものに存在の意義があるということ。</p>
<p>よって私たち人間も、他の生きる意義を探し求める必要はありません。<br />
なぜなら、生きてているということそれ自体が無限の意義を持っているからです。<br />
人間もまた生命であり、宇宙の摂理の中で存在しているのです。</p>


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		<item>
		<title>虚無の克服</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2499</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2499#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Mar 2012 10:33:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2499</guid>
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<p>人間の持つ恐怖、不安の根源的原因は、<br />
「何もない虚無」に対する恐れ、不安です。<br />
この果てしない虚無に対する反応、衝動が恐怖や不安の根です。</p>
<p>私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れます。<br />
なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。<br />
意識するしないに関わらず、私たちは絶えずこの虚無に怯えながら生きており、<br />
世間で見られるひっきりなしの娯楽や騒がしい軽薄な活動というものは、<br />
まさにこの虚無からの逃走と言えるでしょう。</p>
<p>この衝動、逃避があるかぎり心の自由は決してありません。<br />
では私たちは一体どうすればこの虚無の呪縛から解き放たれるでしょうか。<br />
どうすればこの虚無を克服できるでしょうか。</p>
<p>虚無から逃げ続けても虚無を克服することはできません。<br />
それではただ一時的な逃避、問題の先延ばしでしかありません。<br />
問題解決の答えは一つしかありません。<br />
それは、虚無から逃げないこと、むしろ全面的に虚無と向かい合い、<br />
その虚無に留まり、そしてもはや虚無が気にならなくなるほどに、<br />
虚無そのものに慣れてしまうことです。</p>
<p>その虚無を意識しなくなるほどに虚無に慣れるならば、<br />
もはや「そこに」虚無はありません。<br />
むしろ、虚無こそが人間の心の本当の自由をもたらすものだと悟るまで、<br />
虚無に留まり続け、そして虚無に慣れるならば、<br />
その虚無が心の真の静寂と平安をもたらすでしょう。</p>
<p>虚無とは、心の絶対的な静けさと同じです。<br />
これまで私たちの心は虚無から逃げるために騒がしく動いていましたが、<br />
そのように逃げること自体が心の混乱と苦しみであるという真理を見抜き、<br />
もはや何もない空っぽの絶対の無に留まることが心の真の自由であると悟ったならば、<br />
そのとき虚無との闘いは終息するのです。</p>


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		<item>
		<title>虚無の克服</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2496</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2496#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 14 Mar 2012 09:24:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>人間の持つ恐怖、不安の根源的原因は、<br />
「何もない虚無」に対する恐れ、不安です。<br />
この果てしない虚無に対する反応、衝動が恐怖や不安の根です。</p>
<p>私たちは、自分が何もない無(虚無)に飲み込まれることを恐れます。<br />
なぜなら、その虚無は「自分」というものを無にしてしまうからです。<br />
意識するしないに関わらず、私たちは絶えずこの虚無に怯えながら生きており、<br />
世間で見られるひっきりなしの娯楽や騒がしい軽薄な活動というものは、<br />
まさにこの虚無からの逃走と言えるでしょう。</p>
<p>この衝動、逃避があるかぎり心の自由は決してありません。<br />
では私たちは一体どうすればこの虚無の呪縛から解き放たれるでしょうか。<br />
どうすればこの虚無を克服できるでしょうか。</p>
<p>虚無から逃げ続けても虚無を克服することはできません。<br />
それではただ一時的な逃避、問題の先延ばしでしかありません。<br />
問題解決の答えは一つしかありません。<br />
それは、虚無から逃げないこと、むしろ全面的に虚無と向かい合い、<br />
その虚無に留まり、そしてもはや虚無が気にならなくなるほどに、<br />
虚無そのものに慣れてしまうことです。</p>
<p>その虚無を意識しなくなるほどに虚無に慣れるならば、<br />
もはや「そこに」虚無はありません。<br />
むしろ、虚無こそが人間の心の本当の自由をもたらすものだと悟るまで、<br />
虚無に留まり続け、そして虚無に慣れるならば、<br />
その虚無が心の真の静寂と平安をもたらすでしょう。</p>
<p>虚無とは、心の絶対的な静けさと同じです。<br />
これまで私たちの心は虚無から逃げるために騒がしく動いていましたが、<br />
そのように逃げること自体が心の混乱と苦しみであるという真理を見抜き、<br />
もはや何もない空っぽの絶対の無に留まることが心の真の自由であると悟ったならば、<br />
そのとき虚無との闘いは終息するのです。</p>


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	</item>
		<item>
		<title>漠然とした不安</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2492</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2492#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 13:20:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間という存在は、何かしら漠然とした不安をいつも抱えています。 自分で何に対して不安を抱いているのかがわからず、 わからないまま得体の知れない不安感にさいなまれているのです。 原因や理由のわからない不安というものは底のな [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/09-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/09-2.jpg" alt="" title="Boy Drawing line in the sand" width="512" height="401" class="alignnone size-full wp-image-2493" /></a></p>
<p>人間という存在は、何かしら漠然とした不安をいつも抱えています。<br />
自分で何に対して不安を抱いているのかがわからず、<br />
わからないまま得体の知れない不安感にさいなまれているのです。<br />
原因や理由のわからない不安というものは底のない闇のようなものです。</p>
<p>この得体の知れない漠然とした不安というものは一体何なのでしょうか。<br />
そしてなぜそれは生まれるのでしょうか。<br />
その答えは、まさにその不安の中にあります。</p>
<p>私たちは、得体の知れない未知の闇を恐れています。<br />
その底知れない虚無、底の見えない虚無に対する恐れ、怯えです。<br />
「漠然としているもの」とは、まさにその「虚無」です。<br />
私たちは何もない「無」を、その「空白」を恐れているのです。</p>
<p>ではなぜその「虚無」を、底なしの「空白」を恐れるのでしょうか。<br />
それは、その虚無、何もない無が「自分」を飲み込み、<br />
「自分」が失われると思うからです。<br />
自分が自分でなくなり、ただの無でしかなくなってしまうことへの恐れです。</p>
<p>私たちは「無」を恐れているのです。<br />
そしてそれは同時に「自分」を失ってしまうことへの恐れです。<br />
「漠然とした不安」とは、「何もない虚無への不安」、<br />
「自分が消えてなくなることへの不安」、「自分が自分でなくなることへの不安」です。</p>
<p>不安の根源は、自己消失への恐れ、怯えであり、<br />
果てしないと思える虚無の深遠に対する心とエゴの反応なのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>創造と新生</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2489</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/news/2489#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 12 Mar 2012 12:13:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[私たち一人一人の人間には、 その人にしかない創造性や独自性というものがあります。 生の創造はそれぞれ人によって異なります。 他者の真似をするのではなく、自分の生を見出すこと— それが創造であり、その可能性は無限にあると言 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/08-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/08-2.jpg" alt="" title="?????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2490" /></a></p>
<p>私たち一人一人の人間には、<br />
その人にしかない創造性や独自性というものがあります。<br />
生の創造はそれぞれ人によって異なります。<br />
他者の真似をするのではなく、自分の生を見出すこと—<br />
それが創造であり、その可能性は無限にあると言ってもいいでしょう。</p>
<p>創造とは、新たなるものを発見し、見出すことです。<br />
そしてその発見から「生」そのものが変容することです。<br />
順応や模倣があるところには創造はありません。<br />
なぜなら、順応とは一つの型枠にはまることであり、<br />
模倣とは他者と同じ生き方をすることだからです。</p>
<p>他者の生き方を真似したり、本の言葉に従うだけならば、<br />
そこに創造や生の新しさはあるでしょうか。<br />
順応や模倣は生を後退させ、腐敗させるだけです。。<br />
古い型枠や習慣、特定の知識や考え方に囚われるなら、<br />
生は停滞して古びた中古品になってしまうでしょう。</p>
<p>創造性が爆発している精神こそ、<br />
常に「生」を開花させ、新たなる次元を見出し、<br />
人間そのものを絶えず新生させます。<br />
これこそ本当の宗教的精神です。</p>
<p>創造と新生は同じ一つの運動です。<br />
生が新たになるとき創造があり、<br />
創造があるとき生は新たなるものになります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>物質的次元を超える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2486</link>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2012 06:19:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「スピリチュアル」という言葉を使うとき、 それは物質的次元ではないものを意味しています。 私たちの多くは、頭でものを考えます。 しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。 よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュ [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/04-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/04-2.jpg" alt="" title="background of blue luminous rays" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2487" /></a></p>
<p>「スピリチュアル」という言葉を使うとき、<br />
それは物質的次元ではないものを意味しています。</p>
<p>私たちの多くは、頭でものを考えます。<br />
しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。<br />
よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュアルではありません。<br />
思考というものは物質なのです。</p>
<p>思考は物質であり、有限なものです。<br />
また、知識、記憶も同じく頭脳の枠内にあります。<br />
知性も頭脳と共に働きます。<br />
思考、知識、記憶、知性—これらはすべて頭脳であり、<br />
そして頭脳とは物質です。</p>
<p>スピリチュアルとは、<br />
人間の頭脳では決して触れることのできない次元です。<br />
物質的次元を超えるということは、<br />
頭脳そのものを超えること、頭脳の外に出ることです。</p>
<p>頭脳という&#8221;物質的過程&#8221;が完全に静まったとき、<br />
そこには無限の未知なる広がりがあります。<br />
なぜなら、頭脳とは既知の活動にほかならず、<br />
既知が終わることは未知の始まりだからです。</p>
<p>スピリチュアルは、頭脳を超えた彼方、その全的な未知の領域にあります。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>物質的次元を超える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2482</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2482#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 08 Mar 2012 06:33:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「スピリチュアル」という言葉を使うとき、 それは物質的次元ではないものを意味しています。 私たちの多くは、頭でものを考えます。 しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。 よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/03-02.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/03-02.jpg" alt="" title="sun in hands" width="512" height="385" class="alignnone size-full wp-image-2483" /></a></p>
<p>「スピリチュアル」という言葉を使うとき、<br />
それは物質的次元ではないものを意味しています。</p>
<p>私たちの多くは、頭でものを考えます。<br />
しかし、頭脳というものはそれ自体が物質です。<br />
よって頭脳で何を考えようとも、それはスピリチュアルではありません。<br />
思考というものは物質なのです。</p>
<p>思考は物質であり、有限なものです。<br />
また、知識、記憶も同じく頭脳の枠内にあります。<br />
知性も頭脳と共に働きます。<br />
思考、知識、記憶、知性—これらはすべて頭脳であり、<br />
そして頭脳とは物質です。</p>
<p>スピリチュアルとは、<br />
人間の頭脳では決して触れることのできない次元です。<br />
物質的次元を超えるということは、<br />
頭脳そのものを超えること、頭脳の外に出ることです。</p>
<p>頭脳という&#8221;物質的過程&#8221;が完全に静まったとき、<br />
そこには無限の未知なる広がりがあります。<br />
なぜなら、頭脳とは既知の活動にほかならず、<br />
既知が終わることは未知の始まりだからです。</p>
<p>スピリチュアルは、頭脳を超えた彼方、その全的な未知の領域にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>空間の存在</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2479</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2479#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 07 Mar 2012 05:35:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[空間というものは極めて神秘的なものです。 そして空間の中に何かが存在するということも神秘です。 私たちは、当たり前のように生活していますが、 この空間と存在性の神秘を感じている人ははたしてどれほどいるでしょうか。 「空間 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/46-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/46-2.jpg" alt="" title="ã®ã³ãã³" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2480" /></a></p>
<p>空間というものは極めて神秘的なものです。<br />
そして空間の中に何かが存在するということも神秘です。</p>
<p>私たちは、当たり前のように生活していますが、<br />
この空間と存在性の神秘を感じている人ははたしてどれほどいるでしょうか。</p>
<p>「空間が存在する」ということの神秘。その霊性。<br />
そして「ものが存在する」ということの神秘、その霊性。<br />
それは途方もない奇跡です。</p>
<p>霊性は、死後にあるのではありません。<br />
またはどこか遠くの彼方にあるのでもありません。<br />
霊性は、現に生きている現実の中にあります。<br />
この空間と存在の中に、霊性はあります。</p>
<p>霊性は物質とかけ離れてあるのではなく、<br />
物質と共に、世界と共にあります。<br />
霊性と物質は表裏一体のようなもので、<br />
それは同じ一つのものなのです。</p>
<p>霊性を深く感じることは、<br />
目の前の世界そのものをしっかりと感じ、しっかりと生きることです。</p>
<p>世界は「空間」と「存在」です。<br />
「空間」と「存在」こそは霊性の顕現であり、<br />
そこに生の神秘と聖性があります。<br />
神はあるがままの現実の内に存在します。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>目覚めて生きる</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2476</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2476#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 06 Mar 2012 05:22:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[目覚めて生きるとはどういうことでしょうか。 それはあらゆることに「気づいている」ということです。 気づきがなければ目覚めているとは言えません。 目覚めている精神は、常に気づいています。 周囲の事物に対して、または自分の心 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/45-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/45-2.jpg" alt="" title="ç æ¼ " width="512" height="288" class="alignnone size-full wp-image-2477" /></a></p>
<p>目覚めて生きるとはどういうことでしょうか。<br />
それはあらゆることに「気づいている」ということです。</p>
<p>気づきがなければ目覚めているとは言えません。<br />
目覚めている精神は、常に気づいています。<br />
周囲の事物に対して、または自分の心の動きや行為に対して。</p>
<p>気づく能力こそ、宗教的な資質そのものです。<br />
宗教的な生、宗教的な精神とは、<br />
あらゆることに常に鋭敏に気づいていることにほかなりません。<br />
気づきのないところに宗教心はありません。</p>
<p>気づくということは、知覚すること、そして感じることです。<br />
ある事物に対して知覚がないならば、そこに気づきはありません。<br />
花の美しさに気づくのは、花に対しての知覚があるからです。<br />
その知覚、そして気づきが、花の美しさを感じさせるのです。</p>
<p>これは、見ること、聞くこと、人間の五感の全てに言えることです。<br />
私たちは知覚と気づきを通して「生」をより深く感じるようになります。<br />
そして「生」を刻々と感じられる人は、目覚めている人です。</p>
<p>気づきと知覚がなければ、目覚めているとは言えません。<br />
「生」に対して感受性がないならば、それは眠っている精神です。<br />
目覚めた精神は「生」を敏感に感じ取り、あらゆるものに神を見、<br />
創造性に溢れた本物の宗教心を持つのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>世界は生きている</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2469</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2469#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 10:40:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2469</guid>
		<description><![CDATA[「世界」は生きています。 世界は決して静止していません。 世界とは常に動きつつあるもの、生きつつあるものです。 世界が生きているということ。 一瞬一瞬、生は動きつつあるということ。 まさに動きつつある「生」こそがリアリテ [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/44-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/44-2.jpg" alt="" title="èã®è±ã¨éç©ºã¨æ¥å·®ã" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2470" /></a></p>
<p>「世界」は生きています。<br />
世界は決して静止していません。<br />
世界とは常に動きつつあるもの、生きつつあるものです。</p>
<p>世界が生きているということ。<br />
一瞬一瞬、生は動きつつあるということ。<br />
まさに動きつつある「生」こそがリアリティです。<br />
それは「現に生きているもの」です。</p>
<p>鳥が空を飛ぶのも、川が流れるのも、すべて生です。<br />
太陽が輝き、星が瞬くのも生の運動です。<br />
それは「生きたもの」であり、命そのものです。</p>
<p>私たちは「生」のリアリティを感じているでしょうか。<br />
現に生きている「生命」を感じているでしょうか。<br />
その生命の絶え間ない活動は一瞬一瞬起こりつつあり、<br />
それこそが命のリアリティ(実在)なのです。</p>
<p>リアリティは想像上のものではありません。<br />
それは目の前にある「生」そのものです。</p>
<p>世界と生は一つです。<br />
世界は生きています。<br />
世界は命であり、命とは世界そのものです。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>神を見つめる</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2463</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2463#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 02:58:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[神を見つめるとはどういうことを言うでしょうか。 それは「生」を見つめること、「命」を見つめることです。 では「生」とは何でしょうか。「命」とは何でしょうか。 それは、この世の存在の全てです。 生とは世界の全てであり、世界 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/43-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/03/43-2.jpg" alt="" title="ã¤ã«ã«" width="512" height="288" class="alignnone size-full wp-image-2464" /></a></p>
<p>神を見つめるとはどういうことを言うでしょうか。<br />
それは「生」を見つめること、「命」を見つめることです。</p>
<p>では「生」とは何でしょうか。「命」とは何でしょうか。<br />
それは、この世の存在の全てです。<br />
生とは世界の全てであり、世界そのものです。<br />
世界が生であり、生は世界です。</p>
<p>神を見るとは、生を、世界を見ることです。<br />
神はどこか遠くにいるのではなく、<br />
私たちの身の回りのあらゆるところにいます。<br />
なぜなら、神は生であり、生は世界の全てだからです。</p>
<p>あらゆるものが命です。<br />
命なしには世界は存在しません。<br />
命は神の姿であり、力であり、叡智です。</p>
<p>神を見るとは、世界という生きた命を見ること、<br />
絶えず動きつつある生きた命を見ることです。<br />
それは「生きている」からこそ神であり、生なのです。<br />
だからこそ、それは真のリアリティです。</p>
<p>神は「生きたもの」です。<br />
そして世界は、この一瞬一瞬生き続けています。<br />
それは神の呼吸です。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>非知なる神</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2455</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2455#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 13:41:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/42-22.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/42-22.jpg" alt="" title="??" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2458" /></a></p>
<p>私たちは神を「知る」ことはできません。<br />
そしてまた、神を知ってもいけません。<br />
なぜなら、神は一切の知を超えているからです。</p>
<p>神は決して知りえない存在です。<br />
知りえないからこそ神であり、神秘なのです。<br />
もし神について何かを知ってしまうならば、<br />
それはもはや神でも神秘でもありません。</p>
<p>神については何も知りえないということを知ること。<br />
それは神を非知なる存在として見ることです。<br />
つまり、一切の知を超えた認識されざる存在としてです。</p>
<p>知ることができるものは神ではありません。<br />
認識できるものは神ではありません。<br />
神は、人間の知性や認識を超えたところに存在します。</p>
<p>まさに、神は完全に非知であり、<br />
人間の頭脳では決して捉えることはできません。</p>
<p>永遠に、絶対的に未知であるもの—<br />
それが神であり、神とは知られざる生そのものです。<br />
「生」は永遠に未知なるものです。</p>


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	</item>
		<item>
		<title>感受性の尊さ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2449</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2449#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 28 Feb 2012 05:16:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「生」を敏感に、深く感じられる精神こそ類まれなものです。 「生」を感じることは、リアリティそのものを感じることです。 そしてリアリティを感じるには、生に対する感受性が必要です。 私たちのほとんどは、世界や生の神秘に対して [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/41-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/41-2.jpg" alt="" title="stairs in sky" width="422" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2450" /></a></p>
<p>「生」を敏感に、深く感じられる精神こそ類まれなものです。<br />
「生」を感じることは、リアリティそのものを感じることです。<br />
そしてリアリティを感じるには、生に対する感受性が必要です。</p>
<p>私たちのほとんどは、世界や生の神秘に対して無関心です。<br />
もしくはそれに対する感受性が乏しいと言えます。<br />
深く、豊な感受性があるからこそ、<br />
その人間の生そのものもより深く、より豊かになるのですが、<br />
大抵私たちは感受性が枯れているため凡庸な生を送っています。</p>
<p>「生」に対して敏感であること。<br />
「生」を常に新しい心で感じられること。<br />
「生」をより驚きをもって見つめられること。</p>
<p>生の神秘、宇宙の奇跡、神の聖性と出会うのは、<br />
感受性が爆発している精神です。<br />
この感受性の爆発こそ「生」を感じさせるものです。</p>
<p>習慣や文化、伝統や知識にはまっているならば、<br />
瑞々しい感受性は埋もれてしまいます。<br />
あらゆるものから脱却して精神を空っぽにすること。<br />
その何もない無の空白が限りない感受性の広がりを作ります。</p>
<p>精神が無限の空白であるならば、<br />
人間の感受性も無限の広がりをもつのです。</p>


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		<title>自分自身を理解する</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Feb 2012 01:31:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[生において重要なことは、自己を理解するということです。 自己を理解するということは、 自分の心の問題や偏った性格を理解するということです。 もし自分が恐怖に囚われているならば、 その恐怖を理解して終わらせなければなりませ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/39-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/39-2.jpg" alt="" title="puzzles of nature" width="362" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2441" /></a><br />
生において重要なことは、自己を理解するということです。<br />
自己を理解するということは、<br />
自分の心の問題や偏った性格を理解するということです。</p>
<p>もし自分が恐怖に囚われているならば、<br />
その恐怖を理解して終わらせなければなりません。<br />
もし自分が欲望のとりこになっているならば、<br />
そのような自己自身を見つめ、理解しなければなりません。</p>
<p>つまり、自分の諸々の心の活動に対して自覚を持つこと、<br />
自己認識を持つということが大切なのです。<br />
自覚や自己認識がないならば、それは未熟な精神です。<br />
そのような人は何も理解せず、常に恐怖や欲望に囚われながら生きることになるでしょう。<br />
そのような生は不幸でもあれば、醜くもあります。</p>
<p>よってまず自己自身を理解するというこなしには、人は決して成熟しません。<br />
人間の成熟は、自己理解とその超越のうちにあります。<br />
あるがままの自分の問題を認識し、理解し、それを超えること。<br />
そうして初めて、人は真に成長し、知恵と美徳を養うのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>苦しみを超えて</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2433</link>
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		<pubDate>Fri, 24 Feb 2012 03:12:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[苦しむことは、私たちにとって精神的に辛いことです。 しかしまた、苦しむことほど精神的に成長させるものもありません。 苦しみは私たちに理解を与えます。 私たちは苦しい経験を通して精神的に成熟していきます。 人間の精神的な苦 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/38-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/38-2.jpg" alt="" title="Rainbow and meadow" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2434" /></a></p>
<p>苦しむことは、私たちにとって精神的に辛いことです。<br />
しかしまた、苦しむことほど精神的に成長させるものもありません。</p>
<p>苦しみは私たちに理解を与えます。<br />
私たちは苦しい経験を通して精神的に成熟していきます。</p>
<p>人間の精神的な苦しみというのは、<br />
自分のエゴによってもたらされるものがほとんどです。<br />
自分のエゴ、つまり自己執着が問題や葛藤や恐怖を作り、<br />
そこから苦しみがもたらされます。</p>
<p>しかしその苦しみを体験することで、<br />
自分のエゴ、自分の欲、自分の未熟さを理解し、<br />
そこから自己執着の心を徐々に手放していきます。<br />
エゴの浄化によって養われるのが、人間精神の自由であり、<br />
または人としての英知、美徳、清らかさです。</p>
<p>心の痛い思いをすればするほど人は成長します。<br />
自分の弱さに打ちのめされればされるほど強くなれます。<br />
誰もが最初は失敗し、苦悩し、痛い思いをし、<br />
その苦々しい経験を通して人として真に成熟するのです。</p>
<p>苦しみなくして成長はありません。<br />
安楽な人生、逃避だけの人生に成長はありません。<br />
苦しみほど人間を真に成長させるものもありません。</p>
<p>苦しい経験をした人ほど、精神的な豊かさを学ぶことが多いでしょう。<br />
苦しみは私たち人間の師であり、光に導いてくれる大きな力です。</p>


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		<title>神秘と交わる</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2412</link>
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		<pubDate>Thu, 23 Feb 2012 07:27:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは何事も知識によって考えようとします。 もちろん生きる上では知識は必要ですが、 神秘と交わるには知識を超えていかなければなりません。 神秘は未知なるものです。 それは頭脳で捉えられるものではありません。 頭脳とは既 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/37-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/37-2.jpg" alt="" title="Comet" width="512" height="369" class="alignnone size-full wp-image-2413" /></a></p>
<p>私たちは何事も知識によって考えようとします。<br />
もちろん生きる上では知識は必要ですが、<br />
神秘と交わるには知識を超えていかなければなりません。</p>
<p>神秘は未知なるものです。<br />
それは頭脳で捉えられるものではありません。<br />
頭脳とは既知の中での運動であって、<br />
どこまでいってもそれ自体の限界を超えることはできません。</p>
<p>未知なるものは無限です。<br />
それは測り知れないものだからこそ永遠に無限なものです。</p>
<p>神秘と交わるには、知識を空っぽにし、<br />
精神そのものを無限なるものの次元に置かなければなりません。<br />
精神が既知の領域の外に出て、未知の無限の空白の中にあることによって、<br />
大いなる神秘と交わる可能性が生まれてきます。</p>
<p>神秘の次元では「知る」ことは何もありません。<br />
何かを知ってしまったら、それはもはや神秘ではありません。<br />
神秘とは、永遠に未知なるものです。<br />
よって「知る」ということもありません。</p>
<p>「何も知りえない」ということを知ること—<br />
その悟りが、精神をまったく新しい次元へと運びます。<br />
その次元とは、永遠に無限なる宇宙の神秘の次元です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>新しい生き方</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2406</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2406#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 22 Feb 2012 07:34:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[現代社会では、多くの人々が習慣や文化にはまった生き方をしています。 あたかも、そういう生き方しかないかのような型にはまった生活をしており、 そこには模倣や順応はあっても創造性や独自性はありません。 なぜ私たちは「自分の生 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/36-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/36-2.jpg" alt="" title="ãé¦ã¨ã¢ã¸ã¢ã³ã¹ãã®ææã®ã¤ã¡ã¼ã¸" width="341" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2407" /></a></p>
<p>現代社会では、多くの人々が習慣や文化にはまった生き方をしています。<br />
あたかも、そういう生き方しかないかのような型にはまった生活をしており、<br />
そこには模倣や順応はあっても創造性や独自性はありません。</p>
<p>なぜ私たちは「自分の生き方」を創造しないのでしょうか。<br />
なぜ他者と同じような生き方しかしないのでしょうか。<br />
「生」というものは無限の可能性に溢れています。<br />
そして人間が見出せる新しい生き方というものも無限にあるでしょう。</p>
<p>新しい生き方を見つけることは、生の新たなる創造です。<br />
自分自身だけが歩むことのできる新たな生を発見すること—<br />
そこに真の創造性があります。</p>
<p>人間の生き方は無限でしょう。<br />
人間の持つ意識というものも無限でしょう。<br />
しかし、ある一つの習慣や伝統、文化、教えなどにはまってしまうならば、<br />
その無限の可能性は失われて凝り固まった人生になってしまいます。<br />
そのような生は凡庸なものでもあれば卑小なものでもあります。</p>
<p>非凡であるとは、人間の新しい生き方を発見し、創造する人のことです。<br />
新しい意識を生み出すこと、意識を変革すること、<br />
人間のあり方そのものを根本的に変えることができる人。<br />
それが非凡であること、真に創造的である人です。</p>
<p>このような発見と創造と変革から、まったく異なった人間が誕生します。<br />
人間の新しい創造性は、宇宙全体に大きな影響を及ぼします。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>ただ独り歩む</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2399</link>
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		<pubDate>Tue, 21 Feb 2012 01:33:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[宗教やスピリチュアルな世界においては、 他者の教えや本に頼ってばかりの人が多いです。 そして安易にその教えや言葉を信じ込んでしまうのですが、 しかしそれでは本当の精神的な成長にはならないでしょう。 真の宗教的行為、霊的な [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/35-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/35-2.jpg" alt="" title="herb" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2400" /></a></p>
<p>宗教やスピリチュアルな世界においては、<br />
他者の教えや本に頼ってばかりの人が多いです。<br />
そして安易にその教えや言葉を信じ込んでしまうのですが、<br />
しかしそれでは本当の精神的な成長にはならないでしょう。</p>
<p>真の宗教的行為、霊的な活動というものは、<br />
自分で探究し、自分で学び、自分で理解していくということです。<br />
あなたの師はあなた自身であって、他者ではないのです。<br />
たった一人で歩むからこそ、本物の精神的成長があります。</p>
<p>生の真理は他者から教え込まれるものではありません。<br />
それは自分自身の体験と洞察から学んでいくものです。</p>
<p>宗教、スピリチュアルの道というものは時に苦しみや迷いを伴います。<br />
しかしその苦悩、迷いこそが人間の精神を成長させるのであり、<br />
それを乗り越えてこそ本当の真理を自分で見出すことができます。</p>
<p>人間の成長の基盤は精神的な孤独です。<br />
私たち一人一人が自分で「生」と「宇宙」に向かい合うこと。<br />
あなたを成長させるのは「あなた自身」であり、<br />
あなたに真理をもたらすのも「あなた自身」です。</p>
<p>ただ独り歩むことこそ本物の宗教的態度です。<br />
外部の働きかけや影響、他者の教えにとらわれすぎるのは問題です。<br />
なぜなら、生は私たち一人一人が自分で発見していくものであり、<br />
自分で発見するからこそ、そこに大いなる創造があるからです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>生命の秩序を感じる</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2392</link>
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		<pubDate>Mon, 20 Feb 2012 01:24:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[宇宙はある一つの秩序に従って動いています。 この秩序は原初の宇宙からあるものであり、 この秩序によってあらゆるものが存在し、動いています。 人間もまたこの秩序の一部です。 太陽が昇り、沈むのも秩序です。 四季が繰り返され [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/33-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/33-2.jpg" alt="" title="green background with grass" width="447" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2393" /></a></p>
<p>宇宙はある一つの秩序に従って動いています。<br />
この秩序は原初の宇宙からあるものであり、<br />
この秩序によってあらゆるものが存在し、動いています。<br />
人間もまたこの秩序の一部です。</p>
<p>太陽が昇り、沈むのも秩序です。<br />
四季が繰り返されるのも秩序です。<br />
この世界が存在しているということ自体が宇宙の聖なる秩序です。<br />
秩序によって生まれ、秩序によって動く—<br />
それがこの世界、宇宙です。</p>
<p>私たちはこの宇宙の秩序を感じているでしょうか。<br />
そしてこの秩序と共に生きているでしょうか。<br />
それとも本来のこの秩序を忘れて、混乱した社会になっているのでしょうか。</p>
<p>生命の本来の秩序と共に生きないならば、<br />
人間の世界はますます混乱するだけでしょう。<br />
生命の秩序とは自然の摂理、神の摂理であり、<br />
そこにこそ宇宙の真理があります。</p>
<p>生命の秩序とは宇宙の聖なる運動であり、<br />
この秩序と共に生きることこそ人間にとって重要なことです。<br />
なぜなら、それが人間と社会の本当の秩序を作るからです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>透明な心</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2386</link>
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		<pubDate>Fri, 17 Feb 2012 03:04:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の真の美しさとは、エゴのない無私の心です。 そして無私の心とは、完全に透明な心です。 透明な心こそ、人の清らかさ、美しさです。 それはどんな欲も、自己主張もない心、 ただまっすぐに見つめ、聴くことができる心です。 そ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/32-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/32-2.jpg" alt="" title="åçæã¨æ¸æµã¨åèãVirgin forest and shaft beam of li" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2387" /></a></p>
<p>人間の真の美しさとは、エゴのない無私の心です。<br />
そして無私の心とは、完全に透明な心です。</p>
<p>透明な心こそ、人の清らかさ、美しさです。<br />
それはどんな欲も、自己主張もない心、<br />
ただまっすぐに見つめ、聴くことができる心です。<br />
そこには何かを判断したり、価値をつけたりということもありません。</p>
<p>どんな歪みも偏りもなく、あるがままの存在を見つめるには、<br />
心は何ものにも占有されずに空っぽでなければなりません。<br />
空っぽであるからこそ、それは透明な心なのです。<br />
透明な心は、あるがままの存在をまっすぐに見つめることによって、<br />
その存在の中に神を見、聖なるものを見、生の尊さを見ます。</p>
<p>透明な心は、どんな言葉も、知識も、イメージも持たず、<br />
それゆえに完全に沈黙した無の心であり、<br />
その無が人間の清らかさ、美しさを作ります。</p>
<p>このような人間こそ「生」における存在の神秘と聖性に出会い、<br />
測り知れない宇宙と生命の深みへと進んでいきます。</p>
<p>無私の心、完全に透明な心ほど、<br />
自由かつ創造性に溢れたものもありません。<br />
それこそ本物の宗教的精神の開花です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
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		<title>自然への共感</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2379</link>
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		<pubDate>Thu, 16 Feb 2012 01:19:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[生きている中で自然への共感を持つことは大切なことです。 なぜなら、自然こそ生命そのものだからです。 自然に無関心であるということは、命に無関心であるということです。 現代は人工的に作られたもので溢れています。 あらゆる娯 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/28-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/28-2.jpg" alt="" title="ãã¼ãã®é²" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2380" /></a></p>
<p>生きている中で自然への共感を持つことは大切なことです。<br />
なぜなら、自然こそ生命そのものだからです。<br />
自然に無関心であるということは、命に無関心であるということです。</p>
<p>現代は人工的に作られたもので溢れています。<br />
あらゆる娯楽には何かしら不健全なものがあります。<br />
人工的なものが増えれば増えるほど、<br />
私たちの心は「自然」から離れ、瑞々しい感性を失ってしまいます。</p>
<p>自然とは、命であり、宇宙そのものです。<br />
自然とのつながりをもつことができないならば、<br />
その人は命そのものとのつながりも失ってしまうでしょう。<br />
自然とは私たち自身であり、私たちは自然そのものです。</p>
<p>自然に対する共感を失った人々はどれほど多いことでしょうか。<br />
現代の社会はあまりにも人工的なものに溺れてしまっています。<br />
本当の美、本当の豊かさというものは人工的なものの中にありません。<br />
自然の中にこそ、生の本当の豊かさ、無限の豊かさがあります。</p>
<p>生の真理は「自然」と共にあります。<br />
なぜなら、それは丸裸の生命、宇宙だからです。<br />
自然への共感がないならば、その人は生の真理に出会うことはないでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
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		<title>不変の真理</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2372</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2372#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 15 Feb 2012 01:36:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[どの時代に生きようとも、 私たちは同じ「人間」であることには変わりありません。 そして人間が持つ「真理」もまた同じものです。 真理に、時の隔たりはありません。 時代、文化、伝統、進歩— 人が作り上げてきたものは本当に様々 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/27-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/27-2.jpg" alt="" title="Daybreak in mongolian desert" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2373" /></a></p>
<p>どの時代に生きようとも、<br />
私たちは同じ「人間」であることには変わりありません。<br />
そして人間が持つ「真理」もまた同じものです。<br />
真理に、時の隔たりはありません。</p>
<p>時代、文化、伝統、進歩—<br />
人が作り上げてきたものは本当に様々ですが、<br />
宇宙そのものは永遠の昔から同じ一つの摂理のもとで動いています。<br />
宇宙の真理は永遠に変わらないものです。</p>
<p>外面的なものに惑わされずに、<br />
永遠に変わらない不変の真理を見つめる心こそ、<br />
真に宗教的な心と言えるでしょう。<br />
真の宗教性とは時代や文化を超えたものであり、<br />
何ものにも囚われずにただ純然と「生命」と向かい合える心です。</p>
<p>時を超える不変の真理と出会うには、<br />
人間の精神そのものがあらゆるものから脱却して、<br />
時を超えたものとならなければなりません。<br />
あらゆるものとは、つまり知識、イメージ、伝統、概念、観念、文化、教義、<br />
さらには心理的な時間、未来、過去、記憶—といった一切です。</p>
<p>精神が宇宙の摂理と同じ次元にあるならば、<br />
そのとき精神は時間と空間を超えて、<br />
宇宙の原初の叡智の中に溶け込むことでしょう。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>探求の終わり</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Feb 2012 05:30:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[私たちはより多くのことを求め、それを知ろうとします。 スピリチュアルや宗教の世界でもそれは同じことで、 生の真実や宇宙の真理を探求する人は多いでしょう。 なぜ探求するのでしょうか? 一体、私たちは何を探し求めているのでし [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/25-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/25-2.jpg" alt="" title="è©¦é¨ç®¡" width="340" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2367" /></a></p>
<p>私たちはより多くのことを求め、それを知ろうとします。<br />
スピリチュアルや宗教の世界でもそれは同じことで、<br />
生の真実や宇宙の真理を探求する人は多いでしょう。</p>
<p>なぜ探求するのでしょうか?<br />
一体、私たちは何を探し求めているのでしょうか。<br />
真理というものは探し求めるものなのでしょうか。</p>
<p>未熟な精神だけが探求のとりこになります。<br />
探求とは欲望であり、欲があるから探求しようとします。<br />
もし何の欲もないならば、人は探求したりはしないでしょう。<br />
探し求めるべきものなど何もないからです。</p>
<p>真理は現にここにあるものです。<br />
生きているということ。命があるということ。<br />
それ自体がまさに真理であり、生の奇跡です。</p>
<p>人が欲に囚われて探求のとりこになるとき、真理から外れてしまいます。<br />
なぜなら、真理は探求の終わったところにあるからです。<br />
それは「今、現にここにあるもの」であり、<br />
それがここにあるならば、一切の探求も不要です。</p>
<p>真理は、現にある命そのものです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>リアリティを感じる精神</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Feb 2012 12:21:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[リアリティを感じる心とはどういうものでしょうか。 リアリティとは、決して想像上のものではありません。 よって想像力やイメージの産物はリアリティを否定します。 精神が妄想のとりこになっているならば、そこにリアリティはありま [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/23-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/23-2.jpg" alt="" title="å¯å£«å±±" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2360" /></a></p>
<p>リアリティを感じる心とはどういうものでしょうか。<br />
リアリティとは、決して想像上のものではありません。<br />
よって想像力やイメージの産物はリアリティを否定します。<br />
精神が妄想のとりこになっているならば、そこにリアリティはありません。</p>
<p>精神は私たちの内部に心象(イメージ)を作り出します。<br />
しかしイメージというのはどこまでいっても非現実なものです。<br />
「現実」は、頭の中で想像されるものではありません。</p>
<p>精神が自らの幻想に気づき、<br />
もはや一切の非現実的なイメージをもたなくなることが重要です。<br />
非現実があるかぎり、そこにリアリティはありません。</p>
<p>リアリティを感じる精神とは、<br />
自らの幻想や妄想—つまり虚偽—をきっぱりと否定し、<br />
常に刻々と「現実」そのものと向かい合える精神のことです。<br />
そのような精神のみが、リアリティを生きることができます。</p>
<p>生は刻々と動き続けています。<br />
それは「今」起こりつつあるものです。<br />
「今」起こっていることは頭の中のイメージではありません。<br />
「今」という生の運動の中にこそリアリティはあります。</p>
<p>リアリティがないならば、その生は虚偽と幻想に溢れています。<br />
これは実際とても恐ろしいことです。<br />
なぜなら、リアリティがないとき、真実もないからです。<br />
そこにあるのは夢を見て眠っている精神です。</p>
<p>「覚醒」と「リアリティ」は同じ一つのものです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>別次元の意識</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Feb 2012 13:07:58 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[普段、私たちが当たり前にもっている意識とはまったく異なった意識というものがあります。 それはこの世で感じられるような当たり前の意識ではなく、 まったく異なった別次元の意識、別次元の感覚と言えるようなものです。 それは突如 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/22-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/22-2.jpg" alt="" title="ããã®æ£®æ" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2336" /></a></p>
<p>普段、私たちが当たり前にもっている意識とはまったく異なった意識というものがあります。<br />
それはこの世で感じられるような当たり前の意識ではなく、<br />
まったく異なった別次元の意識、別次元の感覚と言えるようなものです。</p>
<p>それは突如として訪れる意識であり、別次元からの風です。<br />
クリシュナムルティはこれを「他なるもの」と呼びましたが、<br />
これは普段の意識とはまったく異なった意識です。<br />
このような意識は言わば聖なる意識であり、<br />
生命の根源や宇宙の神秘と同じ次元にあるものです。</p>
<p>この異次元の意識は、真に宗教的な精神から生じるものです。<br />
集団や大衆に埋没しているような精神ではなく、<br />
孤独な宗教的な精神、静謐で沈黙に溢れた精神から起こります。</p>
<p>騒がしい場所から離れ、静寂が溢れる空間でこそ、<br />
私たちは宇宙の神秘と交わることができます。<br />
それが本当の宗教的な瞑想と言えるものです。<br />
孤独であってこそ瞑想はより深まります。</p>
<p>別次元の意識は、自分から招きよせるものではなく、<br />
自然と向こうからやってくるものです。<br />
宗教的な精神が豊かになればなるほど、瞑想が深まれば深まるほど、<br />
この意識は頻繁に訪れるようになるでしょう。</p>
<p>この意識は、聖なる宇宙の創造とまったく同じ次元にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>神を見る心</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2329</link>
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		<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 09:21:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/21-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/21-2.jpg" alt="" title="æ£®æã¨å°çå" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2330" /></a></p>
<p>神を見ることができる心とは何でしょうか。<br />
神とは、未知なる存在、無限なる存在です。<br />
それは知ることも、記憶することもできません。<br />
もしそれを知ることができ、記憶されるものならば、それは神ではないでしょう。</p>
<p>神の活動とは、一瞬一瞬新しいものです。<br />
新しいからこそ、それは永遠に未知なるものです。<br />
もし何かを知ってしまったならば、それはすでに古いものです。<br />
知りえないからこそ新しいものなのです。</p>
<p>神を見る心とは、常に空っぽで新鮮である心です。<br />
過去の知識や記憶に縛られていない心、<br />
むしろ一切の過去の知識を無にしている心—<br />
そういう新鮮さに溢れた心こそ、神の未知性に出会います。</p>
<p>未知であるとは、「知りえないもの」ということです。<br />
神の神秘性を「知る」ことはできません。<br />
知ることができるものは、ただの言葉や科学的な知識にすぎません。<br />
言葉や科学では神に出会うことはできません。<br />
なぜなら、言葉も科学も既知なるものだからです。</p>
<p>未知なるものに出会うには、既知は終わらなければなりません。<br />
そして完全に空っぽで新鮮な心であるときに初めて、<br />
未知なる神秘に出会う可能性が生まれるのです。</p>


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		<title>習慣化した精神</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2322</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2322#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 10:59:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「生」とは本来、創造性に溢れたものです。 創造性がないならば、その生は停滞するだけでしょう。 生の創造性を失わせるものは、精神の習慣化です。 精神が同じ快楽や娯楽、慰めや享楽を繰り返し、 それがその人の生活そのものになっ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/18-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/18-2.jpg" alt="" title="???" width="512" height="343" class="alignnone size-full wp-image-2323" /></a></p>
<p>「生」とは本来、創造性に溢れたものです。<br />
創造性がないならば、その生は停滞するだけでしょう。</p>
<p>生の創造性を失わせるものは、精神の習慣化です。<br />
精神が同じ快楽や娯楽、慰めや享楽を繰り返し、<br />
それがその人の生活そのものになっているならば、<br />
そこには何の創造性もありません。</p>
<p>文化や伝統といったものは基本的に同じことの繰り返しであり、<br />
そこに精神が埋没しているならば、<br />
生の新たなる発見や創造は生まれないでしょう。</p>
<p>習慣とは、古いことの繰り返しでしかありません。<br />
この繰り返しがあるとき、新たなるものは生まれません。<br />
同じことを何千回続けても、新しいものは一つも生まれません。</p>
<p>「生」を発見するには、創造性が必要です。<br />
新しい発見があるとき、古いものはそこにありません。<br />
習慣化してしまった精神は、新たなるものを発見できません。<br />
なぜなら、それは同じことしか繰り返さない精神だからです。</p>
<p>生が創造性に溢れ、常に新鮮で活き活きとするためには、<br />
人は自らの習慣化した精神を打破し、終わらせ、<br />
まったく異なった精神性を身につけなければなりません。<br />
創造的な生こそ、真に宗教的な生なのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>聖なる空間</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2315</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2315#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 14:06:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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<p>「空間」というものは非常に不思議なものです。<br />
私たちは普段から意識していませんが、<br />
「空間」というものは実に神秘的なものです。</p>
<p>あらゆるものが空間の中に存在しています。<br />
空間がなければ何も存在することはできません。<br />
人間が存在できるのも空間があるからです。<br />
すべての生命の存在は空間によって生かされています。</p>
<p>この空間こそは、万物の本源です。<br />
空間がなければ、万物は存在しえないからです。</p>
<p>空間とは、神が自らを現す場です。<br />
神は空間の中であらゆる創造を行うのであり、<br />
その創造行為は聖なる運動です。<br />
そしてその土台となっている空間もまた聖なるものです。</p>
<p>私たちは、この「空間」の神秘を感じているでしょうか。<br />
私たちは今まさに空間の中にいます。<br />
それはつまり、神秘そのものの中にいるということです。</p>
<p>宇宙の神秘は「今ここに」あります。<br />
聖なるものもまた「この瞬間」にあります。<br />
なぜなら、それはそこに「ある」からです。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>世界という奇跡</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2306</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2306#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 12:03:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[世界が存在するということは大いなる奇跡です。 私たちはこの奇跡を感じているでしょうか? ほとんどの人は感受性が乏しくなっているため、 この「世界」という奇跡に気づきません。 それは目の前に当たり前に存在するので、 奇跡を [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/16-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/16-21.jpg" alt="" title="?" width="341" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2308" /></a></p>
<p>世界が存在するということは大いなる奇跡です。<br />
私たちはこの奇跡を感じているでしょうか?</p>
<p>ほとんどの人は感受性が乏しくなっているため、<br />
この「世界」という奇跡に気づきません。<br />
それは目の前に当たり前に存在するので、<br />
奇跡を奇跡として感じれなくなっているのです。</p>
<p>命が存在すること。<br />
世界が存在すること。<br />
「存在」が存在すること。<br />
それは大いなる神秘、聖なることです。</p>
<p>世界が存在するということほどの神秘はあるでしょうか。<br />
世界は今も創造を続けています。<br />
その創造とは聖なる運動であり、神の未知なる叡智です。</p>
<p>創造の奇跡を感じるところに喜びがあります。<br />
その喜びはどんな混じり気もない純粋な喜びです。<br />
聖なるものを感じることは、大いなる歓喜です。<br />
この歓喜がなければ人生はどんなに色あせたものでしょうか。</p>
<p>宇宙の聖性はどこか遠くにあるのではなく、<br />
私たちのすぐ近くに、目の前にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>無垢であるということ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2298</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/news/2298#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 12:18:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2298</guid>
		<description><![CDATA[無垢である精神とはどういうものを言うのでしょうか。 それは常に新鮮である心、好奇心が失わない心、 人間の持つ欲や願望に囚われない純真な心、 悲しみや恐怖も持たない自由な心— それが無垢というものではないでしょうか。 多く [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/15-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/15-21.jpg" alt="" title="Close-up of a bowl of flowers" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2300" /></a></p>
<p>無垢である精神とはどういうものを言うのでしょうか。<br />
それは常に新鮮である心、好奇心が失わない心、<br />
人間の持つ欲や願望に囚われない純真な心、<br />
悲しみや恐怖も持たない自由な心—</p>
<p>それが無垢というものではないでしょうか。<br />
多くの大人はこの無垢の精神を失っているように思われます。<br />
いつも何かにおびえ、戦々恐々としながら生きています。<br />
生きることが戦いになり、不安と焦燥感でいっぱいです。</p>
<p>もし恐怖や悲しみがあるならば、そこには無垢はないでしょう。<br />
野心や欲望があるなら、そこに無垢はないでしょう。<br />
文化や伝統や習慣の型にはまっているだけなら、そこには無垢はないでしょう。<br />
知識だけがいっぱいの精神は、決して無垢ではないでしょう。</p>
<p>無垢とは完全に開かれた心であり、<br />
むき出しの丸裸で、あらゆるものを常に新鮮に感じられる精神です。<br />
それは知識に汚されず、どんな過去にも囚われず、<br />
ただ「今」という瞬間を生きることです。</p>
<p>ただ純然と「今」を生きる精神は、不安や恐怖を持ちません。<br />
そのような精神は、もはや何も求めず、何も欲せず、何も失わないからです。<br />
何もない空っぽの精神こそ無垢です。</p>
<p>何もないからこそ、すべてが新鮮で驚きに満ちており、<br />
生における無限の可能性を内包しているのです。<br />
無垢がなければ、本物の宗教性もありません。<br />
聖なるものに出会うのは、無垢な精神だけです。</p>


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			<wfw:commentRss>http://spiritual-public-foundation.org/news/2298/feed</wfw:commentRss>
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	</item>
		<item>
		<title>心の空虚さを超える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2291</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2291#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 13:10:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の心は空虚さというものを持ちます。 それは何もない空白感、底なしの闇のようなものであり、 私たちにとっては苦痛でもあれば恐ろしいものでもあるでしょう。 しかし、この空虚さからいつまでも逃げているわけにはいきません。  [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/11-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/11-2.jpg" alt="" title="æ³¡" width="377" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2292" /></a></p>
<p>人間の心は空虚さというものを持ちます。<br />
それは何もない空白感、底なしの闇のようなものであり、<br />
私たちにとっては苦痛でもあれば恐ろしいものでもあるでしょう。</p>
<p>しかし、この空虚さからいつまでも逃げているわけにはいきません。<br />
空虚さから逃げても、それは一時的な逃避にすぎず、<br />
なんら根本的な解決にはなっていないからです。</p>
<p>空虚さから逃げるということは、問題を先延ばしにしているだけです。<br />
なぜなら、やがては再びその空虚さは姿を現すからです。<br />
空虚さを乗り越えるには、その空虚さから逃げるのではなく、<br />
空虚さそのものに留まらなければなりません。</p>
<p>空虚さに留まり続け、それと共に生きること。<br />
そうすることで人間の心はやがてその空虚さに慣れてきます。<br />
そして空虚さそのものこそが心の真の平安だということに気づくのです。</p>
<p>真の心の自由とは、静謐なる心を持つことです。<br />
その心の静謐は、空虚さと共にあります。<br />
空虚だからこそそれは静謐であり、いかなる心の混乱もないのです。</p>
<p>この心の静謐と沈黙は、やがて真の宗教的な生へと繋がっていきます。<br />
真の創造性と宗教性は、無限なる虚空の内にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>宇宙の声を聴く</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 13:48:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[宇宙は「現に生きたもの」です。 宇宙は一瞬たりとも静止することはありません。 この一瞬一瞬、宇宙は創造を続けています。 生きた宇宙は、生命の声です。 それは測り知れない命の美しさ、豊さであり、 人はこの「奇跡」に囲まれて [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/10-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/02/10-2.jpg" alt="" title="??????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2285" /></a></p>
<p>宇宙は「現に生きたもの」です。<br />
宇宙は一瞬たりとも静止することはありません。<br />
この一瞬一瞬、宇宙は創造を続けています。</p>
<p>生きた宇宙は、生命の声です。<br />
それは測り知れない命の美しさ、豊さであり、<br />
人はこの「奇跡」に囲まれて生きています。</p>
<p>私たちは宇宙の声に耳を澄ましているでしょうか?<br />
それは「今ここに」あるのであり、<br />
生の神秘と奇跡は刻々と進行しつつあります。</p>
<p>多くの人々は、この宇宙の驚異的な奇跡に気づきません。<br />
気づく心とその心の豊かさを持たないからです。<br />
私たちの生活はほとんどロボットのように機械的であり、<br />
それによって心は凝り固まって惰性と習慣のとりこになっています。</p>
<p>精神が惰性と習慣に染まってしまえば、<br />
宇宙と生命の奇跡を感じられるほどの感受性は失われ、<br />
まったく軽薄で凡庸な生になってしまいます。<br />
しかし、多くの人々はこういう生活を送ってしまっています。</p>
<p>宇宙の大いなる神秘、想像を絶する奇跡は、<br />
いつも私たちの目の前に横たわっています。<br />
今この瞬間、このすべてにおいて、それは「ある」のです。<br />
それを感じられるかどうかは、あなたの心次第です。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>睡眠と浄化作用</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2277</link>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 08:45:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[睡眠は頭脳と心を浄化する働きをもちます。 人は眠っているとき、どんな意識ももちません。 夢を見ない限り、意識は空白のままです。 睡眠は、これまで心が蓄積してきた過去の記憶を浄化し、 心と頭脳をリフレッシュさせます。 人と [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/09-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/09-2.jpg" alt="" title="Boy Drawing line in the sand" width="512" height="401" class="alignnone size-full wp-image-2278" /></a></p>
<p>睡眠は頭脳と心を浄化する働きをもちます。<br />
人は眠っているとき、どんな意識ももちません。<br />
夢を見ない限り、意識は空白のままです。</p>
<p>睡眠は、これまで心が蓄積してきた過去の記憶を浄化し、<br />
心と頭脳をリフレッシュさせます。<br />
人というのはいつも過去の記憶、知識、観念に囚われがちですが、<br />
睡眠はそれらを一掃する働きをもちます。</p>
<p>毎日の睡眠は、心を過去から浄化する運動です。<br />
単に肉体的な回復だけでなく、心を回復させる運動でもあるのです。</p>
<p>心をリフレッシュし、過去から浄化させることはとても重要です。<br />
なぜなら、心が過去に縛られている限り、心の自由はないからです。<br />
人は過去に執着して生き、その過去に依存しています。<br />
心の混乱は、いつも何かに執着することから生まれます。</p>
<p>心が自由であるとは、もはや過去に囚われずに生きるということです。<br />
睡眠の作用はいつも過去からの浄化を図っています。<br />
過去に囚われず、心も頭脳も新鮮であればあるほど、<br />
人間は日々刻々と新しいものを発見し、生を豊かにしていくでしょう。</p>
<p>心の自由、そして生の創造性。<br />
それらは心と頭脳が新鮮でなければ起こりません。<br />
睡眠は心と頭脳を秩序正しくする運動であり、<br />
私たちに多くの示唆と理解をもたらしてくれるものなのです。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>神秘を感じる心</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2259</link>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 09:44:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[生の神秘は、何気ない日常の中にあります。 この世界に&#8221;当たり前なもの&#8221;などありません。 私たちは「世界」という神秘の中で生きているのです。 あなたが心を開いて注意を傾ければ、 あらゆるものの中に測 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/08-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/08-2.jpg" alt="" title="?????" width="512" height="340" class="alignnone size-full wp-image-2260" /></a></p>
<p>生の神秘は、何気ない日常の中にあります。<br />
この世界に&#8221;当たり前なもの&#8221;などありません。<br />
私たちは「世界」という神秘の中で生きているのです。</p>
<p>あなたが心を開いて注意を傾ければ、<br />
あらゆるものの中に測り知れない神秘を見るでしょう。<br />
そして「あなた自身」も、その神秘の一部だということに気づくでしょう。</p>
<p>宇宙が存在するということ。<br />
命が存在するということ。<br />
空間が存在するということ。<br />
音が存在するということ。<br />
物質が存在するということ。</p>
<p>&#8220;それは&#8221;当たり前のことではありません。<br />
それは大いなる神秘、宇宙の創造の奇跡です。<br />
私たち人間は、この宇宙の神秘の真っただ中に生きながら、<br />
なんの驚きも持たずにただ日々を過ごしている人がほとんどではないでしょうか。</p>
<p>神秘を感じる心がなければ、<br />
その人の人生というものは色あせたものでしょう。<br />
神秘を感じるということは、崇高なる宇宙を感じることです。<br />
それは「聖なるもの」を感じることであり、<br />
その聖性と共に生きることこそは真の宗教的な生です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>沈黙と神秘</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2247</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2247#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Jan 2012 12:43:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[生の大いなる神秘は、沈黙の中にあります。 宇宙それ自体が沈黙であり、沈黙は生のあらゆるものに宿っています。 測り知れないもの、未知なるものは、沈黙の中にあります。 言葉や知識は測りえるものであり、限定されたものです。 測 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/04-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/04-2.jpg" alt="" title="background of blue luminous rays" width="512" height="512" class="alignnone size-full wp-image-2248" /></a></p>
<p>生の大いなる神秘は、沈黙の中にあります。<br />
宇宙それ自体が沈黙であり、沈黙は生のあらゆるものに宿っています。</p>
<p>測り知れないもの、未知なるものは、沈黙の中にあります。<br />
言葉や知識は測りえるものであり、限定されたものです。<br />
測りえるものは知識でしかなく、<br />
知識とは知られたものであり、それは未知なるものではありません。</p>
<p>宇宙は言葉を持ちません。宇宙とは永遠なる沈黙です。<br />
この沈黙からあらゆる生の運動が展開されます。<br />
宇宙の沈黙の中から生命が生まれ、沈黙の中から音が生まれます。</p>
<p>宇宙の起源、生命の起源は何もない沈黙の広大さであり、<br />
それは物質的次元を超えた見えざる命の創造です。<br />
宇宙の沈黙は神秘であり、人間の頭脳では捉えられません。</p>
<p>沈黙の深みを感じるには、<br />
言葉と知識で一杯の精神が静まらなければなりません。<br />
宇宙そのものが沈黙であるように、精神もまた無となり沈黙することで、<br />
宇宙の神秘と同じ次元にあることができます。</p>
<p>無限の沈黙、その生の神秘の中に、<br />
快楽や自己満足といったものとはまったく異なった喜びと至福があります。<br />
本当の歓喜は、測り知れぬ宇宙の沈黙の底から湧き上がります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「死」から学ぶ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2239</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2239#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Jan 2012 03:45:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「死」とは、意識の終わりです。 私たちは意識を持って生きています。 人生とは意識の内容そのものであり、 その意識の内容が私たち一人一人の人間です。 その意識の中身には、その人のあらゆる心の所有があります。 世俗的な成功や [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/03-02.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/03-02.jpg" alt="" title="sun in hands" width="512" height="385" class="alignnone size-full wp-image-2240" /></a></p>
<p>「死」とは、意識の終わりです。<br />
私たちは意識を持って生きています。<br />
人生とは意識の内容そのものであり、<br />
その意識の内容が私たち一人一人の人間です。</p>
<p>その意識の中身には、その人のあらゆる心の所有があります。<br />
世俗的な成功や野心、名声や地位、お金への執着。<br />
または精神的な支え、友人や家族や恋人、自分の理想、快楽、楽しみ。<br />
さらには霊的な成就への欲、スピリチュアルな意識の追求。</p>
<p>これら一切が「意識」です。<br />
人は意識によって生き、その意識の中身に依存しながら生きています。<br />
その意識の中身がその人の心のよりどころ、心の支えです。<br />
それがなくなることは心の支えを失うことであり、<br />
そうなると人は恐怖、不安、悲しみ、絶望といった状態に陥ります。</p>
<p>では、私たちは「死」から何を学べるでしょうか。<br />
「死」とは、意識の中身が全てなくなることです。<br />
私たちは、いずれなくなるものに執着して生きているのです。</p>
<p>意識の中身はいずれ必ずなくなってしまうということ。<br />
どんなにそれを所有していたくても、死は必ずやってくるということ。<br />
そうであれば、生きているあいだに自分の意識に執着するということは、<br />
なんと生の浪費でしょうか。<br />
やがて失われるものに執着して、常に恐怖に囚われて生きるのは未熟です。</p>
<p>自分の意識に執着するのは無意味だということ。<br />
それらはやがて必ず失われるのだということ。<br />
人間の真の心の自由は、一切の執着を捨てたところにあります。<br />
「死」という現実が、その真理を教えてくれます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
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		<title>真の瞑想とは何か-19</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2232</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2232#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 01:43:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2232</guid>
		<description><![CDATA[瞑想とは、感受性を開け放つことです。 感受性が失われているなら、瞑想はありません。 瞑想は、見ること、聴くこと、感じること、知覚することであり、 それらはすべて感受性です。 感受性が鋭敏であればあるほど瞑想の質は高まりま [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/46-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/46-2.jpg" alt="" title="ã®ã³ãã³" width="512" height="341" class="alignnone size-full wp-image-2233" /></a></p>
<p>瞑想とは、感受性を開け放つことです。<br />
感受性が失われているなら、瞑想はありません。</p>
<p>瞑想は、見ること、聴くこと、感じること、知覚することであり、<br />
それらはすべて感受性です。<br />
感受性が鋭敏であればあるほど瞑想の質は高まります。</p>
<p>感受性の豊かさは、精神の豊かさでもあります。<br />
心が不安や心配事に縛られているならば、感受性は乏しくなります。<br />
感受性が乏しいと、何を見てもその対象は心に入ってこず、<br />
何を聴いてもその響きは心を感動させないでしょう。</p>
<p>感受性が乏しいとき、美しいものは美しくなくなり、<br />
驚嘆すべきことが平凡なことになり、感動できることも無価値になります。<br />
瞑想とはあらゆる物事に深く気づいているということです。<br />
気づくためには、感受性が研ぎ澄まされていなければなりません。</p>
<p>真に瞑想が起こるためには、まず心が静謐であること、<br />
どんな不安も混乱もないことが必要です。<br />
そしてそのような心の自由から感受性が開放され、<br />
あらゆる物事に深く気づくことができる精神の土台ができます。</p>
<p>このような瞑想の基盤と土台ができることで、<br />
瞑想の精神はより研ぎ澄まされ、生への感受性も強烈になります。<br />
感受性が強烈になることで、瞑想の可能性は無限に広がります。</p>


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			<wfw:commentRss>http://spiritual-public-foundation.org/message/2232/feed</wfw:commentRss>
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		<title>小さな命に宿る神</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2225</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2225#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 11:49:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2225</guid>
		<description><![CDATA[命というものは、あらゆるものに宿っています。 人や生物だけが生命なのではありません。 世界に存在する全てのものに命は宿ります。 たとえそれが小さな石ころであっても、 その石は宇宙の命の一部分です。 どんなに小さなものでも [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/45-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/45-2.jpg" alt="" title="ç æ¼ " width="512" height="288" class="alignnone size-full wp-image-2226" /></a></p>
<p>命というものは、あらゆるものに宿っています。<br />
人や生物だけが生命なのではありません。<br />
世界に存在する全てのものに命は宿ります。</p>
<p>たとえそれが小さな石ころであっても、<br />
その石は宇宙の命の一部分です。<br />
どんなに小さなものでも、それは等しく同じ命の輝きです。</p>
<p>砂粒の一つ一つの中にも命は宿っています。<br />
命が宿っているからこそ、それらは「存在できる」のです。</p>
<p>大地に根付く花は、何もせずとも自然に花開きます。<br />
命の力、神の力があるからこそ花開くのであり、<br />
それは測り知れない神秘のエネルギーです。</p>
<p>私たちは「自然」を当たり前のように眺めていますが、<br />
しかし「自然」ほど神秘に溢れたものはありません。<br />
自然、その森羅万象の全てに命が宿っており、<br />
それは今この瞬間にも刻々と働き続けています。</p>
<p>命の価値に大きいも小さいもありません。<br />
海の広大さも、滴る雨の一滴も、<br />
それは等しく命の奇跡であり、神の偉大さです。</p>
<p>どんな小さなものにも神の叡智を見ることができるならば、<br />
人は命の真の尊さを感じることができるでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://spiritual-public-foundation.org/message/2225/feed</wfw:commentRss>
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	</item>
		<item>
		<title>存在の奇跡</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2213</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2213#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 01:30:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2213</guid>
		<description><![CDATA[私たちは、存在の奇跡に気づいているでしょうか。 「存在」とは、極めて高貴なものであり、それは命そのものです。 世界が存在すること。 生命が存在すること。 物事が存在すること。 「存在する」ということは、大いなる奇跡です。 [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/44-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/44-2-400x266.jpg" alt="" title="èã®è±ã¨éç©ºã¨æ¥å·®ã" width="400" height="266" class="alignnone size-medium wp-image-2214" /></a></p>
<p>私たちは、存在の奇跡に気づいているでしょうか。<br />
「存在」とは、極めて高貴なものであり、それは命そのものです。</p>
<p>世界が存在すること。<br />
生命が存在すること。<br />
物事が存在すること。</p>
<p>「存在する」ということは、大いなる奇跡です。<br />
私たちはそれを当たり前のように感じていますが、<br />
「存在する」ということは、恐ろしいほどの奇跡なのです。</p>
<p>「存在」とは、命です。<br />
それは宇宙であり、生の神秘です。</p>
<p>私たちは「存在の奇跡」を感じているでしょうか?<br />
それとも、ただ毎日が当たり前に過ぎるだけでしょうか。<br />
世界が存在するということは驚くべきことです。<br />
しかしながら、大抵の人は世界の存在に対して驚きの念を持ちません。</p>
<p>現代人の多くは、生と宇宙の奇跡に対する感受性というものを失っています。<br />
世界の大いなる神秘と聖性を感じれる人生ほど、深く豊かなものはありません。<br />
世界という奇跡、存在するという奇跡は、<br />
私たちの目の前に、周囲のあらゆるところにあります。<br />
むしろ世界には奇跡しかなく、奇跡が「生」なのです。</p>
<p>もしあなたが生に奇跡を感じないならば、<br />
その人生はあまりにも貧しい色あせたものでしょう。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>言葉に囚われないこと</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2205</link>
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		<pubDate>Fri, 20 Jan 2012 11:01:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「存在そのもの」を見るには、言葉を捨てて見なければなりません。 例えば、バラの花を見る時、 「バラ」という言葉(名称)を通して見るのと、 まったく言葉を通さずに見るのとでは、その様相はまったく違います。 言葉や名称を通さ [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/43-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/43-2-400x225.jpg" alt="" title="ã¤ã«ã«" width="400" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-2206" /></a></p>
<p>「存在そのもの」を見るには、言葉を捨てて見なければなりません。<br />
例えば、バラの花を見る時、<br />
「バラ」という言葉(名称)を通して見るのと、<br />
まったく言葉を通さずに見るのとでは、その様相はまったく違います。</p>
<p>言葉や名称を通さずに、まったくフィルターのない眼で物を見ることは、<br />
ただ「存在そのもの」を見ることです。<br />
「存在そのもの」には名前も言葉もありません。</p>
<p>生命は名を持ちません。<br />
それは永遠に沈黙であり、無名の存在です。<br />
言葉なく世界を眺めることは、世界の神秘を見つめることです。<br />
神秘は言葉の中にではなく、「存在そのもの」の中にあるからです。</p>
<p>あなたは言葉なく、名を持たない世界を眺めることはできるでしょうか。<br />
言葉や名称に囚われず、<br />
目の前のものをまったく新しいものとして見つめることはできるでしょうか。<br />
ただ純然と「存在しているもの」をしっかりと見ることができるならば、<br />
あなたはきっと宇宙の途方もない神秘を感じることができるでしょう。</p>
<p>言葉や過去のイメージを通さずに、<br />
目の前にあるものを常に「新たなる存在」として見ること。<br />
名前がなければ、それらは無名の不可思議な存在であり、<br />
私たちは絶え間なくその摩訶不思議な「存在」を目にすることができます。</p>
<p>その存在は聖なるものであり、生の神秘です。<br />
私たちは、名もなき宇宙の神秘に囲まれて生きているのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>「今」を感じる心</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2198</link>
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		<pubDate>Thu, 19 Jan 2012 11:29:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[「生」は、過去にも未来にもありません。 「生」とは、「今」生きているものです。 「今」という瞬間にこそ生は爆発しています。 過去は記憶であり、未来はイメージにすぎません。 頭の中のイメージと、「今」という現実は違うもので [...]


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</ol>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/42-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/42-2-400x265.jpg" alt="" title="??" width="400" height="265" class="alignnone size-medium wp-image-2199" /></a></p>
<p>「生」は、過去にも未来にもありません。<br />
「生」とは、「今」生きているものです。<br />
「今」という瞬間にこそ生は爆発しています。</p>
<p>過去は記憶であり、未来はイメージにすぎません。<br />
頭の中のイメージと、「今」という現実は違うものです。<br />
「今」という瞬間にのみ生があります。</p>
<p>大地に風が吹き降りるのも、<br />
空で雲が流れ、鳥がはばたくのも「今」という瞬間です。<br />
過去にも未来にも「生」はありません。<br />
「生」は「今」にのみ生きています。</p>
<p>もし人が、「今」というこの瞬間から外れるならば、<br />
その人は「生」の中にはいないでしょう。<br />
そこにあるのは過ぎ去って死んだ過去や、未来への妄想です。</p>
<p>なぜ私たちは「今」というこの瞬間の生を無視し、<br />
過去や未来の心象(非現実)に執着するのでしょうか。<br />
「現実」は今という瞬間にしかありません。<br />
生の現実、そのリアリティは「今」です。</p>
<p>「今」を感じれる感性と注意力こそ大切なものです。<br />
なぜなら、「生」とは「今」だからです。<br />
宇宙、神、奇跡—その一切は「今」という瞬間にあります。</p>


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</ol>]]></content:encoded>
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		<title>悲しみを超えて</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2189</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2189#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 18 Jan 2012 14:13:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人生には様々な悲しみがあります 自分が大切だと思っているものを失った時や、 自分自身の将来が失われた時など。 不幸や運命は時に残酷なものであり、 突如として訪れるその苦悩と悲しみは私たちにとって辛いものです。 しかし、人 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/17-21.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/17-21-400x400.jpg" alt="" title="ããã¯ã°ã©ã¦ã³ã" width="400" height="400" class="alignnone size-medium wp-image-2191" /></a></p>
<p>人生には様々な悲しみがあります<br />
自分が大切だと思っているものを失った時や、<br />
自分自身の将来が失われた時など。</p>
<p>不幸や運命は時に残酷なものであり、<br />
突如として訪れるその苦悩と悲しみは私たちにとって辛いものです。</p>
<p>しかし、人間は悲しみを通ることで成長します。<br />
悲しみとその苦悩の経験が人間の心と知恵を養い、<br />
新しい理解と真理の悟りをもたらします。</p>
<p>悲しみは辛いものですが、<br />
一度経験し乗り越えた悲しみであるならば、<br />
同じ悲しみには二度と囚われることはないでしょう。<br />
人は、苦しみ抜いた経験が糧となって成長するのです。</p>
<p>悲しみのあるところに心の自由はありません。<br />
真に心の自由があるには、私たちは悲しみを超えなければなりません。<br />
まさに「自由とは何か」という探究が、<br />
自然と悲しみを終わらせ、心を強くさせます。</p>
<p>悲しみを超えることは、心の自由を理解することです。<br />
自由は、自分自身の心を理解するところから生まれ、<br />
その理解は人としての成長と知恵を身に着けさせます。</p>
<p>悲しみから逃げる必要はありません。<br />
むしろ悲しみの経験は、人を成熟させます。<br />
悲しみと苦悩を知っている人ほど、大いなる知恵を持つのです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>命の等しさ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2182</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2182#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Jan 2012 13:09:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[自然のままにある命の姿というものは、すべて等しい価値を持ちます。 ある一方だけが価値があり、他方はそうではないということではありません。 生命の存在はすべて等しく高貴であり、尊いものです。 人間の命だけが尊いのではありま [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/37-22.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/37-22-400x288.jpg" alt="" title="Comet" width="400" height="288" class="alignnone size-medium wp-image-2183" /></a></p>
<p>自然のままにある命の姿というものは、すべて等しい価値を持ちます。<br />
ある一方だけが価値があり、他方はそうではないということではありません。<br />
生命の存在はすべて等しく高貴であり、尊いものです。</p>
<p>人間の命だけが尊いのではありません。<br />
そう考えるのは人間の側の傲慢です。<br />
命の存在はすべて等しい価値を持ちます。</p>
<p>生物も、無生物も、この宇宙にあるすべての生命の存在は、<br />
まったく同じように聖なるものであり、生の奇跡です。</p>
<p>この生命の等しさが失われるのは、<br />
人間の側が自分勝手に価値判断を挟むときです。<br />
あるものの価値は認め、他のものは無価値とする。<br />
そのような価値判断は人間の側の勝手な思い込みにすぎません。</p>
<p>どんな小さなものも、大きなものも、<br />
そこには等しく命の奇跡が宿っています。<br />
どんなものも宇宙の叡智によって支えられ、そして存在しています。<br />
すべての自然の存在は奇跡であり、生命の尊さです。<br />
そこに小さいも大きいもありません。</p>
<p>小さな一粒の砂にも等しく神は宿ります。<br />
それは宇宙の叡智、無限の生のエネルギーであり、<br />
それなしにはあらゆるものは存在できなくなります。</p>
<p>生命は、同じ宇宙の叡智によって存在しています。<br />
言い換えればそれは「神の等しさ」であり、<br />
その等しさこそ生命の真理です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>無垢な感性</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2175</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2175#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 13:04:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[心が無垢であればあるほど、 人は世界の神秘を感じやすくなります。 無垢の心であるとは、 あらゆるものを新鮮なまなざしで見つめることができる心です。 あたかも、毎日生まれて初めて世界を眺めるかのような心です。 無垢であるた [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/25-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/25-2-265x400.jpg" alt="" title="è©¦é¨ç®¡" width="265" height="400" class="alignnone size-medium wp-image-2176" /></a></p>
<p>心が無垢であればあるほど、<br />
人は世界の神秘を感じやすくなります。</p>
<p>無垢の心であるとは、<br />
あらゆるものを新鮮なまなざしで見つめることができる心です。<br />
あたかも、毎日生まれて初めて世界を眺めるかのような心です。</p>
<p>無垢であるためには、過去の記憶に囚われないことが必要です。<br />
過去のフィルターを通してしまうと、<br />
事物を新鮮な心で見つめることができなくなるからです。</p>
<p>知識が増えれば増えるほど、心の新鮮さは失われます。<br />
知識に溢れていない子供たちの感性が瑞々しいのはそのためです。<br />
幼児は知識と記憶という限定された意識を持ちません。<br />
だからこそ、知識を超えた未知なるものを感じる心を持ちます。</p>
<p>事物をまったく新しいものとして見れる心こそ無垢です。<br />
あらゆるものに生命の新たなる奇跡を感じ、<br />
そこに驚きと喜びを持つことができるのも無垢な精神です。</p>
<p>現代の大人たちは、無垢な精神を失っている人がほとんどです。<br />
自然に対する無関心、生命の奇跡に対する無関心。<br />
世界では日々刻々と奇跡が起こりつつあるのに、<br />
多くの人々はそれに対しての感受性が乏しいままです。</p>
<p>世界の大いなる神秘を感じることができる心。<br />
無垢の感性だけが、類まれな生の神秘と聖性を発見します。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>書物の言葉を超える</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2166</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2166#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Jan 2012 12:07:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[宗教やスピリチュアルの世界では、 本というものの重要性が幅広く認知されています。 しかし、本の言葉に囚われすぎるのも問題です。 特に宗教やスピリチュアルというものは、 その人の人生そのものと精神構造に大きく影響を及ぼしま [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/37-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/37-2-400x288.jpg" alt="" title="Comet" width="400" height="288" class="alignnone size-medium wp-image-2167" /></a></p>
<p>宗教やスピリチュアルの世界では、<br />
本というものの重要性が幅広く認知されています。</p>
<p>しかし、本の言葉に囚われすぎるのも問題です。<br />
特に宗教やスピリチュアルというものは、<br />
その人の人生そのものと精神構造に大きく影響を及ぼします。<br />
必ずしも本の言葉が良い影響を与えるとは限りません。<br />
時には悪影響を与えることも少なくありません。</p>
<p>他者が書いた本の言葉をそのまま受け入れ、<br />
それを普段の生活と行為の中に取り入れてしまうならば、<br />
そのような人生は言わば他者の言葉の奴隷になってしまいます。<br />
なぜならそれは、他者の言葉通りの型枠にはまった生き方だからです。</p>
<p>悪いことに、世間に出回っているスピリチュアル系の本の中には、<br />
「ああしなさい」「こうしなさい」という口調で書かれたものがあります。<br />
そして多くの人々は、その言葉に容易に従ってしまうのです。<br />
これでは他者の命令に従うだけの人生です。<br />
それはとても危険なことで、自分の精神を麻痺させることです。</p>
<p>本の言葉に頼らないこと、そして縛られないことが重要です。<br />
真に自由な生は、どんな言葉にも教えにも従いません。<br />
自由であるとは、真に自発的であるということです。<br />
つまり、他者に頼らず、自分で自分の人生を歩むということです。<br />
自分で「生」の発見の旅に出るということです。<br />
それこそが本当の「宗教」です。</p>
<p>本の言葉に頼ってはいけません。<br />
「生」は、あなた自身がたった一人で旅するものなのです。<br />
生の真理を見出すのは、あなた自身です。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>生の創造</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2154</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2154#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2012 12:42:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人生というものは、私たち一人一人が発見していくものです。 私たち一人一人が生の創造者であり、 その独自性は人の数だけ多くあります。 世間では、様々な自己啓発の本や法則関連の本が販売されています。 人はそれらの本の教えや言 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/41-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/41-2-329x400.jpg" alt="" title="stairs in sky" width="329" height="400" class="alignnone size-medium wp-image-2155" /></a></p>
<p>人生というものは、私たち一人一人が発見していくものです。<br />
私たち一人一人が生の創造者であり、<br />
その独自性は人の数だけ多くあります。</p>
<p>世間では、様々な自己啓発の本や法則関連の本が販売されています。<br />
人はそれらの本の教えや言葉を容易に信じ込みます。<br />
そして自分の人生を他者の教えどおりに型枠にはめてしまうのです。</p>
<p>世間で流行し、もてはやされているものというのは、<br />
それだけ独自性に乏しいものです。<br />
なぜならそれは他の多くの人々も実践していることであり、<br />
結局はただの真似ごとにすぎません。<br />
「流行」の中に、創造性は皆無です。</p>
<p>世間で言われている教えや考えが必ずしも正しいとは限りません。<br />
人生というものは、自分自身で発見していくものです。それが創造性です。<br />
世間に同調し、その同じ型枠にはまるならば、<br />
その人の人生はありきたりな凡庸な生になってしまうでしょう。</p>
<p>真に宗教的な生とは、精神的にただ独りで立つことです。<br />
世間や集団に同化せず、他者の教えを容易に信じ込まず、<br />
自分で「生」を見つめて発見していくことです。<br />
そうしてのみ「生の創造性」と「生の独自性」があります。<br />
そしてそれこそ、真に宗教的な人生です。</p>
<p>ただ独り歩むこと。<br />
自分で生の神髄を見出すこと。<br />
宗教とは、まずこの単独性から始まります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>世界が存在するということ</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2146</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2146#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 11 Jan 2012 13:16:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p> <a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/32-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/32-2-400x265.jpg" alt="" title="åçæã¨æ¸æµã¨åèãVirgin forest and shaft beam of li" width="400" height="265" class="alignnone size-medium wp-image-2147" /></a><br />
&#8220;世界が存在する&#8221;ということは途方もない奇跡です。<br />
世界が存在するということは、当たり前なことではありません。<br />
それは考えられないほど奇跡に溢れたことです。</p>
<p>私たちはなぜ&#8221;世界が存在する&#8221;ということに驚かないのでしょうか。<br />
それは想像を絶するほどの奇跡、神秘です。<br />
しかし私たちは、この世界で生きていることに慣れてしまい、<br />
新鮮な心で「世界」を感じられなくなってしまっています。</p>
<p>普段から当たり前のように世界を目にしているので、<br />
「世界」という奇跡に対して感受性が乏しくなっていると言えます。</p>
<p>「世界が存在する」ということは大いなる奇跡です。<br />
それはまさしく聖なることであり、生命の神秘です。</p>
<p>この奇跡、神秘が感じられるのは、心が新鮮なときだけです。<br />
まるで初めて世界を見るかのように心が無垢で新鮮ならば、<br />
人は「世界」というものに驚嘆の念を抱くはずです。</p>
<p>知識や言葉でいっぱいの心を空っぽにし、<br />
何もない無垢の空白の心を持つならば、<br />
世界はその多しなる神秘を私たち人間に開示するでしょう。</p>


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		<title>花の生き様</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Jan 2012 13:10:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[花の生き様— それは何も求めず、何も欲せず、 ただ無心に存在することです。 花は、どんな欲も持ちません。 人間のように野心を抱いたり、達成や所有を追い求めたりしません。 花はただ存在し、ただ生きています。 それが花の姿、 [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/31-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/31-2-400x265.jpg" alt="" title="?????" width="400" height="265" class="alignnone size-medium wp-image-2140" /></a></p>
<p>花の生き様—<br />
それは何も求めず、何も欲せず、<br />
ただ無心に存在することです。</p>
<p>花は、どんな欲も持ちません。<br />
人間のように野心を抱いたり、達成や所有を追い求めたりしません。</p>
<p>花はただ存在し、ただ生きています。<br />
それが花の姿、花という命のままの姿です。</p>
<p>花は「自分」というものを持ちません。<br />
花は完全に無私であり、自分を守ろうともしません。<br />
人は常に心理的な自己防衛に走りますが、<br />
花は自分がどうなろうと気にもしません。</p>
<p>花の美しさとは、無私の美しさです。<br />
エゴのない姿—それが花です<br />
無私であるがゆえに花は命そのものであり、<br />
そして命とは真理そのものです。</p>
<p>命の真理は、欲によって求めるところにはありません。<br />
求めることなく、ただそこに&#8221;存在するもの&#8221;を見るならば、<br />
人は命の真理とは何かということを悟るでしょう。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>時間の超越</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/news/2132</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/news/2132#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 06 Jan 2012 11:17:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[現実を生きる精神は、過去も未来も持ちません。 「生」とは、過去でも未来でもなく、この一瞬一瞬の現実です。 現に生きつつあるもの、動きつつあるものは「今」です。 現実を生きる精神は「今」を生きる精神であり、過去にも未来にも [...]


No related posts.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/40-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/40-2-400x400.jpg" alt="" title="??" width="400" height="400" class="alignnone size-medium wp-image-2133" /></a></p>
<p>現実を生きる精神は、過去も未来も持ちません。<br />
「生」とは、過去でも未来でもなく、この一瞬一瞬の現実です。<br />
現に生きつつあるもの、動きつつあるものは「今」です。<br />
現実を生きる精神は「今」を生きる精神であり、過去にも未来にも囚われません。</p>
<p>過ぎ去った過去の自分、自己実現への願望としての未来。<br />
過去も未来も「現実」の外にあり、それは生きたものではありません。<br />
リアリティは生きたものであり、それは現実の中にのみあります。<br />
過去の記憶も、未来へのイメージも、何らリアリティを含みません。</p>
<p>過去と未来に縛られた精神は、常に恐怖と不安、葛藤と悲しみを持ちます。<br />
自分が保持している過去、または将来渇望する自分に対する未来。<br />
その過去と未来を失うことを恐れるのです。</p>
<p>自分の過去を失うこと、自分の未来を失うこと—<br />
それはまさに「自分」を失ってしまうことです。<br />
なぜならそこには、これまでの自分の全てと、これからの自分の全てがあり、<br />
それを失うことは、もはや何もない空っぽの自分になることだからです。</p>
<p>過去の全てを失い、未来への希望も全て失うことは、<br />
普通の人々であれば極めて精神的に辛いことでしょう。<br />
それは生きたまま自分の人生の終焉に直面するようなものです。</p>
<p>しかし、しっかりと現実を生きるには、過去も未来も超えなければなりません。<br />
なぜなら、生きた現実とは過去も未来もない「今」です。<br />
「今」という瞬間に、生は刻々と動いているのであり、<br />
その生を感じ、それと共に、それ自体として生きるには、<br />
過去も未来もない心理的な無時間がそこになければなりません。</p>
<p>時間を超越した精神だけが、真に自由であり、<br />
かつ、その無時間の精神こそ真のリアリティを感じることができます。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<title>人生の意義とは</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2122</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2122#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 05 Jan 2012 08:48:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[人は、自分が生きていることの意義を持とうとします。 自分が生きている意義を見つけ、それを支えに生きようとします。 人生に意義を見出せず、心は空虚となり、 大きな絶望感に囚われる人もいます。 彼らは、なぜ自分が存在するのか [...]


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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/39-2.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/39-2-282x400.jpg" alt="" title="puzzles of nature" width="282" height="400" class="alignnone size-medium wp-image-2123" /></a></p>
<p>人は、自分が生きていることの意義を持とうとします。<br />
自分が生きている意義を見つけ、それを支えに生きようとします。</p>
<p>人生に意義を見出せず、心は空虚となり、<br />
大きな絶望感に囚われる人もいます。<br />
彼らは、なぜ自分が存在するのか、なぜ自分は生きているのかが分からず、<br />
その中で漠然とした不安と恐怖を抱えながら生きています。</p>
<p>私たちはなぜ生きる意義を求めるのでしょうか。<br />
なぜそれを持とうとするのでしょうか。<br />
そしてなぜそれを失うことを恐れるのでしょうか。</p>
<p>人生に意義を求める必要はありません。<br />
なぜなら、「生きている」ということそのものが生の意義だからです。</p>
<p>生き、存在していること。<br />
まさにそれが「生」の意義、「命」の意義です。<br />
野に咲く花は、ただ咲くためだけに生まれてきます。<br />
ただ咲き、ただ存在することが、花という命の使命だからです。<br />
花は私たちにその美しさを伝え、そして自然に枯れていきます。<br />
それが命の姿であり、生の尊さです。</p>
<p>「生きている」ということこそ、大いなる奇跡であり、生の尊厳です。<br />
人もまた、花と同じです。<br />
花が命であるように、私たち人間もまた等しい命です。</p>
<p>「生きている」ということ、「存在する」ということは、<br />
本当に尊く神聖なことです。<br />
生きている意義や価値を他に求める必要はありません。<br />
生きているということそれ自体が、無限の意義と価値を持つからです。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>精油（アロマオイル）が食用品として韓国にて輸入販売</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/change-the-world/2115</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/change-the-world/2115#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 05 Jan 2012 08:37:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[世界を変える]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2115</guid>
		<description><![CDATA[当財団で扱っている精油（アロマオイル）が食用品として韓国にて輸入販売が検討されました。 すなわち、安全性に関して、第三者による証明が得られました。 &#160; &#160; &#160; &#160; No 品　目 内 [...]


No related posts.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>当財団で扱っている精油（アロマオイル）が食用品として韓国にて輸入販売が検討されました。</p>
<p>すなわち、安全性に関して、第三者による証明が得られました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/spi003.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/spi003.jpg" alt="" title="spi003" width="420" height="600" class="alignnone size-full wp-image-2221" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/spi0021.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/spi0021.jpg" alt="" title="spi002" width="420" height="600" class="alignnone size-full wp-image-2223" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<table width="412" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<colgroup>
<col width="40" />
<col width="180" />
<col width="170" />
<col width="70" /> </colgroup>
<tbody>
<tr>
<td width="40" height="25">No</td>
<td colspan="2" width="350">品　目</td>
<td width="70">内容量</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">1</td>
<td>Ylang ylang</td>
<td>イランイラン</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">2</td>
<td>Orange</td>
<td>オレンジ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">3</td>
<td>Camomille Romain</td>
<td>カモミールロマン</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">4</td>
<td>Clary Sage</td>
<td>クラリセージ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">5</td>
<td>Grapefruit</td>
<td>グレープフルーツ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">6</td>
<td>Clove</td>
<td>クローブ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">7</td>
<td>Cypress</td>
<td>サイプレス</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">8</td>
<td>Cinnamon Leaf</td>
<td>シナモンリーフ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">9</td>
<td>Jasmin Abs</td>
<td>ジャスミンアブソリュート</td>
<td>2ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">10</td>
<td>Juniperberry</td>
<td>ジュニパーベリー</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">11</td>
<td>Geranium</td>
<td>ゼラニウム</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">12</td>
<td>Thyme White</td>
<td>タイムホワイト</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">13</td>
<td>Tea Tree</td>
<td>ティーツリー</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">14</td>
<td>Pine</td>
<td>パイン</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">15</td>
<td>Patchouli</td>
<td>パチョリ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">16</td>
<td>Olibanum(Frankinscence)</td>
<td>オリバナム</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">17</td>
<td>Peppermint</td>
<td>ペパーミント</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">18</td>
<td>Marjoram</td>
<td>マージョラム</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">19</td>
<td>Myrrh</td>
<td>ミルラ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">20</td>
<td>Lavender</td>
<td>ラベンダー</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">21</td>
<td>Lemon</td>
<td>レモン</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">22</td>
<td>Lime</td>
<td>ライム</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">23</td>
<td>Petitgrain</td>
<td>プチグレン</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">24</td>
<td>Rose Abs</td>
<td>ローズアブソリュート</td>
<td>2ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">25</td>
<td>Rosemary</td>
<td>ローズマリー</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">26</td>
<td>Bergamot</td>
<td>ベルガモット</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">27</td>
<td>German Chamomile</td>
<td>ジャーマンカモミール</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">28</td>
<td>Eucalyptus</td>
<td>ユーカリ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">29</td>
<td>Rose Wood</td>
<td>ローズウッド</td>
<td>2ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">30</td>
<td>Sandalwood</td>
<td>サンダルウッド</td>
<td>2ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">31</td>
<td>Vetiver</td>
<td>ベチバー</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">32</td>
<td>Parmarosa</td>
<td>パルマローザ</td>
<td>5ml</td>
</tr>
<tr>
<td height="30">33</td>
<td>Lemongrass</td>
<td>レモングラス</td>
<td>5ml</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span style="color: #3366ff;"><strong>購入はこちら＞＞</strong></span></h3>
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<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>宇宙の無限の神秘</title>
		<link>http://spiritual-public-foundation.org/message/2104</link>
		<comments>http://spiritual-public-foundation.org/message/2104#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 11:45:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[メッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spiritual-public-foundation.org/?p=2104</guid>
		<description><![CDATA[宇宙は神秘に溢れています。 宇宙が存在するということ自体が大いなる神秘です。 そして、その宇宙の中には個々の生命が数多く存在し、 その在りようは無限の様相を持ちます。 もし、人として生きている中で生の神秘を感じないとすれ [...]


No related posts.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/22-1.jpg"><img src="http://spiritual-public-foundation.org/wp-content/uploads/2012/01/22-1-400x266.jpg" alt="" title="èãæ£ãèã£ã±" width="400" height="266" class="alignnone size-medium wp-image-2105" /></a></p>
<p>宇宙は神秘に溢れています。<br />
宇宙が存在するということ自体が大いなる神秘です。<br />
そして、その宇宙の中には個々の生命が数多く存在し、<br />
その在りようは無限の様相を持ちます。</p>
<p>もし、人として生きている中で生の神秘を感じないとすれば<br />
一体その人生はどれほど貧しいものでしょうか。<br />
この永遠なる宇宙の無限の神秘を感じてこそ、<br />
人生というものはより深みを増し、光り輝くのですが、<br />
宇宙の神秘に対する感受性を持たない人がどれほど多いことでしょうか。</p>
<p>あなたはこの無限の宇宙の神秘、生命の奇跡を感じているでしょうか。<br />
それとも、まるで当たり前のようにただ日々を生きているだけでしょうか。</p>
<p>宇宙が存在するということは、それ自体驚くべき神秘です。<br />
神は宇宙を創造しただけでなく、今もまさに宇宙を存在させ続けています。<br />
宇宙の存在は神の存在であり、それは底知れない神秘です。</p>
<p>「神秘を感じる」ということは、非常に重要なことです。<br />
なぜなら、そこにこそ純粋で深い歓喜があるからです。<br />
この歓喜は、単なる快楽や享楽とはまったく別のものです。</p>
<p>それは聖なるものを感じることで生じる歓喜であり、<br />
生の中でも極めて崇高で高貴な事柄です。<br />
単に肉体的な快楽であれば誰でも持っています。<br />
しかし、聖なる歓喜となるとそれはたぐいまれなものです。</p>
<p>あなたは宇宙に神秘に対して心を開いたことがあるでしょうか。<br />
静かに耳を澄ませたことがあるでしょうか。<br />
それはどこか遠くにあるのではなく、今ここに、この瞬間にあります。</p>


<p>No related posts.</p>]]></content:encoded>
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